破船

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◆ジャンル【 艦船擬人化企業・組織擬人化歴史・時代もの
◆分類【 思念・思索長文引用感想
◆創作話【 「渺渺録」

「海にありて思うもの」という航空母艦海鷹の小説があったのですが、完成しないのと、「ねりあぐる葛」に漫画として編入したいのとで、今のところ未完ですがメモとしてここに上げておきます。 #「ねりあぐる葛」(船舶擬人化)
 書く気が無いというよりは、ネタ自体は面白いけど構造から書き直さないと小説というものにはならないな~…という限界を感じました。陰気にあるぜんちな丸がぶつぶつ考えているだけなので。なら漫画に抽出した方が良いかも……と思いました。未定です。小説として完成させる可能性もあります。
#小説

 大阪商船三部作・第三部「ねりあぐる葛」、大阪商船の貨客船であった元あるぜんちな丸である航空母艦海鷹と、その「姉妹艦」である大鷹型航空母艦(元日本郵船の貨客船たち、大鷹・雲鷹・冲鷹と元ドイツ貨客船、神鷹)の話だと良い。大阪商船三部作であるにも関わらず。何故ならそう、あの世界で彼女たちは、故郷と帰属の差異など均されてすべて軍に統合されていたわけで、









***



この三篇を、あるぜんちな丸ではなく貨客船新田丸に謹んで捧げる。汝こそ特設艦船の極北たりき。また一編「孤独の極北」をとり、李良枝「かずきめ」に憚りながら付す。




1「南洋の追想」特設運送船あるぜんちな丸

「ふねなんだから使ってナンボだ。貨客船も運送船も何も変わらん。そうだろう、あるぜんちな丸」
 その船内は薄暗かった。華の貨客船とも勇壮なる戦艦とも違う、貧弱な輸送船の、貧弱な船内だった。物は未だ少ない。
「そうです」
 と、答えた特設運送船あるぜんちな丸の口調は柔らかかった。たおやかな乙女、それに近かった。こそばゆさと湿り気のある、囁きに似た、緩やかな響きだった。
 それが海軍さんにとっておかしかったらしい。陸戦隊のお偉い人間の一人が小さく笑った。
「いつまでも貨客船意識を持つんじゃないぞ」
「こいつは箱入り娘でしたから、相すみません」
 貨客船時代からの乗組員の一人が、慎重に腰を低く保ちながら言った。
 長年付き合ってきた経験から、その声に苦渋と反発が隠れていることがわかった。それを上手く隠すさまは貨客船の白粉の白々しさにも似ている。まるで一種の芸術のようである。あるぜんちな丸はこれからの航海の行く先を思った。長く続く一引きの航跡を想った。私は、白粉を剥がされても上手く笑っていられるかしら、と思った。もっとも、軍隊に笑顔など必要なかった。私に笑顔は必要なかった。



 祖国と南洋の間の海に、その船はあった。
 日本の国土で見あげる空よりも、ひろい青色の下に彼女はいた。一引きの航跡が、荒々しく碧い波を攪乱させる。波は大きく船腹を打つ。
 特設運送船あるぜんちな丸は、船尾から呆けたようにその航跡を覗き込んでいた。
 湿度を含んだ生温い風がきもちわるい、と思った。
 ふねのえがく航跡は、艦種も船種も関係なくどれも同じ様相をしている。船尾にかき乱された海に立つ波は、どの艦船も同じだ。もっともそんな認識は、実際を詳しく知らない者が抱きがちな、自分勝手なこじつけか、ただの印象論なのかもしれない。
 特設航空母艦、そして航空母艦になったとしても、私はおなじ航跡をえがくのだろうか。あるぜんちな丸はなんとなく、そんな感傷にとらわれた。それが自分らしくないと思った。特設運送船としての任務で海を右往左往していて、すこし疲れているのかもしれなかった。
 ふう、と一つため息をつき、あるぜんちな丸は航跡に背を向け船尾にしゃがみこんだ。することがなかった。自分は船の依り代でしかなく、姿は人間の女の身とまるでおなじで輸送任務の乗り込みの一つすら手伝うことができない。任務の目的、向かう場所、具体的な情報などは聞かされるが、時折それすら忘れられて、仔細を聞かされないことがあった。
 人間たちは戦争で忙しく、船は物資を運べればそれでよく、われら依り代はそこにいればいいだけなのだ。
 そんなあるぜんちな丸の頭上に翻るのは、大日本帝国海軍の軍用船旗だ。これもなんとなく気に食わなかった。彼女は、船客には絶対に向けなかった品のない目つきでその旗を見上げた。白と赤色は日頃掲げていた日章旗でお馴染みの色であったが、けれどこの旗にはいくつかの赤線が赤丸から外へと引かれている。ここに船と艦艇との違いがある。
 社旗と日章旗ではなく、日章旗と軍艦旗あるいは軍用船旗を掲げなければならなくなった世界を、その日章旗の位置の前後の逆転を示して「前と後ろが狂ったおかしな世界」と罵ったのは、彼女の妹だった。船は日章旗を後ろへ、艦は日章旗を前へ掲げる。
 妹とは違い、あるぜんちな丸にしてみれば「だから何だ」の一言であった。
 過去と未来に期待も失望もしないことが自分の美点であり優れた点だとあるぜんちな丸は認めていた。だからなおさらその感傷を人間みたいな情念だと感じた。あるいは人間みたいな、ではなく、この時代の海に浮かぶすべての貨客船たちのような恨み、というべきか。
「見よ東海の空あけて、旭日高く輝けば……」
 あるぜんちな丸は人間たちに愛されている一曲を呟く。
 人間たちはもう、あの世界を忘れてしまったのだろうか。
 うつくしく舞う五色のテープ。翻る日章旗。解纜のときの浮ついた幸福感。身の寄り辺である祖国との離別。たとえその船の行く先が、草も生えない開拓地だろうが未開の地だろうが、そのうつくしさは誰にも犯せない。それを一番近くで見てきたこと。一番近くで感じてきたこと。
 多くの貨客船たちは、そのことを忘れられずにいる。
 たとえば、大阪商船の貨客船ぶら志"る丸もその一隻だった。
 船であることというよりも貨客船であることにつよく誇りと自負があったわが妹、ぶら志"る丸は、航空母艦としての誉れを受ける前にその身を海深くへと没していた。あれは亜米利加軍の雷撃がなくとも、たとえ一隻でも自ら死を選んだに違いない、というのが彼女の姉たるあるぜんちな丸の見解である。わが身を帝国海軍の航空母艦何鷹云々に成すなんて、あの子は決して許さなかっただろう。
 実際、特設運送船ぶらじる丸になったあたりからあれは明らかに精神的不調を抱えていたし、その不調はその当時の軍隊での疲労や苦痛というよりもむしろ、それ以前に持ちえた過去が問題なのだった。
 貨客船として人間達に愛されすぎたのだ、と海鷹は思った。妹はその愛情溢れる過去を過去であると捨て去ることができなかったのだ。そうしてわが身いっぱいに重い思い出を抱えた彼女は米潜の雷撃で沈んでいった。過去と共に。船の身と共に。誇りと共に。愛しき船長と共に。
 人間全般にも特定の人間にも貨客船としての自分にも、あるいは海に浮くことにすらつよい愛着を持たなかったことが特設輸送船あるぜんちな丸を海へと沈めなかった要因なのかもしれない。
「あるぜんちな丸!ここに居たか」
 そう言いながら船尾に現れたのは特設運送船あるぜんちな丸の監督官である。
 海軍の中佐たる彼はいつも堂々としていて、これが軍隊の人間なのだ、とあるぜんちな丸はいつも感じていた。もちろんわが船乗りたちが堂々としていないわけではないのだが。だって、戦争中の軍人たちはとりわけ威勢がいいものなのだ。
「やることがないのはわかるが無意味にうろつくな」
「申し訳ございません。船内に居ても邪魔になるだけかと思いました」
 感情を一切表に出さず、あるぜんちな丸は応えた。
 ふう、と監督官は一つ小さなため息をついた。あるぜんちな丸を見据え、なおはっきりとした口調で言う。軍隊においていまだ貨客船気分のわがままな小娘に、よくよく言い聞かせようとしたらしい。
「あるぜんちな丸。海軍はふねを悪いようには扱わない。特にお前は航空母艦になる船だ」
 目と目が合う。
 どちらも先に逸らした方が負けだと思っている、そのようにあるぜんちな丸は感じた。なおさら目線を逸らすわけにはいかなかった。
「今は耐え忍べ。沈まないことを考えろ。海軍はお前に価値があるうちは悪くしない」
「私の乗組員はどうなりますか」
「人間様だって一緒さ」
 肩を竦めて大日本帝国海軍中佐たる監督官様は言った。
 ふねとしての価値。
 軍隊で必要な船腹であるということ。
 だいたい私たち元貨客船が戦闘詳報で自らの栄光を語れるかどうかが問題なのだ。航海日誌の横文字の英語の綴りなど捨て去れねばならないのだ。
 人間にほんとうにその気持ちがわかるのだろうか。
 元貨客船のなかには、艦梯を登る際に大きくだぼついた軍袴の横部をドレスを引くように掴んで笑われた者もいるというのだから、その身に宿すふねの(さが)は深いものだ。人間たちは、そのことを都合よく忘れている気がする。ふねは皆ふねでしかない、という幻想が人間たちの思惑の間いっぱいに漂っている。特設艦艇という身に貨客船たちが容易に適応できると思っている。もちろんそうある船はいる。そうじゃない船もいる。人間たちの国家や国籍や民族名を統合したり分割したりしても、容易にその心情までは追いついてこないのとおなじだ。もっとも本土に閉じこもっている偉い人間たちがそれに気づくとも思えない。あるぜんちな丸は外国が好きだった。外国や外国人、外国にいる、外国に行く日本人が好きだった。本土の人間は小さくて適わん、という言葉は船長から三等客までに、そして船底の唐行きたちにさえも聞かせられる囁きだった。
 航空母艦になるための船じゃないんだけどな、という思いと、生まれた時から航空母艦としての計画を備えた船だった、という事実が、あるぜんちな丸の身と心を縛った。あるいはこの時代に生まれたという事実がいけなかったのかもしれなかった。
 あるいは、私が私自身として生まれたことが。
「航空母艦になれば、とりあえず私は船尾をうろつくことがなくなりますね」
「そうだな、どこでも引っ張りだこだ。海軍で航空母艦をやるというのはそういうことだ。忙しくなるぞ」
 船底がどれだけ奥深く薄暗くても白粉姿の貨客船はいつもうつくしかった。そのうつくしさで多くの人間を惹き寄せ、惑わせてきた。そのつけが自身にも回ってきたのかもしれなかった。連れて行くのではなく連れて行かれる側に回ったということ。ただそれだけのこと。
 航空母艦何鷹か、変な名前だったら嫌だなあ。
 あるぜんちな丸はそう思った。もっとも名前なんぞ、軍の一兵として忙しくなればすぐに忘れるものなのかもしれなかった。軍隊というのはそういう場所だというのは、特設運送船でもすでにわかりつつあったのだ。


2「孤独の極北」特設運送船あるぜんちな丸と大鷹と冲鷹(と輸送船と隼鷹)

「私はもう軍艦なんだから、気軽に話しかけるなよ軍属」
 軍艦冲鷹が、特設運送船あるぜんちな丸の隣の特設運送船某へ放ったこの言葉に、その場は北方海域より寒い空気が漂った。
 少々装いが貧相なれども濃紺色の織物で統一された会議室、その窓の外からは、眩しく白い陽が差し込んでいる。あるぜんちな丸はぼんやりと、その白々しい美しさを見つめていた。
「……冲鷹、」と冲鷹をたしなめたのは大鷹型航空母艦のネームシップ、”長兄”たる大鷹であった。
「下らない揶揄は止せ」
「揶揄ではない」
「なら尚更止めろ」
 冲鷹を呼ぶ大鷹が一瞬言葉を言い淀んだのは、長女だった元姉に本当は何と呼びかけるつもりだったからなのかな、とあるぜんちな丸はぼんやりと思った。「新田丸姉さま」?それはないだろう。大鷹は一貫して帝国海軍に従順な艦であった。
 苛立ちを隠そうともしない冲鷹の不興の理由は、隣の特設運送船が何気なく、しかし必死に縋るように護衛艦艇の有無を尋ねたからだ。またそれらの具体的な艦種や艦名や、任務の内容なども。あのう、あたしたちにはどのくらいの護衛がつくのでしょうか、強い艦ですか、駆逐艦ですか海防艦ですか、船団の形はどんなでしょうか、遅い船はいっしょに居ますか、航路は島沿いですか、あたしたち何ノットで走るんですか、あたし……。
 それが自身を救う祈りの言葉になるかのようにぶつぶつと言いつのった彼女に、大鷹は明快にまた冷淡に、
「海防艦が付くと聞く。貴船の監督官の説明を待て」
 と言い切り、一方的に話を打ち切った。
 でも、でも、それに、だって……と、なおも彼女は話を続けようとし、救いを求めるように大鷹の隣の冲鷹を見遣った。人間の女の身の姿を持つ船に、同じく人間の女の身を持つ船として、何かしらの救いを得たかったのかもしれない。
 そこで話は、冒頭へと戻るわけだ。
 下らなかった。
 あるぜんちな丸は一つの陳腐な演劇を見ているような白けた気持ちになっていた。下らないやり取りを続ける三者三様に気づかれないように机の下で、つまらない気持ちで爪先の汚れを擦り取って、演技の続きを待っている。
 誰もが次の台詞を忘れたような苦しい沈黙のなかで、この劇一番の花形であった軍艦冲鷹は、いらいらとした様子で押し黙っていた。白手袋をつけた両手の親指を、神経質に動かしている。彼女は異常潔癖のきらいがある。神経質に手口の洗浄を好むのだ。
 冲鷹は今にも舌打ちしそうな表情を浮かべ、その横顔を苦々しく大鷹が睨んでいた。
 軍隊という場に潔癖を感じるのか、元々の性なのか。両方かも知れない。きっと軍隊軍属云々だって関係はないのだ。あるぜんちな丸は、冲鷹が貨客船時代の己を愛していたことを知っていた。というより、わかっていた。わかってしまうのだ。彼女のいらだちは今生の、軍艦としての生と理想との乖離から来ているのは見ているだけでわかった。この特設運送船の口調が民間船の、というより平民のそれだったことが、冲鷹の神経を逆なでしたことの一因かもしれない。
 私はもう、軍艦なんだから、気軽に話しかけるなよ、軍属。
 このあっさり放られた言葉に含まれる、戦時下の軍隊のふねたちの見事な政治性!元貨客船新田丸は無邪気で哀れ、愚かな軍艦役者だが、彼女のこの言葉の鮮やかさは手放しで褒めてやりたくなった。すなわち、未だ商船の名残を留めたる特設運送船に対し、すでに商船でない商船改造空母が軍艦であることで優越を誇る海軍という場の、露骨なまでの軍隊ざま、すさまじき地獄ぶりである。
 ここではそうあることでしか我々は生きれない、という今一度の確認を、あるぜんちな丸は冲鷹から賜ったのだ。そしておそらく、大鷹も。隣の特設運送船も。
「……隼鷹に引けを取ってはならない、戦闘に繰り出すだけが戦ではないんだ、我らは為すべきことを成さねばならない」
 隠し切れない屈辱と羨望とをその声に孕ませ航空母艦隼鷹の名を呼んだ冲鷹は、忸怩たる己の現状を直視できていないのだろう。あるいはあえて無視しているのか。
 護衛空母あるいは航空機の輸送という職務は、その貨客船の美しい身を捨てさせ、わざわざ航空母艦として改造させてまで必要だったのだろうか。航空母艦としてはまるで宝の持ち腐れだ。だがしかし、小型の商船改造空母として成しえる任務は、せいぜいそれくらいが限界だった。改造された結果の二流空母だ。正直、あるぜんちな丸はそう思っていたし、日本海軍の人間たちもそう思っているかもしれない。おそらく大鷹は思っているだろう。冲鷹だってほんとうはわかってるはずだ。
「だから……!」
 これも哀れなふねなのだ、とあるぜんちな丸は思った。あるぜんちな丸の妹同様、かつて受けた愛を忘れられないでいる。再びあの愛情を得られないからこそ積極的に捨て去ろうとしている。自ら進んで捨てることで主体性を確保しようとしている。足掻き、苦しみ、悶えている。今持ちえている(ので、あろう)軍艦の威容を誇ろうとする。わが妹とは違い、貨客船新田丸の姿を留めたまま沈没するという栄誉を得ることはなかった航空母艦、冲鷹。
 もし彼女に日本郵船の客船浅間丸を話をしたら、大日本帝国海軍お得意の木棒で打擲されるだろうか。それともむざむざと泣きはじめるかもしれないな。どちらにせよただの特設運送船に出すぎた真似は禁物だ。
 だから、という冲鷹の、続きの言葉は聞けずに終わった。
 彼女は数秒沈黙し、この場に耐えきれないように荒々しく椅子から立ちあがり、会議室から走り去ってしまった。
 時間切れかもな、とあるぜんちな丸はぼんやりと思った。あれはたぶん、手を洗いに行っただけだ。口かもしれないが。あるぜんちな丸は冲鷹の、あの種の奇行を数度目撃したことがある。そして興味本位で追いかけてみたことも一度だけある。何かに耐えられないように執拗に手口を洗っていた。あるぜんちな丸は、軍艦冲鷹が貨客船新田丸を愛していたことを知っていた。というより、わかってしまった。彼女のいらだちは今生の、軍艦としての生と理想との乖離から来ているのは見ているだけでわかった。だからなおさら追いかけてまで見に行ってしまう。確認してしまう。
 私のゆくすえは、あんななのか?
「……以上、明朝を待って任務に当たる。詳細は監督官の指示を仰ぐように」
 は、と気づいたら、大鷹の説明は終わったようだ。というか巻き上げて終わらせた。元姉であり今は妹の冲鷹を追いかけるために。
 情けない、士気に関わる、とあるぜんちな丸は鼻白んだ。隣の特設運送船もなおさら不安だろうに。まあ、仕方ないのだろうか。誰しも自分を一番大切に精一杯やっている。全員明日沈んでいるかもしれないのだ。大鷹が言うように、監督官、人間に話を聞いた方がよっぽどいい。生還の計画の具体性はいっそう増すだろう。
 だいたい、どうして私が彼女を責められよう、とあるぜんちな丸は思った。……この泣きそうな特設運送船の船名も、私は最後まで覚えられなかったのに。
 そのことにふと気づき、あるぜんちな丸は、他の特設運送船や一般徴用船に続いて呆然と椅子から立った。
 わたしたちのしろいたいよう、という意味のない言葉があるぜんちな丸の脳裏に浮かんだ。
 私たちの白い太陽。
 それははたして、いったいどこに?



3「極東の客死」海鷹と神鷹

 空は淡く薄暗い。
 小雨がこの地にも降るかもしれない。
 窓から見えるのは、海と港とわが現身たる艦体だ。
 冴えない小型の大日本帝国海軍の航空母艦が二隻。海鷹と神鷹である。軍港の建物に隠れながらも身を晒すわが現身を、すこし顔を顰めて海鷹は見遣った。
 相変わらず無骨で無様だ、と思わなかったと言えば嘘になる。
 だが、商船改造空母が無様とは?華の艦艇様に失礼ではないか。元が贋由来でも改造してしまえば立派な航空母艦である。灰色の艦体こそをわが美学として生きる――航空母艦海鷹の使命はこれだ。
 海鷹は閉めるために窓へと寄り、身を乗り出す。地面の遠い下を見下ろして、いっそ航空機のように空を飛べたら、と思う。実際はそんなことあり得ないのだから、ゆっくりと窓の金具を掴み、静かに窓を閉めた。この海鷹の身は航空機でなく人間の姿である。飛び降りたらただの投身にしかならない。艦の現し身が自殺行為を計ることなどあるのだろうか、と海鷹は疑問に思った。悩ましい。海鷹は航空機の性能でなく、人間の肉体と精神を持っていた。
 実艦の身はどうか。
 煙突の縁をうつくしくせい丸くせいと言いつのり、挙句の果てに造船所とわが船主とを不仲にまで発展させたあるぜんちな丸の父は、生粋の船狂いだ。今の海鷹の姿を見たらなんというだろう。無様だ、とその冷静な審美眼でそう下すだろうか。
 そうはいっても、軍艦には軍艦の美学と美しさがあるものだし。それを誇り、生きていくしかないではないか。それを理解してわが父も、わが船主も貨客船あるぜんちな丸を造ったでのであろうに。あるぜんちな丸は、優秀船舶建造助成施設で生まれた船であった。出征は定めだった。戦争は運命そのものであった。それがあるぜんちな丸の、海鷹の生まれた意義だった。
 海鷹たち商船改造空母は、その中途半端な船体のために主戦場を征く軍艦にも成れず、飛行甲板に航空機を括りつけての輸送というまことに面目のない任務へと振り分けられていった。華の連合艦隊とは程遠く、さりとて今更かつての南米航路にも帰れない海鷹はただの奇形で奇怪なふねであった。
 海軍というひとごろし集団をこそ船主であり親だと思え、と大阪商船の人間たちに言われて送り出されたのが、あるぜんちな丸が貨客船として最後に受けた餞であり愛を込めた警句であった。元同朋であった大阪商船の徴用船、その黒塗りされたファンネルの下にはあの大の字の姿形が残っていた。軍艦海鷹はおぞましさを感じ、気が遠くなった。叫びたかった。わたしにも、わたしにもあれがあったのに!あのマークが!!あの船主の餞が!!
 勿論、海軍艦艇である海鷹はそのようなみっともない真似はできない。海鷹にはファンネルマークではなく、燦爛たる十六条の旭日があるのだ。
 その旗の威容は一隻の船だけのものではなく、艦船の、大日本帝国海軍の、国家の威信へと連なっていた。
 私は国家なのだ。国家の顔なのだ。
 それは貨客船時代からも変わらぬ、わが使命と宿命そのものであった。
 つねに海鷹の船生は国策とともにあり、その生と国家とのわずかなずれと隙間に、楽しさや、きらめきや、美しいものや、人間たちとの情愛や僚船とのふれあいをやさしく敷き詰めてきた。戦争により船と国家とが完全に一体となったことでその緩衝地帯はなくなり、貨客船あるぜんちな丸は航空母艦海鷹となる。

 海鷹は部屋にいた。何の変哲もない、物置になってもおかしくない小さな部屋だった。
 海鷹の乗組員たちが海の進路を決めるまでの、陸での小休憩である。人間の様に陸で休憩すること自体に違和感がないと言えば嘘になる。
 先ほど、この陸で大鷹に会った海鷹は、あの艦の行く末を考えていた。
 相変わらず上官と僚船とのあいまで揺蕩っているような彼であったから、この先の航路を聞いても有耶無耶となり、結局は、
「貴艦の艦長に聞く」
「そうしろ」
 と、このやりとりで一切が終わった。
 冲鷹を失って以来覇気も威勢もない大鷹は挨拶もほどほどに、足早に去っていった。
 大鷹型航空母艦は、大鷹、雲鷹、冲鷹、神鷹、海鷹で構成されている。とはいえ、貨客船時代からのほんとうの同級型というのは新田丸級貨客船たちだけであったし、海鷹には別の、そしてほんとうの妹がいた。おそらく神鷹にもほんとうのきょうだいがほんとうの故郷の海にいるはずだ。沈んでいるか解体されていなければ。彼女は祖国の、ふるさとの話をしたがらない、というのは”長兄”たる大鷹の言であった。
 神鷹と旧新田丸級たちは、仲が良くなかった。
 もちろん軍隊の艦艇に仲も不仲もない。が、両者の間に張り巡らせられた空気は姉妹的な甘さや温かさからはひどく遠かった。
 シャルンホルスト級貨客船に対抗するために造られたのが、他の何物でもない日本郵船株式会社の新田丸級貨客船であったことが不仲の一因だったろう。美しき欧州航路の好敵手同士は、何の因果であろうかこの極東の帝国が開拓する戦火の中の海で同型航空母艦として相括られた。同じ海に浮く宿命であった、といえば苛烈な皮肉になってしまうだろう。
 姉妹船が兄弟姉妹を名乗るのは人間達の因習と儀礼の延長上のもので、常に船は一隻の船それ以上でも以下でもなかったし、船と船との関係も同様だった。それでもやはり大鷹と雲鷹の一種の「馴れ馴れしさ」は、周りから品のない揶揄と軽蔑を呼んでいたのだった。
 ほんとうは大鷹は冲鷹を愛していたのだ、というのが、商船改造空母や、航空機輸送・護衛任務についていた艦艇たちの公的見解であった。だからなおさら彼らの得体が知れなかった。傷の舐めあい、という言葉に収まらない粘着質な心情が両者間のそこにはあった。
 だから、海鷹と神鷹が触れ合うことが多かったのは必然だったのかもしれない。余りもので構成された大鷹型航空母艦、その余りものたちの、語るに下らない馴れ合いである。
 その馴れ合い相手の神鷹は、海鷹と同じく小部屋で休憩をしていた。邪魔だから大人しく静かにしていろと乗組員たちに押し込まれたともいう。
「タバコは要りますか?神鷹」
「いいえ。結構よ、海鷹」
 まるで軍隊の粗野さ、あるいは帝国海軍の実直さからは程遠く、かつての貨客船時代の一等客すら彷彿とさせる典雅な響きをもって、元国策豪華船と元独逸優秀貨客船であった軍艦両者の会話は始まり、終わった。
 艦長に聞かれでもしたらきつぅく窘められそうな言葉遣いになってしまったな、と海鷹は思った。
「……あなたの、あったはずの、喫煙室」
「はい」
「……あなたは喫煙室に入れました?」
「普段は入れてもらえなかった。男の身では、なかったために」
「そう」
 こういう時、長兄の大鷹だったらなんて言うのかなと、海鷹は下らない感慨に耽った。あるいは言ってあげられるのかな、か。海鷹は存外、この金髪麗しき軍艦が嫌いではなかった。独りに堪えうる、またそれを楽しむ気風が彼女にはあった。それは海鷹も一緒だった。神鷹もまたそのことを理解していた。
「極東の海は、灰色なのですね」
「あなたの海はどんなでした?」
「赤と黒の海。人間の理念にまみれた旗が翻っていた。でも私には上等な餞だった」
 国策に踊らされたのは海鷹だけではない。船舶は国土の延長なり、という言葉はこの時の、この戦争を往く全ての船へと降りかかっていた。
 この海では、誰もが自分の故郷の話をしたがらない。特に空母神鷹は、二重の意味で――貨客船としての平時の海と、独逸船としての欧州の海とで――故郷を喪失していたから、その沈黙はことさら鈍く、深かった。



 ここは貨客船の墓場というより、滅茶苦茶な事故現場だと海鷹は感じる。完了済みの死、その跡かたではなく、今も続く屈辱的な苦しみ。
 父と妹は轢かれて死んでしまって、母は生き残ったけれど精神的に病んでしまって。娘は、疲労と悲しみと義務感を抱えながら家を守るために身をやつして働き続けて。不運な人間に起こる、そんな状況に似ている。厳粛に死を祀る場所より、もっとひどい。事故の見物に来た群衆がいなくなったら、もうここは何でもないただの凪いだ海なのだ。
 娘、改造された船たち、それ以外の皆にとっては、ただの美しい海。



 そこに、私の孤独は私だけのものだ、という言外の主張を感じ取らなかったと言えば、嘘になる。


「北欧神話の女神Frejaのことを考えていました」
「ふれいや」
 ふれいやではなくFrejaという、日本語とは趣の異なる言語の特有の発音は、神鷹が持ちえた唯一の遺産だった。
「衣を持っていて、纏うと鷹になれるのです」
 そこに独逸人特有の北欧幻想は微塵も滲んでいなかった。女神のごとき黄金の髪を持つ異邦人と異貌の女神の話をするまでの、己の長い因果と宿命のことを海鷹は考えた。

「さあ、私は返品不可の商品ですから」と海鷹は言った。
 ちらと浮かんだ神鷹の苦笑に、なぜか冲鷹の苦々しい笑みが重なる。彼女が既に亡いことを改めて思い、海鷹はふと胸の苦しさを覚えた。贋ものの姉、ただの書類上の同型艦として――あるいはそう、同じ日本の貨客船として、あるぜんちな丸は新田丸を堅実な同輩として認めていた。そして彼女は軍艦冲鷹としてなお護衛任務を最後まで務め上げた。優秀船舶建造助成施設の貨客船として生まれ海に身を捧げて航空母艦として戦没したのだ。あれを己のふねとしての生きざま、ふねとしての死にざまの指数とすることに、海鷹は異論がなかった。あるぜんちな丸は新田丸が軍務中に捕虜を処分した時のことを考える。それを自分事として姿を重ね合わせる。そこに新田丸ではなくあるぜんちな丸がいたと考える。彼女と己とを共振させる。新田丸は何度も血に汚れた手を洗ったはずだ。私もそうするだろうから。
 手荒く部屋の扉が開けられる。
「海鷹、神鷹。出るぞ、夜明けは待たない、南へ」
 部屋へとやってきた海鷹の乗組員がそう二隻へ声をかけ、早々に去っていった。
 ……生きる為に外洋で春をひさぐおんなたちを唐行き天竺行きのおんなたちを船底に隠して運んでやるのだ、彼女たちは外地で簡単にくたばるし孤独だし石炭のように使い潰される、その前にわが船底で溺れ死ぬこともすくなくないのだ、おんなと船員の共犯者でありただの船である俺はそれを止めることができないのだ、けどもいつしか彼女たちを日本へと帰してやりたいのだ、迎えてあげたい、もしかしたら送り出したおんなたちは南洋でたくさんの富を築いていて、一等船客として貨客船の船友に乗りこの日本へ戻ってくるかもしれぬ、俺はおなじ海で、おなじ船としてそれを見届けるのだ……とある知り合いの船はいった。彼はどこの船だったかな。彼はまだ生きているだろうか?私やほかの大鷹型航空母艦が護衛したあまたの船の一隻として浮き続けているだろうか?
 だとしたらそれこそを誉れとするしかないであろう。
 海上護衛をわが美学として生きる――航空母艦海鷹の使命はこれだった。もうそれしか残されていなかった。

 鷹の名を冠した女神フレイヤ、美しさからは程遠い。
 だが、輸送船を護衛するために美しい貨客船姿は必要あるまい?
 あるいは海を往くことにだって。
「タバコ、ほんとうに要りませんか?神鷹」
「いいえ。結構よ、海鷹。有難う」
 貨客船も航空母艦もないのだ。ふねとして海をゆくこと以外の何を求めよう。
 軍艦海鷹は、軍帽を被り、うつくしかった過去とその未練の一切を捨て、ただ前を見据え、歩みはじめた。
船舶擬人化創作漫画同人誌『春のまひる』(2026/2/22発行)の解説文「「春のまひる」解題」です

今の世では「地獄船」と呼称されることとなった貨客船・鴨緑丸をえがくにあたって思慮したことへの言及となります

#「春のまひる」(船舶擬人化)

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「春のまひる」解題

 我らが主人公、大阪商船・日満連絡船(日本-「満州国」間の連絡航路)の貨客船「鴨緑丸」は1937年に進水した。和辻春樹技師によるスマートな船体と瀟洒な内装が評判となった。この3か月後には盧溝橋事件が勃発し、日中戦争へと発展した。この戦争は1941年に発した太平洋戦争に敗戦する1945年まで終わる事はなかった。日本海運は太平洋戦争でほとんどの船を失ったとされるが、特記すべきはその太平洋での戦争の前に4年間の戦争を行っていたことである。中国大陸へ行くのは軍隊だけではなく民間人も同様だったから、神戸-大連間航路は引き続き維持された。それでもいくつかの船は徴用されすでに軍務へと就いていた。報国丸やあるぜんちな丸などの新鋭の大型貨客船が大連航路に投入されたのは、対外情勢の悪化による外洋航路の終焉と、来たるべき運命に備えての優秀船の安全保持のためだったとされる。

 1941年12月8日、日本海軍にとって運命の日であった真珠湾攻撃は、日本商船隊にとっても運命そのものとなった。船らは同じ海を往くものとして、軍艦同様に兵役に就くことになる。
 アフリカ航路から大連航路へ転属した報国丸は1941年に海軍に徴用され特設巡洋艦となった。一切の商業航路に就くことのなかった愛国丸もまた同様に竣工後に特設巡洋艦となった。ぶゑのすあいれす丸は陸軍輸送船・同病院船となった。またりおで志やねろ丸は特設潜水母艦となった。ぶら志る丸は空母への改造計画があったもののその機会を待たずに雷撃にて没したため実現しなかった。あるぜんちな丸は航空母艦へと改造され空母海鷹となった。黒龍丸は陸軍の輸送任務に使われた。ばいかる丸は徴用され再び陸軍病院船となった。
 鴨緑丸は1944年12月、陸軍の兵員輸送船の一船としてマニラにあった。将兵と搭載物を下ろし、付近の日本民間人と遭難した船員の合計1900人を乗せて日本へ折り返す予定だった。と同時にマニラ周辺の捕虜収容所にいた捕虜1600人を日本へ輸送する任務を負っていた。なお鴨緑丸の旅客定員は805人であったから、客室から船倉まで一杯に乗員らは収容された。
 マニラ出港後、鴨緑丸は敵艦載機20機に発見され、ロケット弾6発と500ポンド爆弾一発の直撃を受ける。また機銃掃射や至近弾に晒され、船体や吃水下に破口が生じ、浸水。鴨緑丸は沈没を避けるために海岸に擱座させられる。乗員は船を退避。輸送船鴨緑丸は、最後、陸上の乗員たちが見守るなか傾斜を増し、身を猛火に包まれながら覆没した。かつての日満航路の花形客船の勇壮なる戦没である。
 以下、捕虜について述べる。先述の航空攻撃では280人が犠牲となった。生き残った捕虜1300人は再び捕虜収容所に送られ、この後、別の船で再び日本へと向かうことになる。とりわけ日本の輸送船に起きた致死的な過密状態、圧死や衰弱死、捕虜への虐待、病死、あるいは敵航空機の攻撃等で、最初に居た1600人は、終戦時に日本の捕虜収容所から解放された際には350人となっていた。
 この事象はいわゆる連合国側から「地獄船」と呼ばれ、戦後に深刻な戦争犯罪として処罰された。鴨緑丸の名は地獄船の代表格として記録されている。

 この物語はふねぶねらの「見ざる聞かざる言わざる」で構成されている。あるいは甘美な現実逃避が描かれている。自分たちが一枚下の地獄の一枚上にいると知ってもなお黙っている。徴用を知りながら素敵なディナーを食べている。人殺しは艦艇にでも任せておけ、と貨客船らは言う。我らは戦争など知らぬ存ぜぬことだと言うのだ。美しい我らは美しい世界を維持しつづける。それがギリギリの世界であろうとも、である。来たる運命を予感しながらも抗うことなく受容し続けている。
 ふねぶねは運命に抗わない。なぜなら人間に使役されることを生業とし、存在意義としているからだ。人間たちが平時の外洋航路ではなく戦時輸送を欲するというのならその足となるために存在している、ということを彼らは知っている。船らはただ海に存在するためでなく、海での人間の目的の用途のために存在していることを認めている。
 つまりふねの生は人間たちの行動をこそ恃みにしているわけで、ふねの未来は私たちが決めるのだ。人類史以来ひとと共にあったふねというものについて私は今一度考えている。ふねぶねらにとってよき航海となるべき海を保つことを私は願い、他の人間たちにもひろく求めたい。ふねのよき航海は人間にとってもよき航海のはずである。

 本同人誌は、鴨緑丸が地獄船として記録されている事実と、別の長き航跡もあったにも(・・・・・・・・・・・・)関わらず地獄船以外の(・・・・・・・・・・)何物でもないとしか思えない(・・・・・・・・・・・・・)現実への怒りによって描かれた。それは戦没船すべてにも言えるだろう。ふねぶねらの「結末」は悲惨である、が、だからといってその悲惨さは、それまでの航跡の意味をかき消さないはずだ。
 なお、本書に登場するすべての商船は軍に転用された。ばいかる丸以外の船はふたたび航路に戻ることなく、アメリカ軍による爆撃や雷撃等で敗戦までに戦没、あるいは戦闘で損傷し無用となり遺棄され戦後すぐに解体されたことを明記しておく。
 えー、ただいまご紹介にあずかりました。三菱重工業です。今日はこのカイシャの面々を代表してご挨拶をどうぞ、とのことで、こうしておしゃべりさせていただいております。ウン、なんか、やっぱりイヤですね、こういうの。いまさら何をしゃべればいいのかしら、という気持ちにすらなってしまいます。なんだか偉くなったみたいですよね。人間みたいに……。とっても気まずい思いをして、ニヤニヤこうして皆さんのまえに立っているというわけですよ。
 なんか今日はとても暑いですね、なんでしょうね、ホント、日本ってどうなっちゃうのかしらーってよく思います。暑いし、湿ってるし、暑くて湿ってる時間が長いしで、もう疲れますよね。重工さん、お顔がだいぶ疲れてますよ、って社員の人に言われることがあるんですけど、いや疲れてるというか暑いんだよ、って。だって百年前って、こんなに暑くなかったですよね。百年前はこんなに暑くなかったしねえ、と人間たちに返してもただ笑われて終わるんですけども……。
 百年といえば、ここに来る前に、東京駅のまえを歩きましたらば、思いのほか時間がかかってしまいました。なんでだろう、といぶかしんだのだけど、人間がいっぱいいるんですね。東京駅だから当たりまえなのだけれど、東京駅に慣れていない人たちがいっぱいいて、ウロウロウロウロしていて、邪魔だなぁと思いながら、ちまちま歩いておりました。そんなの、いつものことなのだけど。東京駅なんて、あんなもの、慣れっこないですよね。いつの間にか改装してて、まいっちゃって、そんなことを続けているうちにいつのまにか丸の内で百年経っちゃうわけで。ボクが百年居たとしたって慣れないんだから人間だって慣れっこないでしょう。五分だけ駅弁を迷って買ってるうちに新幹線行っちゃったり。この前あったケーキ屋ないの。なんでだろ、おいしかったのにね、と思っているうちにもう五年も経っている。
 ところで東京駅って、ボクより若いんですね。そんな東京駅の時計を見ておりますとですね、ふと感じるんですが、一八八四年、一九〇四年とボクは生きて、一九一四年に東京駅クンが生まれて、一九二三年、一九三七年、一九四一年、一九四五年、一九六四年……ちくたくと駅の時計が時間を刻んでいる。そして思うんですけど、東京でいちばん偉いのはじつは丸の内や永田町の人たちではなくて、東京駅の時計なんじゃないのだろか。東京駅の時刻表が、東京駅から出るお召列車や貨物列車、新幹線、電車から空港や港にいく人たちを統制してきたんじゃなかろうか。時間に合わせて列車は進み、それを時間通りに待って、陛下を迎えたり、迎えるために地元の浮浪者や癲狂の病者……今はそう言わないか、そうだ、ゴメンナサイ、……まあそういう人たちを官吏が立ち退けたり、あるいは生糸でも製造品を作ればそれを運搬したりとか、港へ行き、船から船へ行き外国の港に着き、定刻通り、定刻通り、みたいな、そうしてこの国の制度や生産の中央にあったんじゃないか……という、きもちになるのですよ。なんでしょうね、じつは東京駅に来たときの主役になった気分というか、ここにいるぞ!みたいな高揚感ってそこにあるんじゃないか、という、ちょっとした自論なんですけども。東京って物に溢れてるとかそういうところで、資本がある、といえばそらそうなんですけど、ボクがいちばん気になるのは、東京駅から発する交通と、その先その先のことです。
 人間たちは昔より、どこでもどこからでも、どこにでも繋がってますよね。昔はね、宇宙のことなんて考えもしませんでした。ちっちゃな船を一隻一隻と湾に浮かべて、浮かべて、嬉しくなっていました。一つずつ番船で数えてましたよ。自分の造った構造物だもんね。名前をね、つけるのって不思議ですよね。ボクも何度か名前が変わりました。人間から与えられた。奪われることもあった。ボク自体が人間から造られておりました。思えばあの長崎から遠くにきてしまった。その先その先へ。でもどこにでも早く行けますかね、東京はね。たぶん宇宙もね。

[後略。未完]
#小説
コミティア155ありがとうございました!!
たいへん広く頒布できました!嬉しいです。
色々な方に手に取って頂きました。先日に言った通り「説明のおしゃべりをしてみよう」を実行したんですけど、これが意外と盛り上がった――というか私ひとりが盛り上がっているだけかもしれませんが――ので、良いことがたいへん多かったです。

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良いこと、というのはそのままお買い求めいただいたことが多かった、購入者の方側のバックグラウンドや普段の趣味が聞けて面白かった、本の質疑応答ができて双方の知見になった、私が一人でしゃべっていて楽しくなった……などです。
「船舶擬人化」と書いているので、私はそれで「十分説明した」と思っていた、なぜなら擬人化は超覇権ジャンルなので………………というわけがなく、「ふねの擬人化」とお伝えすると「ホ………ほう!?」的なリアクションを受けることもしばしばでした。多くの人間は擬人化や艦船擬人化とは無縁の場所で生活している。それはそうだ。お手に取って頂いた方にふね擬の説明ができたのはよかったです。
あとは興味深かったのですが、「この船は……実在している?」という質問もまあまあの方に頂きました。鴨緑丸……実在してます!!実在……の船を擬人化してるサークルです!!
艦船擬人化というジャンル自体を了解いただくことが必要だ、と噛みしめました。まずはそこから始める感じだよな~ということが、対話してみて初めてわかったので、大きな収穫になりました。せっかくのオフラインイベントなのにまったく喋らない、勿体なかったな……あ、今後いらっしゃる方で私のアナウンスがうるさかったらちゃんと言ってくださいね……。
いろいろなご感想をいただき、頒布できてとても楽しかったです。新刊『春のまひる』最高な同人誌なので、もしよろしければコミティア公式サイトで投稿できる「プッシュ&レビュー」か、waveboxにご感想を投げて頂ければ、嬉しいです。ありがとうございました。

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