良い…と思ったらぜひ押してやってください(連打大歓迎)
2026年5月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
三井グループおよび公益財団法人三井文庫は、2023年より、三井グループ350周年を記念した「三井文庫所蔵史料デジタルアーカイブ事業」に取り組み、三井文庫の所蔵する近世資料(三井家記録文書)と近代会社資料(三井銀行、旧三井物産、三井鉱山)など、約30,000点分の資料のデジタル画像作成を推進しております。
この度、その中から約15,000点の三井の事業に関わる資料画像の公開準備が整ったため、5月18日(月)より、オンラインでの公開を開始する運びとなりました。
★ h ttps://mitsui-bunko.or.jp/archives/pdf_data/260515release.pdf
★ h ttps://mitsui-bunko.or.jp/archives/information/5%E6%9C%8818%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E3%82%88%E3%82%8A%E3%80%8C%E4%B8%89%E4%BA%95%E6%96%87%E5%BA%AB%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%96/
マジかよ!知らなんだ
#外部リンク
この度、その中から約15,000点の三井の事業に関わる資料画像の公開準備が整ったため、5月18日(月)より、オンラインでの公開を開始する運びとなりました。
★ h ttps://mitsui-bunko.or.jp/archives/pdf_data/260515release.pdf
★ h ttps://mitsui-bunko.or.jp/archives/information/5%E6%9C%8818%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E3%82%88%E3%82%8A%E3%80%8C%E4%B8%89%E4%BA%95%E6%96%87%E5%BA%AB%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%96/
マジかよ!知らなんだ
#外部リンク
実在企業で空想漫画を描いている状態、我ながら割とキモい
「白黒の貨客船の写真を自由に着彩する」はアナログでは感覚的に難しいかも 白黒で塗るか、もとから色の資料があるか、デジタルじゃないと…
日本郵船さんと三菱重工さん 幼馴染でもあるはずなので、「郵ちゃん」呼びと「重(しげ)くん」呼びをしていていてほしい(オタクの欲望100%すぎる)
8月の新刊に対する熱意が損なわれつつある…当たり前だけど年4回毎回新刊を出そうとすると、それなりに短いものしか出せない。それでも常に書いていればどうにかなるだろうが。熱意が。無い。毎回新刊を書き上げるという熱意が。イヤ…チョットナラアルケド…
重ねて言うけど、無配ポストカードは毎回用意したいです。自分も楽しいし、来てくださった方にお渡しできるので…。めちゃくちゃゴテゴテの無配ポストカードでも作るか。
重ねて言うけど、無配ポストカードは毎回用意したいです。自分も楽しいし、来てくださった方にお渡しできるので…。めちゃくちゃゴテゴテの無配ポストカードでも作るか。
太平洋で戦没した船たちはすべて客死なのだ、という視座
船ぶねらがたいへん美しいという話をしたいんだけど、たまにはその船倉が薄暗く奥深い話もしたい#「渺渺録」(企業・組織擬人化)
五 マイノリティから多数へ
マイノリティという言葉がある。私はこれまで日本社会の中でそのように名指され、私自身、そのように自己規定してきた。私が世界と向き合う以前から、マイノリティという表象は用意されており、マイノリティの人権を取り戻すためのものであれ、マイノリティを消費するためのものであれ、その語りが氾濫していた/いるからだ。しかし今思えば、私はこれまで、マイノリティという言葉の檻に閉じ込められ、存在も想像力も切り縮められてきたように思う。マイノリティという言葉に捕われている間は、マジョリティあるいは日本人と対時する関係に自己が限定されていたためか、東アジアで客死した朝鮮人の死者を感覚することはできなかった。そして、朝鮮近代文学研究者としてポストコロニアリズムに依拠しながら活動するなかで、知らず知らずのうちに、マイノリティという場所にすら安住させられ、マジョリティによって消費・管理されていくシステムに組み込まれていたように思う。これは、宿命として、私をとりまく不自由であり、政治あるいは政治的なるものである。
私は、マイノリティではなく、多数である。私は今、この在り方をもって、マイノリティという言葉に対して復讐するべきなのだと思う。多数とは、多数派や少数派といった数の論理ではなく、内在化している他者の存在の大きさにもとづく在り方である。自己を解体し、掘り下げていったときに出遭う影。どれだけ自己を解体し、その影と共に在るのか。多数とは、〈死者と共に在る〉人間存在の基本にもとづいた思想であり、目には見えないけれども、消えたわけではけっしてないものを表現する意志である。私は、マイノリティではなく、多数である。ここで、私は〈来たるべき自己決定権〉にもとづいて、このことを決定する。そして、多数としての私は、もうひとりの多数へと呼びかける。「「祖国」復帰という大命題にその目を曇らされている一人の熱心な「復帰」主義者であった」自己を他者としてその内に抱えている新川明氏へと。
「私は日本の国民が恐い。沖縄の人間のひとりとして、日本の国民は非常に恐いわけさ」「新川明d、七三頁]。季刊『前夜』(九号、二〇〇六年秋)でのインタビューにおける新川氏のこの言葉がとても印象深く、今でも私の中に残っている。周囲の無理解の中でも孤高に反復帰を生きてこられた氏の言葉であるからこそ、この「恐い」という感覚には、とても深い想いが込められているように思う。幸運にも私はインタビューの場に居合わせたのだが、新川氏は、この言葉を大袈裟にではなく、さらりと、率直におっしゃっていた。
私は共感する。二〇〇六年一〇月九日、朝鮮民主主義人民共和国によって核実験がなされた後の日本社会で、私は、ウシロカラササレル、身体の緊張を覚えはじめた。それは私の歴史感覚を革命的に変える出来事であり、朝鮮と出遭う瞬間であった。関東大震災のとき、日本民衆に竹槍で背中を刺され客死した朝鮮人の身体と繋がった、そう言ってしまうとあなたは理解に苦しむかもしれないが、少なくとも、関東大震災のときから日本社会は何も変わっていないことを直感した。
ウシロカラササレル、それはきっと痛いしとても恐いことなのであるがしかし、今は恐くない。客死した死者と共に在る、あるいは、これはテント芝居「野戦之月海筆子」の桜井大造氏の言葉であるが、死者に抱かれた、からなのだと思う。客死した死者に抱かれている私(たち)は、マイノリティではなく、多数である。これは、「野戦之月海筆子」のテント芝居を通じて、この手と足でテントを建て、役者として地を踏みしめて表現するなかで身体化された希望である。
私の身体は今、客死した朝鮮の死者に呼ばれるようにして、東アジアを感覚している。沖縄で客死した朝鮮人の死者、台湾で客死した朝鮮人の死者のことを知りたい、そう切に思う。沖縄戦のとき、沖縄人に竹槍で背中を刺され客死した朝鮮人の、その刺される瞬間の眼に映ったものを想像する――。そして、もうひとり、私が向き合うべき、内なる他者がいる。サイトウヒロシ。日本名を名乗っていたときの私だ。
/「影の東アジア」『残傷の音』
マイノリティという言葉がある。私はこれまで日本社会の中でそのように名指され、私自身、そのように自己規定してきた。私が世界と向き合う以前から、マイノリティという表象は用意されており、マイノリティの人権を取り戻すためのものであれ、マイノリティを消費するためのものであれ、その語りが氾濫していた/いるからだ。しかし今思えば、私はこれまで、マイノリティという言葉の檻に閉じ込められ、存在も想像力も切り縮められてきたように思う。マイノリティという言葉に捕われている間は、マジョリティあるいは日本人と対時する関係に自己が限定されていたためか、東アジアで客死した朝鮮人の死者を感覚することはできなかった。そして、朝鮮近代文学研究者としてポストコロニアリズムに依拠しながら活動するなかで、知らず知らずのうちに、マイノリティという場所にすら安住させられ、マジョリティによって消費・管理されていくシステムに組み込まれていたように思う。これは、宿命として、私をとりまく不自由であり、政治あるいは政治的なるものである。
私は、マイノリティではなく、多数である。私は今、この在り方をもって、マイノリティという言葉に対して復讐するべきなのだと思う。多数とは、多数派や少数派といった数の論理ではなく、内在化している他者の存在の大きさにもとづく在り方である。自己を解体し、掘り下げていったときに出遭う影。どれだけ自己を解体し、その影と共に在るのか。多数とは、〈死者と共に在る〉人間存在の基本にもとづいた思想であり、目には見えないけれども、消えたわけではけっしてないものを表現する意志である。私は、マイノリティではなく、多数である。ここで、私は〈来たるべき自己決定権〉にもとづいて、このことを決定する。そして、多数としての私は、もうひとりの多数へと呼びかける。「「祖国」復帰という大命題にその目を曇らされている一人の熱心な「復帰」主義者であった」自己を他者としてその内に抱えている新川明氏へと。
「私は日本の国民が恐い。沖縄の人間のひとりとして、日本の国民は非常に恐いわけさ」「新川明d、七三頁]。季刊『前夜』(九号、二〇〇六年秋)でのインタビューにおける新川氏のこの言葉がとても印象深く、今でも私の中に残っている。周囲の無理解の中でも孤高に反復帰を生きてこられた氏の言葉であるからこそ、この「恐い」という感覚には、とても深い想いが込められているように思う。幸運にも私はインタビューの場に居合わせたのだが、新川氏は、この言葉を大袈裟にではなく、さらりと、率直におっしゃっていた。
私は共感する。二〇〇六年一〇月九日、朝鮮民主主義人民共和国によって核実験がなされた後の日本社会で、私は、ウシロカラササレル、身体の緊張を覚えはじめた。それは私の歴史感覚を革命的に変える出来事であり、朝鮮と出遭う瞬間であった。関東大震災のとき、日本民衆に竹槍で背中を刺され客死した朝鮮人の身体と繋がった、そう言ってしまうとあなたは理解に苦しむかもしれないが、少なくとも、関東大震災のときから日本社会は何も変わっていないことを直感した。
ウシロカラササレル、それはきっと痛いしとても恐いことなのであるがしかし、今は恐くない。客死した死者と共に在る、あるいは、これはテント芝居「野戦之月海筆子」の桜井大造氏の言葉であるが、死者に抱かれた、からなのだと思う。客死した死者に抱かれている私(たち)は、マイノリティではなく、多数である。これは、「野戦之月海筆子」のテント芝居を通じて、この手と足でテントを建て、役者として地を踏みしめて表現するなかで身体化された希望である。
私の身体は今、客死した朝鮮の死者に呼ばれるようにして、東アジアを感覚している。沖縄で客死した朝鮮人の死者、台湾で客死した朝鮮人の死者のことを知りたい、そう切に思う。沖縄戦のとき、沖縄人に竹槍で背中を刺され客死した朝鮮人の、その刺される瞬間の眼に映ったものを想像する――。そして、もうひとり、私が向き合うべき、内なる他者がいる。サイトウヒロシ。日本名を名乗っていたときの私だ。
/「影の東アジア」『残傷の音』
誤解を招く言い方になるかもしれないが、よく朝鮮や韓国の出来事やその人びとの文章を引用したりするのは、私が「たまたま」この国が好き(正確に言えば、気になる)からであり、私がかつて宗主国だった国の今の国民で、この国の不満を代弁する「絶対的な他者」としてあの国、あの国の人びとの言葉を引いて提示しているわけではない、もし地球の裏側にあの国があっても私はおそらく気にし続けるだろう(が、「隣にあること」を歴史から奪胎することは不可能で、隣にあったからこそこうした遍歴を遂げて今があるという感もある)また上記を意識しているものの、それが絶対的に実行できているか疑問もある。本当にたまたまなのか?という問いがある
四方田犬彦が話し込んだ日本の女性研究者のことを「旧宗主国の女性が女性としての自己同一性を確認するために、かつての植民地の女性を媒介にしなければならない構造」と看破していて、うん……となる(そしてその『われらが〈無意識〉なる韓国』がどうしてもどこにも見つからない)
四方田犬彦が話し込んだ日本の女性研究者のことを「旧宗主国の女性が女性としての自己同一性を確認するために、かつての植民地の女性を媒介にしなければならない構造」と看破していて、うん……となる(そしてその『われらが〈無意識〉なる韓国』がどうしてもどこにも見つからない)
これを言うのが500兆目だけど、サイトが細分化されすぎていて見づらい。特にスマホからだと何が何だか…だろう。
構造から改装した方が良い気がする
構造から改装した方が良い気がする
(ツイート埋め込み処理中...)Twitterで見る
ファンネルマークにも苦労した。大阪商船は白の大の字、三井船舶は白の三本線である。それぞれの歴史をもち、このマークで世界の海に雄飛し、双方の社員には思い出深いものである。しかし、いずれかのマークを残すわけにはいかない。いろいろな図案が合併準備委員会に持ち込まれたが、なかなか決まらない。大阪商船の準備委員会の交渉委員長は専務の加福龍郎である。加福はノーマークを主張した。
「大阪商船三井船舶はトップ企業である。トップにはマークは必要ではない。二位以下がマークをつければよい。イギリスの郵便切手をごらんなさい。国名は印刷されていません。ドイツ、フランス、アメリカの切手はみな国名が記入されている。ナンバー・ワンにはマークは要らないのです」
ノーマークに決まったが、今度はその色をどうするかである。大阪商船専務の坪川五郎と三井船舶常務の鈴木久之助が相談したが、なかなか決まらない。
ふと机の上を見ると、たばこの「光」が目にはいった。このたばこは現在は製造していないが、一〇本入りの箱はだいだい色である。これにしようということになった。新会社のオレンジ・ファンネルはこうして決まった。
/『風濤の日日』
「大阪商船三井船舶はトップ企業である。トップにはマークは必要ではない。二位以下がマークをつければよい。イギリスの郵便切手をごらんなさい。国名は印刷されていません。ドイツ、フランス、アメリカの切手はみな国名が記入されている。ナンバー・ワンにはマークは要らないのです」
ノーマークに決まったが、今度はその色をどうするかである。大阪商船専務の坪川五郎と三井船舶常務の鈴木久之助が相談したが、なかなか決まらない。
ふと机の上を見ると、たばこの「光」が目にはいった。このたばこは現在は製造していないが、一〇本入りの箱はだいだい色である。これにしようということになった。新会社のオレンジ・ファンネルはこうして決まった。
/『風濤の日日』
(ツイート埋め込み処理中...)Twitterで見る
ぼくらの父祖たちにとって国家はどうだったか?それは幻想としての国家像の暗闇であればある程、顕在化する形として女たちの狂気の挿話をとりあげることができる。昭和の十年代、素封家に育った女が、その夫は都市に就職したけれども、女が海を渡るのは当時村では禁忌だった。年月が立つうちに、ついに思いあまって磯の波打際にひざまづいている女の姿が村の誰れそれの眼にも頻繁にみえるようになった。いわば古いしきたりと禁忌によって素封家に生まれた女なのだが、「時間」の推移によって対幻想が危機にさらされるとき素封家の女は美しくしかも近よりがたい狂気と化したのだ。狂気によって孤島の波打際は都市につながる幻想であり、幻想としての村共同体が解体してあと、一種の可能性として思いみられる共同体である。その女には自覚されざる、しかも情念の内にいだかれている国家像だといえる。また可能性として思いみられた共同体は一度解体したので、それは一つの共同体の影であり、それは幻想である限り、未来の階級を女の自覚しない形で、地つづきの境域として思想者に思いみられるものだといえまいか。マツスとしての波の砕ける無人の磯でくる日もくる日も、荒波のうねり割れる響きと、島を脱出するのをむげにおとしめる村の不文律によって夾撃されて強度の自己禁忌におちいることによって、はじめてつりあう心理的危機が醸成される。それは素封家の由緒正しい子女が村の性のアナーキズムから自己疎外することによって人間形成を遂げたので、狂気は破滅へ向う解放としてでもなく、一種の鬼気をただよわせてあおじろく細っていながら、自己禁忌の極限において対幻想(都市の夫と生活を共有したい思い)は空洞化しながら一層深く女の「生」を拘束する呪縛となるのだ、といえよう。そこから女が脱出するには途はおそらく二つしかありえない。森崎和江の「権力側の祭神に接続していた巫女が、共同体の解体に従って次第にその被所有へ偏向し、やがてその領域の意識の診断者、伝達者として民間遊行の歩き巫女になった。」(「被所有の所有」)といった風に性の融合倒錯によって村共同体の幻想域に生きるか、禁忌を破砕して男たちの一方的につくった共同体を越境することによって対幻想をまっとうするか、のいずれかだ。つまりは自己の対幻想が深まれば深まるほど村共同体の禁忌は家系を通してそれにくつわをかませ浸触してゆく。無言の誰何の目たちにさらされて、狂気は必然的に自己幻想の緊張度の限界を越えるとき発狂となる。素封家の貞女たちは村ではたいてい発狂の危機をあやうく持ちこたえている女たちだ。それを吉本隆明は人間心理の闇黒にわけ入って解明する。「人間の自己幻想(または対幻想)が極限のかたちで〈共同幻想に浸触〉された状態を〈死〉と呼ぶ」(「他界論」)と。素封家の女は、幻想を共同体の方へ傾斜させ一致させる心理的すりかえによって「歩き巫女」になって狂気の、生活への解体をなしとげる情念の風化現象による個人性の喪失ではなく、最後まで個人性のますますリアリテをもつ幻想を生きその重みに耐えかねて発狂し、ついに他界したのである。沖縄に生まれ育った者は多かれ少なかれ素封家の女が自己幻想に全存在をささげ、狂して他界するまでの〈生〉の過程を土着への、あるいは共同体への屈服として単なる哀しい挿話でなしに、個人性の連帯への覚醒の予兆としてくみとらねばならないのではなかろうか。なぜなら「女人禁忌」の思想が原則的には崩壊しているのにもかかわらず、見えざる形で人間関係の心理的動因を規制する範型になっていはしないかという危惧を打ち消すことがいまだにできかねるからだ。それは共同体にまつわる気候、風土などの民族的な感受帯をいかに対象化し、脱却するかという個人性の自覚をまって始めて思想と詩の自立が問題になるのだといえよう。既成の国家の共同性が知識人たちを挫折させる日本近代のメンタリティーの病理もそこに淵源することは二度の大戦でいかにぶざまに日本の知識人たちが国家の共同性のファナァチックな危機の情況で同化解体していったかを思い返すだけで充分だろう。思想の裏切りなどという倫理の次元ではどうしても解決しようのない転向は、風土と民族の感受帯を抽出対象化し共同性を批判し自立する思想の個人性の論理がみちびきだされない限り、糾明されないだろう。論理として意識するとせざるとにかかわらず、また詩作品もその論理によって批評することが一つの確実な射程となることはたしかだ。
/「波打際の論理」清田政信『情念の力学』
※沖縄の近代について
/「波打際の論理」清田政信『情念の力学』
※沖縄の近代について
1940年代前後の貨客船は、デザインが発達してモダニズムが時流となり、かつ国粋主義の高まり等も支えとなったり…略で「現代日本様式」とも呼ばれる特有のデザインをしていた(氷川丸は1930年竣工なのでフランスのアールデコ)んだけど、それらの多くは空母や艦艇に改造された…というのが汎用あらすじ(汎用あらすじ?)
★貨客船というか「客船」と言われてしまうと、ついヨーロッパ風みたいなものを想定しがちになるし実際残っているのが氷川丸だとなおさら感あるけど なんか 不思議な内装をしている モダニズムなので
★勝手な感想できっと正しくはないだろうけど、モダニズムが無かった時代の日本趣味って西洋式の建築に日本の小物を植え付けた感じのものも多くて そういう意味ではモダニズムと日本式が合わさって上手く発露されているな~と感じる
★貨客船というか「客船」と言われてしまうと、ついヨーロッパ風みたいなものを想定しがちになるし実際残っているのが氷川丸だとなおさら感あるけど なんか 不思議な内装をしている モダニズムなので
★勝手な感想できっと正しくはないだろうけど、モダニズムが無かった時代の日本趣味って西洋式の建築に日本の小物を植え付けた感じのものも多くて そういう意味ではモダニズムと日本式が合わさって上手く発露されているな~と感じる
フォロイーという単語が好きではないのでフォロワーで統一したいのだけど、私みたいに「近しめのアカウント」文脈で使うのではなく、文字通りにフォロー状態を示すという理解をしている方もいて難しい
だいたいフォロイーっていう語感が嫌なんだ フォロワーで統一したい、さんふらわあ的な美感がある
「フォロワー!」の覇気の良さって「さんふらわあ」の語感に似てる 口を開いて終えたい
だいたいフォロイーっていう語感が嫌なんだ フォロワーで統一したい、さんふらわあ的な美感がある
「フォロワー!」の覇気の良さって「さんふらわあ」の語感に似てる 口を開いて終えたい
「イベントで新刊が無いと人権も無い」という言い方は嫌い(だし表現に問題がある)、いつしか見た「新刊は舞踏会で着るドレス」がしっくりくる
着古した👗より新品を卸したいのは本音である 勿論そのために無理はしたくないけど…
ただコミティアで毎回新刊を出していたら、4ヶ月に一回出すはめになる 12pくらいなら良いけど、40pを超えだすと私は少々難しいかも
着古した👗より新品を卸したいのは本音である 勿論そのために無理はしたくないけど…
ただコミティアで毎回新刊を出していたら、4ヶ月に一回出すはめになる 12pくらいなら良いけど、40pを超えだすと私は少々難しいかも
(ツイート埋め込み処理中...)Twitterで見る
個人サイトの「ブログ」ページ 何もないので何か書きたい












◆分類【 思念・思索 | 長文 | 引用 | 感想 】
◆創作話【 「渺渺録」 】