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湯浅政明大全 Sketchbook for Animation Projects

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特設艦船とマックスに失礼だろ
ペーパーよい コミティア楽しみすぎる
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ここで言及するか悩んだのですが、フォロワーさんが『春のまひる』のPOP(書店のあれ)を描いて下さり、Blueskyに投げて下さったのでRPしてます。私のブルスカアカウントを見てね…
『春のまひる』本当に良い コミティアよろしくお願いします
いいねボタンポチポチありがとうございます~
本級や、“あるぜんちな丸”級,日本郵船の新田丸級らを「戦争により薄命に終わった悲劇の美女たち」といった表現で現わす例が多い。それはそれで間違いではないのだが、この時期特に政府の補助を受けて建造された多くの船舶は、いずれも戦争への投入を前提としたボランティア・フリート的な性格を強く持っていた。つまり戦争がなければ生まれ来ることはなかった特殊な存在であることもまた確かなのである。

/小林義秀「報国丸クラスの航跡」『世界の艦船 1998年2月号 No.535』
ペーパー集って何?
今回は様々な特殊紙に印刷されたペーパーを、ペーパーファスナーで綴じる形です!我ながら形態が謎。

こんな感じです(画像は自宅印刷の仮組で、実物のペーパーではありません)

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デリックポストが白色のまま…泣
2/22コミティア155でペーパー集(?)を頒布します

船舶擬人化創作漫画同人誌『春のまひる』の副読本…ならぬ副読ペーパーです。
「擬人化漫画の副読」という体裁ですが、だいたいは「最近入手した紙ものが良い!このままだと破産する」という話です ホントそれだけ

#「春のまひる」(船舶擬人化)
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『慰霊と顕彰の間』で「議論が非常に抽象化・観念化している」「生身の人間が見えない議論というのがすごく多い」とあって、これはもう、自分が当事者でない以上仕方ない面があって、この抽象化・観念化への抗い、当事者ではない自分が当事者になるための、生身の人間を「再発見」するための手法としてのフィクション(ここでいうのなら大戦期の戦争のフィクションになる)がある と最近は理解し始めた
 やはり今思っているのはですね、この論文では一番最後に書いたことですが、最近の靖國は非常に危険な領域に入ってきているように思います。危険というのは、軍国主義の危険とかそういうことよりも、議論が非常にこう抽象化・観念化していっているのですね。要するに私もそうだったわけで、地に足がつかない議論が非常に多い。つまり理想というものはある程度追っていかないといけないでしょうが、ただ、やはりいろんな側面を見てますとですね、何と言うんですかね、生身の人間が見えない議論というのがすごく多い、という感じがします。
 それで、昨年私が論文でも取り上げたAさんBさんといった方々と面談したわけですが、実は今年になってAさんから電話があって、「先生、お元気ですか、お会いしたいですね」と仰しゃるんですね。向こうからですね、不意に。私としては嬉しいことですね。フィールドワーカーとしては嬉しく感じるものですが、何か話したいというより、顔がみたいというのです。「じゃあお会いしましょう」ということで、ちょうど永代神楽祭で靖國神社に来られるというので待ち合わせましてですね。まあ経済的にもそんなに裕福な方じゃないんですけれども、「今日は私に出させてください」と仰しゃるので天ぷらそばを御馳走になったりですね。そんなことがあって、その時はもう調査の面談ということではなくて、いろいろ身の上話などお聞きしたのですが、そういう会話の中から見えてくるものっていうのは、何というか、政治レヴェルの議論とは非常に違う世界なんですね。
 それからまた、私がかつて学生時代に仙台で下宿をしていた時の大家さんが、いわゆる戦争未亡人で、息子さんを御自身で育てるために、御主人の没後に下宿業をやっていた方でした。この方なんかはですね、別に思想的に反靖國ってわけじゃないんですが、要するに「お上が祀る神なんて自分には関係ないし、生活するのが精一杯よ」という人たちで、靖國神社にも行かないわけです。だから、逆に自分から永代神楽祭に申し込む方たちというのは、どういう人種なんだろうという関心から、何人かに面談してみたんですね。すると、これもまあ、決して右翼でもガチガチのナショナリストでもない。本当にごく普通の方々がいろんな動機や事情でこう関わっている。まさに、それぞれの個人性なんですね。
 そういったものを見ていったときに、一人一人を見るとですね、やはり亡くなった人を弔うことの中で自分自身が救われるというような方もいるし、これが靖國神社である人もいれば、そうじゃない別の人もいるということで、そこの個性は非常に多様だと思います。そういうものを、こう何というか、抜かしてしまう議論は危険だということですね。それは反靖國の立場の論者にもいえる話なんですね。で、だからやはり最後は、個人の一人一人に目を向けていったときに見えてくるものが大切になる。靖國の英霊と聞いたときに、それを「あの子」「あの人」「あいつ」というように受け取れる人たちですね。
 ところが「あの子」と呼ぶようなお母さんというのは、もういなくなっちゃった。そして「あの人」というと奥さん、「あいつ」といえば戦友ですが、そういう人たちも少なくなって、そうなると、すべてが抽象的な政治的レヴェルの議論になっていく。そういうある意味では危険なというか、新しい段階に入っている。そこでかつてのように、個と集団との緊張関係を取り戻すにはどうしたらいいかということは、よくわからないのですけれども、やっぱりそういう人たちの想いや信仰に立ち返って、それを大事にしていくことが重要ではないか。靖國神社の中でやってきた営みというのは、そういう緊張関係の根っこにある独特の救済構造に支えられている。それを明らかにしたい。たぶんそれは単なる好奇心だけではなくて、自分自身の生き方の問題としてでもある。まあ、こんなことにですね、考えを巡らせてきたということです。

/『慰霊と顕彰の間』「危険な領域に入る靖國論争」
ギョギョ〜ッ!この灰色の細長い子は、九三式魚雷ちゃん!とーっても強そうですね〜〜!!炸薬量と雷速に優れた素敵な子で、大戦当時に運用できたのは、日本海軍だけだったそうです〜!すごいです〜〜〜!!キャーッ見てくださいこの先端部分!ここには480gもの炸薬が入っているんです!この炸薬で敵を殺 #過去メモ
文学に何ができるかを考える人間だけど、物理で解決できるものは物理で解決すべきなんだよなあ
戦艦土佐のくす玉が割れないことを美麗な言葉で形容して、あの戦艦の自沈を悼む……のもいいが、実際に必要とされているのは次の艦では失敗しないくす玉を設計をすること、みたいな
#過去メモ
小説書きは文学の重みを信じている、言葉は祈りそのものであると信じている、この祈りは人間の争いを止める力がある。この想いは、小説書きがTwitterという140文字の消費社会にアカウントを作り交流し、「書こうかなと思っている小説ネタ」に予想外にいいねがつき承認欲求が満たされた時に、死んだ。 #過去メモ
メモで一押しなのCosense(scrapbox)かもしれん
X(旧Twitter)をしているとすぐに忘れるけど、兵器に興味がない人の中には「兵器好きは右翼」だと思っている人が世間にいるのは事実なので、インターネット外で容易に好き♡をするのは危うい(再確認)

むしろXにはあるが世間には無い認識として「兵器が好きなフォロイーは右翼ではない」「兵器は好きだけどその製造会社や所有組織が嫌いなフォロイーが少なくない数いる」「その『嫌い』は純度100%の嫌悪ではなく愛憎の場合がある」「兵器の性能の優劣と人気は別の話」がある

#過去メモ
うろ覚えだけど、映画「永遠の0」の景浦が、宮部が特攻隊に志願したことに「どういうことですか」ってつっかかるシーンが挿入されていたと思うんだけど、あの物語の構造(本意の発覚)がとてもよかった…記憶があるけどもう一度見る気がしないぜ 合コンシーンが辛すぎてサ
物語の終盤で話の前提のちゃぶ台をひっくり返される…ともちょっと違う
『ハリー・ポッター』の『アズカバンの囚人』の、冒頭の夜の騎士バスでスタンが喋ってる「大笑いしているシリウス・ブラック」の話、なぜシリウスが大笑いしているのかは物語を読めばおわかりの通りなのですが………私はこういう話の構成が好きだ。

つまり年代・時系列でいえば、
①ポッター夫妻が死ぬ
②シリウスがすべて(ポッター夫妻が死んだ理由、ピーターの裏切り)を知って大笑いする
③ハリーがその出来事(大量殺人が起きて大笑いしたこと)を知る

なのですが、物語(『アズカバンの囚人』)では、
(①ポッター夫妻が死んでいる)
②ハリーがブラックが殺人をして大笑いをしたという出来事を知る
③作中ですべて(大笑いした理由、ポッター夫妻が死んだ理由、ピーターの裏切り)を知る

という順番になっています。つまり2と3が入れ替わっているんですね。
こういうのにめっぽう弱くて、あとから、つまり再読時に改めてシリウスの哄笑に孕んだ絶望などを感じます。時間枠に余白ができますね。


ここからはすべてうろ覚えの話になりますが、映画「永遠の0」の景浦(やくざのお爺さん)の本意(宮部久蔵への想い)もこのように「時系列」と「作中の事実判明の順番」が交差していて大変燃えた記憶があります。

#『ハリー・ポッター』