破船

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 一個人の趣味の同人創作サイトです。
 一次創作と擬人化(艦船擬人化/企業・組織擬人化)を描いています。各公式、実在の組織・団体とは一切関係がなく、一個人が趣味で描いたものを掲載しています。
サイト「night watch」(本拠地)🎨 | 👏👏👏

「右手が血にまみれているような感覚」「せっけんで洗っても、ぬるりとした血の感触がぬぐえず、さてどうしたものかと、窓の外をながめたりした」『ユリイカ 特集・スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ』「声を翻訳する」(『セカンドハンドの時代』の日本語訳者の回想)
#「カインとアベルの円舞曲」(天幕のジャードゥーガル)
しかしもちろんそうではない。それではもし歴史の重みが現在と未来にこれほど重くのしかかることがあるとすれば、歴史家の仕事の一部がその重みを解除しようとすることにあることはたしかである。すなわち、たいていの抑圧の形態は構築されたものであるから脱構築されることが可能であるということを示すこと、現在あるものが必ずしも過去にあったとは限らず、したがって未来にあるとも限らないということを示すこと、である。この意味で歴史家は社会批判者でなければならない。というのは、過去が現在や未来を抑圧する一方で解放もするのは、そういう批判という手段によってであり――どんなに矛盾しているように見えようとも、歴史家は過去自体に対して両方の行為を同時におこなっているのだから。
 過去が現在を解放するというのはどういう意味かということを知るために、きわめてありふれたミクロな状況、つまり一人の若い人が彼女あるいは彼が何らかの点で「異なっている」という意識を持って成長しているという状況から始めよう。どんな点でもよい。民族としてでも、人種としてでも、性的嗜好においてでも、経済的あるいは社会的地位においてでも――名前は勝手につけてよい。変わらないのは孤立の感情、群集のなかの一人ぽっち、「彼ら」のうちの一人になれないことという感情である。そして子どもたちがお互いにきわめて残酷になりうるという事実は――おとなが子どもに対してどんなことをしているかは言うまでもなくーこの孤独さを耐えやすくするものではない。
 つぎに、あなたはじつは一人ではないということ、他の人も時間や空間を隔てて同じ経験をしており、あなたを「異なっている」としている基準がじつはいつもそこにあるわけではないということを知るときの救いの感覚を想像してみよう。自分が同性愛を考え出したと絶対的に信じている――多くの人が最初はそうであるように――若者が、たとえばミシェル・フーコーやジョン・ボズウェルを読んだとき、どんな影響を受けるだろうか、考えてほしい。つぎにもっとひろい焦点に移ろう。たとえばW・E・B・デュ・ボアの奴隷制と南北戦争後の再建期に関する作品が復活したときや、C・ヴァン・ウッドワードが南部の人種隔離はつねにあったわけではないということを示したときのアメリカ公民権運動の反応である。さらに視野をもっと広げて女性史運動が一九七〇年代や一九八〇年代に発展したときを取り上げてみよう。ここでの目的は女性抑圧の源は時間を超えたものではなく時間に縛られたものだということを証明することによってすべての女性を解放することにほかならなかったのである。

/ジョン・L・ギャディス『歴史の風景』
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『大量死と探偵小説』『平和と愚かさ』電子書籍をポチ
船は基本設計者にとってはあたかも娘のように感じられるもので、骨の折れた船、手のかかった船および苦労の多かった船、いろいろの意味でむつかしかった船ほどいっそう愛着を持たれるものなのであることは、世話をやかせる子供ほど親にはなおかわいいというものと全く同じことである。
/『随筆 船』


嶋田双葉「冬服の姫」読了 少女と、母と、父と、父の設計の不具合で壊れたジェットコースターに乗って死んでしまった母親の遺児の娘との4人との奇妙な同居話だった


「ずっと一緒にいようよ、真穂」
 わたしは銀河鉄道のジョバンニみたいなことを口走った。
「ずっと一緒にはいられないんだよ、花」
 真穂は静かに手袋をはずした。
「そう、そうだよね」
 わたしはうろたえ、葉をふるいおとした木の数をかぞえた。
「マルコ・ポーロがみつけた、不思議な街の話しようか」
 しゃがみこみ、真穂はいった。
 わたしは突っ立ったまま、うなずいた。
「その都はふたつの世界でつくられているの。ひとつはね、回転木馬やサーカステント、観覧車、射的場、そんな、遊ぶためだけの広場。そうして、もう半分は学校や工場や病院、お役所とか、大理石の立派な建物のかたまり。半分は動かない。半分は移動するキャラバン。ある日、いってしまうのは石でできた建物のほう。屋根も柱も壁も飾りもみんなはずしてバラバラにして、トラックに乗せ、別の街へ移っていってしまう。あとにはテントがバサバサいう音や人々の遊ぶ声だけが残るの。みな、半分からっぽの街をながめながら、いつかまた。街がいろんなところをまわって戻ってくるのを待ちつづけるの」
真穂は膝をかかえ、顔をあおむけた。みおろすと、その目に戻がたまっていた。
「花、わたし、つらい、とか、悲しい、とかよくわからない。ほんとうにわからないの。どうだっていいの。ほとんど、なんでも。わたしって、ずっと、生きてることから降りてるんじゃないかなあ」
 涙が目尻から耳へ流れおちた。
「マルコ・ポーロから、どうしてそうなるのよう」
/嶋田双葉「冬服の姫」
『天幕のジャードゥーガル』を読みながら「彼女らの背景で何百万人が殺され、その間隙をどうくぐりぬけてその親たちが生きのびてきたのかなど、思いがあらぬ方に走り、海洋で断ち切られた日本の国境とはまるきり様相のちがう地つづきの接触の中で形づくられた人間の血のあやしい混血のことが酔いのように私を襲ったのだ」という島尾敏雄の文章を思い出す など
私たちが「善」と「悪」、「加害者」と「被害者」という言葉を使ってその時代の歴史下に於ける役割と立場を扱い、なお且つ自分たちが現代人の眼差しを用いて歴史を見つめているのだということを忘れてしまう時、そこには偏見が生まれる可能性が高い。
/『緑の牢獄』


>在日コリアンを安易に言及してないか、無意識に従属を強制してないか、特に、朝鮮民主主義人民共和国とのつながりを、歴史についての知識を持たずに、単なる「面白さ」と理解し、私たちから奇抜な発言を引き出すことを求めてないかということに、気を付けるべきだと思います。
/34p
 中山路を揚子江へ向う大通り、左側の高い柵について支那人が一列に延々とならんでいる。何事だろうとそばを通ると、私をつかまえるようにして持っているしわくちゃな煙草の袋や、小銭をそえて私に差出し何か悲愴なおももちで哀願する。となりの男も、手前の男も同じように小銭を出したり煙草を出したりして私に哀願する。これは何事だろうと思ったら、実はこの人々はこれから銃殺される人々の列だったのだ。だから命乞いの哀願だったのである。それがそうとわかっても私にはどうしてやることも出来ない。一人の人も救うことも出来ない。
 柵の中の広い原では少しはなれた処に塹壕のようなものが掘ってあって、その上で銃殺が行われている。一人の兵士は顔が真赤に血染まって両手を上げて何か叫んでいる、いくら射たれても両手を上げて叫び続けて倒れない、何か執念の恐ろしさを見るようだ。戦争とはかくも無惨なものなのか、槍で心臓でも突きぬかれるようなおもいだ、私はこの血だらけの顔が、執念の形相かそれから幾日も幾日も心に焼付けられて忘れることが出来ないで困った。私は揚子江でも銃殺を見た。他の場所でも銃殺されるであろう人々も沢山見たが余りにも残酷な物語はこれ以上書きたくない。これが世に伝えられる南京大虐殺事件の一駒なのであるが、戦争とはどうしても起る宿命にあるものか、戦争をやらないで世界は共存出来ないものなのだろうかとつくづく考えさせられる。
/『映像研究(9)』「カメラと人生 白井茂自叙伝6」
女たちの内発性とまっこうから拮抗しないニッポン!武士道!もののあわれ!近代!そこにあるもろもろの価値に血が噴くような憎しみを感じた敗戦前後、あかんべえと舌をだすことを覚えました。心の底から日本という質をさげすんでいる自分の火を守りました。それはまるで民族的な訣別へ私を追うような強さで、私の歩みを押しました。
/『まっくら 女坑夫からの聞き書き』
#近代
#「渺渺録」(企業・組織擬人化)
#近代


第二に、功罪半ばする近代化の”罪”の部分に光を当てたいと思う。本書の場合、それは繁栄の陰に潜む無数の悲惨な死者と遺族の悲嘆という現実を投射することである。つまり大量生産・大量消費といった時代動向に即応した大規模な機械化が招く多数の労働災害(ことに”挟まれ”、”巻き込まれ”による大量異常死の出現)という悲劇がどのように受け止められていったかを、個々の当事者の立場から問い直すことであり、そこに伝統的な思考がいかに連動していったかを分析の軸とする作業である。これは換言すれば、労働災害の発生が解釈されていく際のメカニズムを、いわば「グラウンド・ゼロ」の地平から検証することである。
/『八幡製鉄所・職工たちの社会誌』


植民地主義は戦争につながっている。その富国強兵を国是とした日本の近代化を、産業構造の基盤で支えたものは石炭だった。そして石炭を地底から掘り出したのは、炭坑で働いた男たち女たちであった。
/「石炭産業の崩壊に立ち会って」『精神史への旅 2地熱 森崎和江コレクション』


本書には、表現を和らげる潤色、ノスタルジア、ロマンチックな美辞麗句はない。わたしは、東南アジアの植民地港湾都市という、発展途上の「近代」の過酷な景観のただ中を生きた日本人女性たちの、悲痛、苦悩、混乱、達成、愛情や大きな犠牲に集中することに力を注いだ。この社会史を通して、過去の日本人娼婦たちは、かつてのかの女らに関わりのあった事柄や、二一世紀初頭のいま、わたしたちに関わりのある事柄を、現世代に語りかけてくる。シンガポールのからゆきさんの人生のきわめて個人的な記録が、わたしたちに語りかけてくるのだ。娼館のドアの向こうから、かの女らの謙虚さと辛抱強さという昔かたぎの美点を、貧困と社会的不平等を、社会的な抑圧と悲哀を、情熱と孤独を、そして切望や死を。
/「日本人読者への「序文」」『阿姑とからゆきさん』


絢爛たるスペクタクルとともに、改造と文明の名で押し寄せた近代は、植民地都市の陰鬱な景観を貫通し、女性たちの空間、閨房にまで至った。
/『京城のモダンガール』


沖縄で詩を書くとはどういうことか?それはことばが〈近代〉として充分に体験されていないところで、しかも物質としての〈近代〉がはげしい速度で都市を変客させ、村の〈共同体〉を破壊していく情況に挾撃されつつ自らのアドレッセンスを追訊する魂の行為となる以外にないだろう。地方に在りながら地方を対象化するということは、単なる土着への依拠によっては果されないし、また土着からの離反として言葉を円環化するところにもあり得ない。土から身を離する論理を縦深化すると共に、その論理化の過程で風土の肉感を体現すること――これ以外に地方に在って詩を書く方法はないのではなかろうか。それを前提にする限り、どんな言葉の実験も可能だし、どんな思想を方法化するのも可能だといえよう。
/「感受性の変容」『情念の力学』


また,近代は,単に小説なるものを可能にしただけでなく,近代という時代それ自体が,小説的な語りを要請したのではないか.近代において社会が体験するドラスティックな変容.国民国家間で生起する戦争には,国民すべてが否応なく巻き込まれる.植民地主義の侵略によって,祖国にいながらにして,自分たちが帰属する,そして自分たちに帰属するはずの大地から疎外されていくという不条理.近代という時代が,そこに生きる人間たちにもたらすトラウマ(精神的外傷)その不条理さゆえに言葉で名づけ,「経験」として飼い慣らし、過去に放り込むことのできない〈出来事〉の暴力.そうした,言葉では語ることのできない体験,〈出来事〉を,物語として語るという時代の要請を,小説は自らの身に引き受けたのではないだろうか.言いかえれば,小説の語りには,そうした出来事の不可能な分有の可能性が賭けられているのではないだろうか.
/岡真理『記憶/物語』(思考のフロンティア)
「流星、虎の尾、星下り。肩ぐるまして、毎年みせに連れてったもんだ。おめえは仕掛け花火が好きだったなあ。ドーンと鳴るたんびおめえの足がビクッて震えてな、そんなことまで忘れてねえよ。あんときゃ、愉しかったな。いつのまにか、おっそろしくデカくなっちまった。おれはこんなだが、おめえが生まれたときは嬉しかった。神さん仏さんに感謝したぞ。けど、おめえがデカすぎて、八重子が死んじまった。そのことだけは、いつまでもおめえを恨みぬいとる」
「わるかったな。すまんな、生まれて」
/「ユーモレスク・ピカレスク」『JUNE全集 第7巻』
尚ほ玆に逸することの出来ぬのは、西伯利の奥地まで入込んでゐた娘子軍の愛國的行動である。一口に醜業婦といへば士君子の口にするさへ厭ふ所であるが、彼女等は夙に西伯利の奥へ奥へと進んで行つて我が同胞の發展して行く第一線に魁けをなし、一種の嚮導者たる任務を盡す一方、窃かに祖國に報いんとする愛國的行動を心掛け、實に涙ぐましき程の努力をしたのである。特に彼等は國事の爲めに盡瘁する軍人や志士等が奥地へ入り込み来る場合には、進んで此等の士の世話をなし、その行動を援助することを祖國に報ゆる所以の道と考へ、實に思ひ寄らざる勲章を樹てることが度々あつた。娘子軍は多く九州方面の出身の者が多かつたが、氷雪肌を劈く西伯利の曠野の果まで進むに當つても純然たる日本の服装をなし、僅に一枚のシヨールを纏ふて寒さを凌ぎつゝ突進するのが常であつた。

/『東亜先覚志士記伝 上巻』
#「渺渺録」(企業・組織擬人化)
船出のときは「それは美しく」、やがて船乗りたちの「巨大な機械」となり、そして最終的には水夫にとって、とりわけ奴隷たちにとって「浮かぶ牢獄」となった。船上のほとんど全員が、なんらかの意味での囚われ人であり、ひとつの社会制度と化した恐怖と死のシステムの犠牲者であった。
/『奴隷船の歴史』
五 マイノリティから多数へ
 マイノリティという言葉がある。私はこれまで日本社会の中でそのように名指され、私自身、そのように自己規定してきた。私が世界と向き合う以前から、マイノリティという表象は用意されており、マイノリティの人権を取り戻すためのものであれ、マイノリティを消費するためのものであれ、その語りが氾濫していた/いるからだ。しかし今思えば、私はこれまで、マイノリティという言葉の檻に閉じ込められ、存在も想像力も切り縮められてきたように思う。マイノリティという言葉に捕われている間は、マジョリティあるいは日本人と対時する関係に自己が限定されていたためか、東アジアで客死した朝鮮人の死者を感覚することはできなかった。そして、朝鮮近代文学研究者としてポストコロニアリズムに依拠しながら活動するなかで、知らず知らずのうちに、マイノリティという場所にすら安住させられ、マジョリティによって消費・管理されていくシステムに組み込まれていたように思う。これは、宿命として、私をとりまく不自由であり、政治あるいは政治的なるものである。
 私は、マイノリティではなく、多数である。私は今、この在り方をもって、マイノリティという言葉に対して復讐するべきなのだと思う。多数とは、多数派や少数派といった数の論理ではなく、内在化している他者の存在の大きさにもとづく在り方である。自己を解体し、掘り下げていったときに出遭う影。どれだけ自己を解体し、その影と共に在るのか。多数とは、〈死者と共に在る〉人間存在の基本にもとづいた思想であり、目には見えないけれども、消えたわけではけっしてないものを表現する意志である。私は、マイノリティではなく、多数である。ここで、私は〈来たるべき自己決定権〉にもとづいて、このことを決定する。そして、多数としての私は、もうひとりの多数へと呼びかける。「「祖国」復帰という大命題にその目を曇らされている一人の熱心な「復帰」主義者であった」自己を他者としてその内に抱えている新川明氏へと。
 「私は日本の国民が恐い。沖縄の人間のひとりとして、日本の国民は非常に恐いわけさ」「新川明d、七三頁]。季刊『前夜』(九号、二〇〇六年秋)でのインタビューにおける新川氏のこの言葉がとても印象深く、今でも私の中に残っている。周囲の無理解の中でも孤高に反復帰を生きてこられた氏の言葉であるからこそ、この「恐い」という感覚には、とても深い想いが込められているように思う。幸運にも私はインタビューの場に居合わせたのだが、新川氏は、この言葉を大袈裟にではなく、さらりと、率直におっしゃっていた。
 私は共感する。二〇〇六年一〇月九日、朝鮮民主主義人民共和国によって核実験がなされた後の日本社会で、私は、ウシロカラササレル、身体の緊張を覚えはじめた。それは私の歴史感覚を革命的に変える出来事であり、朝鮮と出遭う瞬間であった。関東大震災のとき、日本民衆に竹槍で背中を刺され客死した朝鮮人の身体と繋がった、そう言ってしまうとあなたは理解に苦しむかもしれないが、少なくとも、関東大震災のときから日本社会は何も変わっていないことを直感した。
 ウシロカラササレル、それはきっと痛いしとても恐いことなのであるがしかし、今は恐くない。客死した死者と共に在る、あるいは、これはテント芝居「野戦之月海筆子(ヤセンノツキハイビィーツ)」の桜井大造氏の言葉であるが、死者に抱かれた、からなのだと思う。客死した死者に抱かれている私(たち)は、マイノリティではなく、多数である。これは、「野戦之月海筆子」のテント芝居を通じて、この手と足でテントを建て、役者として地を踏みしめて表現するなかで身体化された希望である。
 私の身体は今、客死した朝鮮の死者に呼ばれるようにして、東アジアを感覚している。沖縄で客死した朝鮮人の死者、台湾で客死した朝鮮人の死者のことを知りたい、そう切に思う。沖縄戦のとき、沖縄人に竹槍で背中を刺され客死した朝鮮人の、その刺される瞬間の眼に映ったものを想像する――。そして、もうひとり、私が向き合うべき、内なる他者がいる。サイトウヒロシ。日本名を名乗っていたときの私だ。

/「影の東アジア」『残傷の音』
ファンネルマークにも苦労した。大阪商船は白の大の字、三井船舶は白の三本線である。それぞれの歴史をもち、このマークで世界の海に雄飛し、双方の社員には思い出深いものである。しかし、いずれかのマークを残すわけにはいかない。いろいろな図案が合併準備委員会に持ち込まれたが、なかなか決まらない。大阪商船の準備委員会の交渉委員長は専務の加福龍郎である。加福はノーマークを主張した。
「大阪商船三井船舶はトップ企業である。トップにはマークは必要ではない。二位以下がマークをつければよい。イギリスの郵便切手をごらんなさい。国名は印刷されていません。ドイツ、フランス、アメリカの切手はみな国名が記入されている。ナンバー・ワンにはマークは要らないのです」
ノーマークに決まったが、今度はその色をどうするかである。大阪商船専務の坪川五郎と三井船舶常務の鈴木久之助が相談したが、なかなか決まらない。
ふと机の上を見ると、たばこの「光」が目にはいった。このたばこは現在は製造していないが、一〇本入りの箱はだいだい色である。これにしようということになった。新会社のオレンジ・ファンネルはこうして決まった。
/『風濤の日日』
 ぼくらの父祖たちにとって国家はどうだったか?それは幻想としての国家像の暗闇であればある程、顕在化する形として女たちの狂気の挿話をとりあげることができる。昭和の十年代、素封家に育った女が、その夫は都市に就職したけれども、女が海を渡るのは当時村では禁忌だった。年月が立つうちに、ついに思いあまって磯の波打際にひざまづいている女の姿が村の誰れそれの眼にも頻繁にみえるようになった。いわば古いしきたりと禁忌によって素封家に生まれた女なのだが、「時間」の推移によって対幻想が危機にさらされるとき素封家の女は美しくしかも近よりがたい狂気と化したのだ。狂気によって孤島の波打際は都市につながる幻想であり、幻想としての村共同体が解体してあと、一種の可能性として思いみられる共同体である。その女には自覚されざる、しかも情念の内にいだかれている国家像だといえる。また可能性として思いみられた共同体は一度解体したので、それは一つの共同体の影であり、それは幻想である限り、未来の階級を女の自覚しない形で、地つづきの境域として思想者に思いみられるものだといえまいか。マツスとしての波の砕ける無人の磯でくる日もくる日も、荒波のうねり割れる響きと、島を脱出するのをむげにおとしめる村の不文律によって夾撃されて強度の自己禁忌におちいることによって、はじめてつりあう心理的危機が醸成される。それは素封家の由緒正しい子女が村の性のアナーキズムから自己疎外することによって人間形成を遂げたので、狂気は破滅へ向う解放としてでもなく、一種の鬼気をただよわせてあおじろく細っていながら、自己禁忌の極限において対幻想(都市の夫と生活を共有したい思い)は空洞化しながら一層深く女の「生」を拘束する呪縛となるのだ、といえよう。そこから女が脱出するには途はおそらく二つしかありえない。森崎和江の「権力側の祭神に接続していた巫女が、共同体の解体に従って次第にその被所有へ偏向し、やがてその領域の意識の診断者、伝達者として民間遊行の歩き巫女になった。」(「被所有の所有」)といった風に性の融合倒錯によって村共同体の幻想域に生きるか、禁忌を破砕して男たちの一方的につくった共同体を越境することによって対幻想をまっとうするか、のいずれかだ。つまりは自己の対幻想が深まれば深まるほど村共同体の禁忌は家系を通してそれにくつわをかませ浸触してゆく。無言の誰何の目たちにさらされて、狂気は必然的に自己幻想の緊張度の限界を越えるとき発狂となる。素封家の貞女たちは村ではたいてい発狂の危機をあやうく持ちこたえている女たちだ。それを吉本隆明は人間心理の闇黒にわけ入って解明する。「人間の自己幻想(または対幻想)が極限のかたちで〈共同幻想に浸触〉された状態を〈死〉と呼ぶ」(「他界論」)と。素封家の女は、幻想を共同体の方へ傾斜させ一致させる心理的すりかえによって「歩き巫女」になって狂気の、生活への解体をなしとげる情念の風化現象による個人性の喪失ではなく、最後まで個人性のますますリアリテをもつ幻想を生きその重みに耐えかねて発狂し、ついに他界したのである。沖縄に生まれ育った者は多かれ少なかれ素封家の女が自己幻想に全存在をささげ、狂して他界するまでの〈生〉の過程を土着への、あるいは共同体への屈服として単なる哀しい挿話でなしに、個人性の連帯への覚醒の予兆としてくみとらねばならないのではなかろうか。なぜなら「女人禁忌」の思想が原則的には崩壊しているのにもかかわらず、見えざる形で人間関係の心理的動因を規制する範型になっていはしないかという危惧を打ち消すことがいまだにできかねるからだ。それは共同体にまつわる気候、風土などの民族的な感受帯をいかに対象化し、脱却するかという個人性の自覚をまって始めて思想と詩の自立が問題になるのだといえよう。既成の国家の共同性が知識人たちを挫折させる日本近代のメンタリティーの病理もそこに淵源することは二度の大戦でいかにぶざまに日本の知識人たちが国家の共同性のファナァチックな危機の情況で同化解体していったかを思い返すだけで充分だろう。思想の裏切りなどという倫理の次元ではどうしても解決しようのない転向は、風土と民族の感受帯を抽出対象化し共同性を批判し自立する思想の個人性の論理がみちびきだされない限り、糾明されないだろう。論理として意識するとせざるとにかかわらず、また詩作品もその論理によって批評することが一つの確実な射程となることはたしかだ。
/「波打際の論理」清田政信『情念の力学』
※沖縄の近代について
美術と政治とをきりはなすことの要求は非政治的にみえて実はきわめて政治的である
/『在日朝鮮美術家画集』1962年、97頁。孫引『美術手帖』2019年12月号、42頁
誤解を避けるためにつけ加えておかなくてはならない。「軍事大国」化を支えたのが養蚕家や製糸工女たち(あるいはひろく農民や労働者たち)であったというとき、そのことは「軍事大国」化のためには彼らの犠牲的献身は「やむを得なかった」ことを意味したり、ましてや彼ら自身が「お国のために尽そうとして」ひたすら苦しい条件のなかで繭や生糸をつくり続けたということを意味するのではない。
 もちろん、為政者や資本家など総じて支配する側にある人々は「蚕糸は国の礎」と説き続けることで苛酷な収奪を(おそらく自らに対しても)合理化していたし、そうした国家主義的イデオロギーが様々な形で農民や労働者の内面を支配していたことを軽視することはあやまりであろう。にもかわらず、極めて明瞭であるのは、至極あたりまえのことではあるが、繭をつくり糸を繰るのは自分たちの生活のためだったのであり、生存可能のギリギリの水準において必死に生活をまもろうとした人々こそが、養蚕製糸にかりたてられていった人々の大部分であったということである。そうした人々の必死の労働の成果が「軍事大国」化に動員されていったというところに、日本の《近代》のもつ、いわば最も荒涼とした意味があらわれているのだ。
/『繭と生糸の近代史』
#近代 #「渺渺録」(企業・組織擬人化)
「戦後二十五年,延々と私達の主体は心ある日本人の鏡の役でしかありませんでした」。ここで指摘されているのも,いい日本人をつくるための鏡として在日朝鮮人がずっと設定されてきており,朝鮮人に対して親切にすればいい日本人,差別した人は悪い日本人,という構図なわけです。こういった構図のなかでは朝鮮人自身が主体となることはありませんし,朝鮮自体が抱え込んでいる問題がともに解決すべき問題として共有されることもありません。つまりマジョリティたちを照らしだすための鏡としてマイノリティが利用されていることについて厳しく指摘されているわけです。この指摘は最近になってなされたものではありません。講演のなされた1971年に既に指摘されているものです。
/藤井たけし「帝国の養女の里帰り」
#「渺渺録」(企業・組織擬人化)
或る日のこと、私の扉を誰かが叩く音がした。一人の兵士がかなりおずおずとした様子でそこに立っていた。次の瞬間私はびっくりした。リルケ――軍装したライナー・リルケだったのだ!彼は痛々しいほど不器用げに見えた。詰襟のために窮屈な思いをし、どの将校にも長靴をかちっ(・・・)とぶつけて敬礼せねばならないという考えのためにどぎまぎしていた。そして、完璧ということへの魔的な強迫にとらわれている彼だから、このような軍規の些細な形式をも模範的に正確に遂行しようと思っていたため、絶えず困惑の状態のなかにいた。「私は」と彼はあの低い声で私に言った、「この軍服というものを幼年学校以来きらっていました。もう永久に逃れたと思っていたのですが。今、ほとんど四十歳でもう一度着なくてはならないのです。」幸い彼を守る救いの手があって、彼はまもなく好意的な身体検査のおかげで免除となった。別れを告げるため、もう一度彼は――そのときはすでに私服にかえっていたが――私の部屋に入って来た。私はほとんど、風のように吹き込んで来た、と言いたいくらいである(そのように筆舌に表し難いほど音もなく、彼はいつでも歩くのだった)。彼は私になお礼を述べに来たのだ。私がロマン・ロランを通じて、彼のパリで没収された蔵書を救おうと試みたからである。初めて彼は、もう若くないように見えた。恐怖の思いが彼の精魂を使い果たしてしまったかのようであった。「外国に行きたい」と彼は言った、「外国に行けるのなら!戦争はいつも牢獄ですね」。そして彼は立ち去った。今や私はふたたび全く孤独となった。

/『昨日の世界 上』
選衡経過には白々しいことを書きましたが実を申せば何万首といふ数の割に全くどうでもいいやうな歌の多いのに驚き呆れ、とはいへさうした作者たちが無言の非難を向けてゐるやうに思はれましたのは『それでもげんざい短歌研究に載つてゐる歌よりはましだろう?』といふことです。おほきにさうには違ひなく、苦笑するしかほかないのですが、まあそんな中で、中城さんと大塚陽子さんの御二人の御歌だけは目立つて鮮やかな作で、漸く救はれた思ひがしました。

/「中井英夫・中城ふみ子往復書簡」『黒衣の短歌史 中井英夫全集10』
韓国語の読み書きもできなければ母国に住んでいる韓国人の生活の実態も知らずに、一体どこを依拠して「連帯」を語り、「反体制」を呼びかけることができるというのだろうか。さらにいえば、学生という特権と身分をこれまで通り享有したままで、果たして真の意味の革命というものを目指すことができるのだろうかなどなど。私は国籍問題に対する同胞社会のヒステリックなまでの反応に出くわすたびに疑問を覚えるようになり、口先だけの「我が国」を論じ「革命」を叫ぶ「韓文研」の活動に、懐疑を抱くようになりました。
[…]
 その頃の私としては、実体もなしに言葉だけを弄ぶ政治的なスローガンよりも、個別的な問題に目を向け、生き方においても特権的なものとは無縁の態度をめざしながら、実感のともなう運動を展開していく方向で自分の生きざまを確認し、また把握したいと思っていたのです。
/李良枝「私にとっての母国と日本」
本級や、“あるぜんちな丸”級,日本郵船の新田丸級らを「戦争により薄命に終わった悲劇の美女たち」といった表現で現わす例が多い。それはそれで間違いではないのだが、この時期特に政府の補助を受けて建造された多くの船舶は、いずれも戦争への投入を前提としたボランティア・フリート的な性格を強く持っていた。つまり戦争がなければ生まれ来ることはなかった特殊な存在であることもまた確かなのである。

/小林義秀「報国丸クラスの航跡」『世界の艦船 1998年2月号 No.535』
 やはり今思っているのはですね、この論文では一番最後に書いたことですが、最近の靖國は非常に危険な領域に入ってきているように思います。危険というのは、軍国主義の危険とかそういうことよりも、議論が非常にこう抽象化・観念化していっているのですね。要するに私もそうだったわけで、地に足がつかない議論が非常に多い。つまり理想というものはある程度追っていかないといけないでしょうが、ただ、やはりいろんな側面を見てますとですね、何と言うんですかね、生身の人間が見えない議論というのがすごく多い、という感じがします。
 それで、昨年私が論文でも取り上げたAさんBさんといった方々と面談したわけですが、実は今年になってAさんから電話があって、「先生、お元気ですか、お会いしたいですね」と仰しゃるんですね。向こうからですね、不意に。私としては嬉しいことですね。フィールドワーカーとしては嬉しく感じるものですが、何か話したいというより、顔がみたいというのです。「じゃあお会いしましょう」ということで、ちょうど永代神楽祭で靖國神社に来られるというので待ち合わせましてですね。まあ経済的にもそんなに裕福な方じゃないんですけれども、「今日は私に出させてください」と仰しゃるので天ぷらそばを御馳走になったりですね。そんなことがあって、その時はもう調査の面談ということではなくて、いろいろ身の上話などお聞きしたのですが、そういう会話の中から見えてくるものっていうのは、何というか、政治レヴェルの議論とは非常に違う世界なんですね。
 それからまた、私がかつて学生時代に仙台で下宿をしていた時の大家さんが、いわゆる戦争未亡人で、息子さんを御自身で育てるために、御主人の没後に下宿業をやっていた方でした。この方なんかはですね、別に思想的に反靖國ってわけじゃないんですが、要するに「お上が祀る神なんて自分には関係ないし、生活するのが精一杯よ」という人たちで、靖國神社にも行かないわけです。だから、逆に自分から永代神楽祭に申し込む方たちというのは、どういう人種なんだろうという関心から、何人かに面談してみたんですね。すると、これもまあ、決して右翼でもガチガチのナショナリストでもない。本当にごく普通の方々がいろんな動機や事情でこう関わっている。まさに、それぞれの個人性なんですね。
 そういったものを見ていったときに、一人一人を見るとですね、やはり亡くなった人を弔うことの中で自分自身が救われるというような方もいるし、これが靖國神社である人もいれば、そうじゃない別の人もいるということで、そこの個性は非常に多様だと思います。そういうものを、こう何というか、抜かしてしまう議論は危険だということですね。それは反靖國の立場の論者にもいえる話なんですね。で、だからやはり最後は、個人の一人一人に目を向けていったときに見えてくるものが大切になる。靖國の英霊と聞いたときに、それを「あの子」「あの人」「あいつ」というように受け取れる人たちですね。
 ところが「あの子」と呼ぶようなお母さんというのは、もういなくなっちゃった。そして「あの人」というと奥さん、「あいつ」といえば戦友ですが、そういう人たちも少なくなって、そうなると、すべてが抽象的な政治的レヴェルの議論になっていく。そういうある意味では危険なというか、新しい段階に入っている。そこでかつてのように、個と集団との緊張関係を取り戻すにはどうしたらいいかということは、よくわからないのですけれども、やっぱりそういう人たちの想いや信仰に立ち返って、それを大事にしていくことが重要ではないか。靖國神社の中でやってきた営みというのは、そういう緊張関係の根っこにある独特の救済構造に支えられている。それを明らかにしたい。たぶんそれは単なる好奇心だけではなくて、自分自身の生き方の問題としてでもある。まあ、こんなことにですね、考えを巡らせてきたということです。

/『慰霊と顕彰の間』「危険な領域に入る靖國論争」
逆説的ではあるが、女性たちが跡形もなく記録から抜け落ちたようなとき、かの女らが歴史研究者たちを悩ませる致命的な選択をしたことに、わたしは気づかされた。
/『阿姑とからゆきさん』