日本人にとっての戦前の大連体験や、上海で書かれた昭和期文学は意外と先行研究が多い どれも絶版しているけれど…
良い…と思ったらぜひ押してやってください(連打大歓迎)
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2026年9月9日 この範囲を時系列順で読む
「戦前期の日本人の書いた上海文学」が知りたくて、ブクログで、例えば「上海」と調べた場合に、検索結果に出てくるのは「Amazonで品切ではない」本が多いです(Amazonの商品情報に寄っている…おそらくブクログや読書メーターやReadsはアフィリエイトで成り立っている)。
ですので、Amazonマーケットプレイスにしか出品がない新品品切れ本は検索結果に出ないことが多いし、中古含め完全品切の場合はほとんど検索で出てこないです(ISBNを直打ちすると出てくれる場合があります)。
いろいろ試した結果、絶版本含めて先行研究になるべき本をいちばん探しやすいのは「国立国会図書館サーチ」でした。目次までちゃんと検索できるので。先行研究を探す場合はここが良いと思います。
https://ndlsearch.ndl.go.jp/
ですので、Amazonマーケットプレイスにしか出品がない新品品切れ本は検索結果に出ないことが多いし、中古含め完全品切の場合はほとんど検索で出てこないです(ISBNを直打ちすると出てくれる場合があります)。
いろいろ試した結果、絶版本含めて先行研究になるべき本をいちばん探しやすいのは「国立国会図書館サーチ」でした。目次までちゃんと検索できるので。先行研究を探す場合はここが良いと思います。
https://ndlsearch.ndl.go.jp/

現パロ・前世の記憶アリの部 バトがアメリカ横断旅行でヒッチハイクをする話 随伴しているモンがヒッチハイクの危険性を解き全力で反対する話 地の果てまでではなく世界の果てまで行きたい2人の話…
「新大陸」に感動する、前世の記憶ありのバト(&モン)の漫画が読みたい
#『天幕のジャードゥーガル』
2026年9月8日 この範囲を時系列順で読む
①疲れた日はとにかく早く寝て、明日に備える。だらだら意味もなくSNSをしない。
②もっと本を読む。
②もっと本を読む。
2026年9月7日 この範囲を時系列順で読む
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2026年9月6日 この範囲を時系列順で読む
2026年9月5日 この範囲を時系列順で読む

映画「アンダーグラウンド」パロのこと、飽きずにいつも考えてるけど、殺したはずのトルイがオゴタイを出迎えてくれて、いつもの抱擁とキスみたいな挨拶をしてくれて、許すけど忘れないよと弟は揚々と笑って、乾杯して、料理を食べて、笑って、彼らは永遠の草原にあり、しかし永遠の草原にしかおらず…
#『天幕のジャードゥーガル』
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気づき
月光荘の水彩絵具はネト…としていていつまでもパレットに残るので(下記画像参照)混色が大量にしやすいかも
ホルベインはほぼ残らずに終わるので、混色がしづらいというか……
月光荘の水彩絵具はネト…としていていつまでもパレットに残るので(下記画像参照)混色が大量にしやすいかも
ホルベインはほぼ残らずに終わるので、混色がしづらいというか……
あの年齢特有の精神的憂鬱を抱えていた時に、リブロ池袋で「中井久夫コレクション」を立ち読みしていたことを思い出す
あとあの時期はあの建物で時々古本市がやっていて……(思ひ出)
あとあの時期はあの建物で時々古本市がやっていて……(思ひ出)
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リブロ池袋の薫陶をギリギリ受けている人間だけど、この朝日新聞の記者もそうなんだろうか
「リブロ池袋本店の跡地にオープン」と言われてピンとこない人も多いのでは……2015年ですよ?リブロ池袋の閉店は…
2026年9月4日 この範囲を時系列順で読む
サイト 一生改装中なの 恥ですね
2026年9月3日 この範囲を時系列順で読む
これは外国人の間違いを揶揄しているのではなくて、資料を見たまま描くのには限界があり、多少の知識の裏打ちが必要だよねの話です
外国人が、日本語で漫画作品名を絵に手書きで添えている時に、「ー(長音符)」の向きが違う(縦書きに日本語で書かれているのに長音符だけ横になっている)ものを何度か見たことがあって、私は長音符の向きなんてまったく考慮したことが無かったから、そうか!そうだったよな!という納得が…
こういう「見たままに描き写しても、知識がないとミスになる」ことは歴史ものにもよくあるので(たとえば私は船のファンネルが徴傭時に黒塗りにされることを最初は知らなかったので、平常時のファンネルの写真を見ながら徴用船を描いたことがある)やはり難しい
こういう「見たままに描き写しても、知識がないとミスになる」ことは歴史ものにもよくあるので(たとえば私は船のファンネルが徴傭時に黒塗りにされることを最初は知らなかったので、平常時のファンネルの写真を見ながら徴用船を描いたことがある)やはり難しい
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映画的を目指すならなおさら漫画からモノローグはなるべく排除したいんだけれど、ショートカットでわかりやすく、説明になり、隙間を埋めやすいのはモノローグの強みなんだよね…
ふねを上空から描くこと、とりわけ戦時期の徴用船・輸送船を上空から描くことに対して敏感ではある……航空機からの目線になるので 空爆する米軍目線を示唆されるというか
2026年8月31日 この範囲を時系列順で読む

装丁は早めに想定しておかないと私自身が盛り上がらないのと、あと結局ギリギリ入稿で「アートポスト(マットPP)表紙+上質72.5kg」になってしまうので 考えています カバー付き・中身の本はまっ赤にしたい
#「カインとアベルの円舞曲」(天幕のジャードゥーガル)
「右手が血にまみれているような感覚」「せっけんで洗っても、ぬるりとした血の感触がぬぐえず、さてどうしたものかと、窓の外をながめたりした」『ユリイカ 特集・スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ』「声を翻訳する」(『セカンドハンドの時代』の日本語訳者の回想)
#「カインとアベルの円舞曲」(天幕のジャードゥーガル)
#「カインとアベルの円舞曲」(天幕のジャードゥーガル)
2026年8月30日 この範囲を時系列順で読む
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そういえば『マーダーボット・ダイアリー』の夢小説を書いたことがあった(!?)のと、その後記として書いた文章があるので掲載しておきます。
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――なぜ夢小説になったのか?
津崎飛鳥(以下、津崎):第一に、私が二次創作で物語を書くのが得意ではないからではないか。具体的にいえば、筆者があえて描かなかった物語の余白を私の拙い描写で埋めることに冒涜と嫌悪を感じる時がある。また、それを感じない時もある。前者と後者には明確な違いがあり、おそらくそれは物語における「視座」の違いのはずだが、これを言語化することに未だ成功はしていない。そのため前者も後者も含まれた二次創作全般に苦手意識がある。
ただ、その苦手な二次創作を描くための明快な解決方法はある。それは原作枠では確実に存在しないし、これからもあり得ない話を描く事だ。たとえば『マーダーボット・ダイアリー』で言うのならば「マルウェアに感染した警備ユニットがグラシンに一目ぼれする」とか、同シリーズの『ネットワーク・エフェクト』時に「ラッティとティアゴが不倫をしていて警備ユニットが満を持して『眼を潰す』」話とか、そんな話を描けばいいのだ。それは筆者があえてえがかなかった余白と余情を勝手に埋める行為でも、筆者のえがく素敵な話に勝手にらくがきを足しているとかでもなく、完全な二次時点での創作だ。それが二次創作というものだ。二次創作をする者はその両者を明確に区別し、自覚的に描くべきではないか、と感じている。また、この提言は筆者の物語にらくがきを描き出す行為が悪だと断じているのではないとは明言しておきたい。この点、夢小説は潔いほど「ありえない話」である。
第二に、「ノスタルジア 標準語批判序説」はいわゆる夢小説というよりは『マーダーボット・ダイアリー』の世界観への所感の文章だ。いくつかのところに記載したが、あれはあの惑星の行政や福祉や「障害」の文章が主体となって構成されているのであって、「推し」キャラと自己が投影されたであるらしい架空キャラとの愉快な関係性の物語ではない。正直そんなものはどうでもいい。いわゆる純粋な「難民」といわれる立場に置かれている登場人物がマーダーボット以外に不在であったために、「障害」を明瞭化することが二次創作では困難だった。警備ユニットは人間の福利厚生など享受しない。医療福祉は人間のものであり、人間的な話でもある。病や貧困の話である。だから結果としてこのような形に落ち着いたまでだ。いわば夢小説とは氾濫した理論と形式のスケープゴートだ。この氾濫は命名により調停される。視座を失い、着地点が曖昧となった物語がたまたま夢小説と名づけられたにすぎない。
――着地点が曖昧となりつつも、物語で目指したものは何か?何度か指し示している「障害」と関係があるのだろうか?
津崎:この物語は、ある種の難題的人生が社会用語へ収斂されていくさま、一個人の文学的ともいえる体験が行政に障害として認定されるさまを想定してえがいた。太宰治の破滅的人生と鬱鬱とした文学的思考が現代の精神医学へ繋がれたときそれは五六文字程度のただの病名として収斂される。収斂までのそれまでの経過は一言で断言しきられる。診断書などによって。あるいは素人の無邪気なレッテル貼りによって。
この物語は「経過」が主題だ。昔の-1から現在の0への移行の間を経過と呼ぶ。0地点から見たその経過を、過去とか、追想とか、栄光とか、思い出とか、昨日の世界などと呼ぶ。それぞれがそれぞれの想いで名前をつけて過去を呼ぶ。主人公は過去を苦々しいベル・エポックと解釈していただろうし、アンは長期間の被虐待経験と呼ぶだろう。企業に雇われていた、灼熱の採掘施設で労働していた、選別台を動かしていた、同僚が殴られていた、集鉱機に落ちて死んでいった、働くことは辛くて熱くて苦しかった、誰かが泣いていた……だがそこには小さな石ころみたいな幸せがあったのだ、労働と幸福が奇妙に結びついていたのだ……という企業リムの世界は、プリザベーション・ステーション警備局の上級局員のインダーによって「企業の奴隷労働者収容所」と定義される。ここで私はヴィクトール・フランクルを想起する。ナチに囚われたユダヤ人の絶対的な強制収容所体験を喚起させる。彼には収容所においての経験がある。そこでも彼は点呼場の前で仲間たちと見た夕暮れの空の美しさを忘れなかった。彼は労働苦役で壕を掘っていた最中でも、外に見た絵画的情景を憶えていた。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所でも収容者たちは「感動する」という人間的感情を捨てなかったのだ。「奴隷労働者」が「収容所」で見た世界の美しさを、どうしてインダーが否定できよう。精神病既往歴や虐待経験歴を診断書に書かれたとき、誰にかれが「ただの不幸な人間」「かわいそうな人間」だと断定する権利があるだろう。それは他人に対する越権行為である。その行為に対して、自身も理由は分からないが一つの執着を感じている。人間の体験はそのように矮小化されてはならないと感じる。それが個人の負の時代であろうとも。いや負であるからこそ、なのか。
また、この物語を完結させようとしたきっかけは今回の参議院選挙であったために、初期計画であった「障害」のほか、いわゆる「難民」、移民の物語という色も濃く現れた。「ファースト」と呼ばれる人種が存在する、という思想が存在する、という一つの共同体が存在する、ということも念頭に置いて書いた。また、日本語=標準語と生存の関係については、李良枝の愛読者を自負する者として一定の考慮をしたつもりだ。
――内容の出来に自信はあるか?
津崎:夢小説マニアではないので夢小説みを達成しているのかわからないが、一つの小説としては正直、多少なら面白いと思う。
――正直疲れてる?(笑)
津崎:疲れてる(笑笑)普段やってないことをやっている自覚はある。この夢小説もそのひとつにすぎない。いずれにせよ、それを自覚し、自省し、ここから跛行し出発するしかないように、私は思うのだ。
(『文学通 2025年8月号』「『ノスタルジア 標準語批判序説』完結にあたって・著者インタビュー」より一部抜粋)
#『マーダーボット・ダイアリー』
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――なぜ夢小説になったのか?
津崎飛鳥(以下、津崎):第一に、私が二次創作で物語を書くのが得意ではないからではないか。具体的にいえば、筆者があえて描かなかった物語の余白を私の拙い描写で埋めることに冒涜と嫌悪を感じる時がある。また、それを感じない時もある。前者と後者には明確な違いがあり、おそらくそれは物語における「視座」の違いのはずだが、これを言語化することに未だ成功はしていない。そのため前者も後者も含まれた二次創作全般に苦手意識がある。
ただ、その苦手な二次創作を描くための明快な解決方法はある。それは原作枠では確実に存在しないし、これからもあり得ない話を描く事だ。たとえば『マーダーボット・ダイアリー』で言うのならば「マルウェアに感染した警備ユニットがグラシンに一目ぼれする」とか、同シリーズの『ネットワーク・エフェクト』時に「ラッティとティアゴが不倫をしていて警備ユニットが満を持して『眼を潰す』」話とか、そんな話を描けばいいのだ。それは筆者があえてえがかなかった余白と余情を勝手に埋める行為でも、筆者のえがく素敵な話に勝手にらくがきを足しているとかでもなく、完全な二次時点での創作だ。それが二次創作というものだ。二次創作をする者はその両者を明確に区別し、自覚的に描くべきではないか、と感じている。また、この提言は筆者の物語にらくがきを描き出す行為が悪だと断じているのではないとは明言しておきたい。この点、夢小説は潔いほど「ありえない話」である。
第二に、「ノスタルジア 標準語批判序説」はいわゆる夢小説というよりは『マーダーボット・ダイアリー』の世界観への所感の文章だ。いくつかのところに記載したが、あれはあの惑星の行政や福祉や「障害」の文章が主体となって構成されているのであって、「推し」キャラと自己が投影されたであるらしい架空キャラとの愉快な関係性の物語ではない。正直そんなものはどうでもいい。いわゆる純粋な「難民」といわれる立場に置かれている登場人物がマーダーボット以外に不在であったために、「障害」を明瞭化することが二次創作では困難だった。警備ユニットは人間の福利厚生など享受しない。医療福祉は人間のものであり、人間的な話でもある。病や貧困の話である。だから結果としてこのような形に落ち着いたまでだ。いわば夢小説とは氾濫した理論と形式のスケープゴートだ。この氾濫は命名により調停される。視座を失い、着地点が曖昧となった物語がたまたま夢小説と名づけられたにすぎない。
――着地点が曖昧となりつつも、物語で目指したものは何か?何度か指し示している「障害」と関係があるのだろうか?
津崎:この物語は、ある種の難題的人生が社会用語へ収斂されていくさま、一個人の文学的ともいえる体験が行政に障害として認定されるさまを想定してえがいた。太宰治の破滅的人生と鬱鬱とした文学的思考が現代の精神医学へ繋がれたときそれは五六文字程度のただの病名として収斂される。収斂までのそれまでの経過は一言で断言しきられる。診断書などによって。あるいは素人の無邪気なレッテル貼りによって。
この物語は「経過」が主題だ。昔の-1から現在の0への移行の間を経過と呼ぶ。0地点から見たその経過を、過去とか、追想とか、栄光とか、思い出とか、昨日の世界などと呼ぶ。それぞれがそれぞれの想いで名前をつけて過去を呼ぶ。主人公は過去を苦々しいベル・エポックと解釈していただろうし、アンは長期間の被虐待経験と呼ぶだろう。企業に雇われていた、灼熱の採掘施設で労働していた、選別台を動かしていた、同僚が殴られていた、集鉱機に落ちて死んでいった、働くことは辛くて熱くて苦しかった、誰かが泣いていた……だがそこには小さな石ころみたいな幸せがあったのだ、労働と幸福が奇妙に結びついていたのだ……という企業リムの世界は、プリザベーション・ステーション警備局の上級局員のインダーによって「企業の奴隷労働者収容所」と定義される。ここで私はヴィクトール・フランクルを想起する。ナチに囚われたユダヤ人の絶対的な強制収容所体験を喚起させる。彼には収容所においての経験がある。そこでも彼は点呼場の前で仲間たちと見た夕暮れの空の美しさを忘れなかった。彼は労働苦役で壕を掘っていた最中でも、外に見た絵画的情景を憶えていた。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所でも収容者たちは「感動する」という人間的感情を捨てなかったのだ。「奴隷労働者」が「収容所」で見た世界の美しさを、どうしてインダーが否定できよう。精神病既往歴や虐待経験歴を診断書に書かれたとき、誰にかれが「ただの不幸な人間」「かわいそうな人間」だと断定する権利があるだろう。それは他人に対する越権行為である。その行為に対して、自身も理由は分からないが一つの執着を感じている。人間の体験はそのように矮小化されてはならないと感じる。それが個人の負の時代であろうとも。いや負であるからこそ、なのか。
また、この物語を完結させようとしたきっかけは今回の参議院選挙であったために、初期計画であった「障害」のほか、いわゆる「難民」、移民の物語という色も濃く現れた。「ファースト」と呼ばれる人種が存在する、という思想が存在する、という一つの共同体が存在する、ということも念頭に置いて書いた。また、日本語=標準語と生存の関係については、李良枝の愛読者を自負する者として一定の考慮をしたつもりだ。
――内容の出来に自信はあるか?
津崎:夢小説マニアではないので夢小説みを達成しているのかわからないが、一つの小説としては正直、多少なら面白いと思う。
――正直疲れてる?(笑)
津崎:疲れてる(笑笑)普段やってないことをやっている自覚はある。この夢小説もそのひとつにすぎない。いずれにせよ、それを自覚し、自省し、ここから跛行し出発するしかないように、私は思うのだ。
(『文学通 2025年8月号』「『ノスタルジア 標準語批判序説』完結にあたって・著者インタビュー」より一部抜粋)
#『マーダーボット・ダイアリー』
しかしもちろんそうではない。それではもし歴史の重みが現在と未来にこれほど重くのしかかることがあるとすれば、歴史家の仕事の一部がその重みを解除しようとすることにあることはたしかである。すなわち、たいていの抑圧の形態は構築されたものであるから脱構築されることが可能であるということを示すこと、現在あるものが必ずしも過去にあったとは限らず、したがって未来にあるとも限らないということを示すこと、である。この意味で歴史家は社会批判者でなければならない。というのは、過去が現在や未来を抑圧する一方で解放もするのは、そういう批判という手段によってであり――どんなに矛盾しているように見えようとも、歴史家は過去自体に対して両方の行為を同時におこなっているのだから。
過去が現在を解放するというのはどういう意味かということを知るために、きわめてありふれたミクロな状況、つまり一人の若い人が彼女あるいは彼が何らかの点で「異なっている」という意識を持って成長しているという状況から始めよう。どんな点でもよい。民族としてでも、人種としてでも、性的嗜好においてでも、経済的あるいは社会的地位においてでも――名前は勝手につけてよい。変わらないのは孤立の感情、群集のなかの一人ぽっち、「彼ら」のうちの一人になれないことという感情である。そして子どもたちがお互いにきわめて残酷になりうるという事実は――おとなが子どもに対してどんなことをしているかは言うまでもなくーこの孤独さを耐えやすくするものではない。
つぎに、あなたはじつは一人ではないということ、他の人も時間や空間を隔てて同じ経験をしており、あなたを「異なっている」としている基準がじつはいつもそこにあるわけではないということを知るときの救いの感覚を想像してみよう。自分が同性愛を考え出したと絶対的に信じている――多くの人が最初はそうであるように――若者が、たとえばミシェル・フーコーやジョン・ボズウェルを読んだとき、どんな影響を受けるだろうか、考えてほしい。つぎにもっとひろい焦点に移ろう。たとえばW・E・B・デュ・ボアの奴隷制と南北戦争後の再建期に関する作品が復活したときや、C・ヴァン・ウッドワードが南部の人種隔離はつねにあったわけではないということを示したときのアメリカ公民権運動の反応である。さらに視野をもっと広げて女性史運動が一九七〇年代や一九八〇年代に発展したときを取り上げてみよう。ここでの目的は女性抑圧の源は時間を超えたものではなく時間に縛られたものだということを証明することによってすべての女性を解放することにほかならなかったのである。
/ジョン・L・ギャディス『歴史の風景』
過去が現在を解放するというのはどういう意味かということを知るために、きわめてありふれたミクロな状況、つまり一人の若い人が彼女あるいは彼が何らかの点で「異なっている」という意識を持って成長しているという状況から始めよう。どんな点でもよい。民族としてでも、人種としてでも、性的嗜好においてでも、経済的あるいは社会的地位においてでも――名前は勝手につけてよい。変わらないのは孤立の感情、群集のなかの一人ぽっち、「彼ら」のうちの一人になれないことという感情である。そして子どもたちがお互いにきわめて残酷になりうるという事実は――おとなが子どもに対してどんなことをしているかは言うまでもなくーこの孤独さを耐えやすくするものではない。
つぎに、あなたはじつは一人ではないということ、他の人も時間や空間を隔てて同じ経験をしており、あなたを「異なっている」としている基準がじつはいつもそこにあるわけではないということを知るときの救いの感覚を想像してみよう。自分が同性愛を考え出したと絶対的に信じている――多くの人が最初はそうであるように――若者が、たとえばミシェル・フーコーやジョン・ボズウェルを読んだとき、どんな影響を受けるだろうか、考えてほしい。つぎにもっとひろい焦点に移ろう。たとえばW・E・B・デュ・ボアの奴隷制と南北戦争後の再建期に関する作品が復活したときや、C・ヴァン・ウッドワードが南部の人種隔離はつねにあったわけではないということを示したときのアメリカ公民権運動の反応である。さらに視野をもっと広げて女性史運動が一九七〇年代や一九八〇年代に発展したときを取り上げてみよう。ここでの目的は女性抑圧の源は時間を超えたものではなく時間に縛られたものだということを証明することによってすべての女性を解放することにほかならなかったのである。
/ジョン・L・ギャディス『歴史の風景』














一次創作と擬人化(艦船擬人化/企業・組織擬人化)を描いています。各公式、実在の組織・団体とは一切関係がなく、一個人が趣味で描いたものを掲載しています。
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