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「時代考証の間違いでミリオタが"叩いて"くる」という感覚はあまりなくて
「『日本軍はAだ』という間違いを記述する」とスルーされるか説明リプライを貰うかだけど、「『日本軍はAだ』という間違った知識を基に『だから日本軍は駄目なんだ』と批判する」をやると、大量の引用RPを貰う印象が…
「『日本軍はAだ』という間違いを記述する」とスルーされるか説明リプライを貰うかだけど、「『日本軍はAだ』という間違った知識を基に『だから日本軍は駄目なんだ』と批判する」をやると、大量の引用RPを貰う印象が…
『HHhH』に引用されてあるフローベールの言葉に「人々がふつうそんな言葉遣いのなかでは考えもしないことを提示すること」とあるけど、この塩梅にいつも悩む あの当時の人たちって、どんな言葉で今の学術用語(それこそ「集団自決」とか)を"自分ごととして"語っていたんだろう
『戦中派不戦日記』とか読むと、お母さんが子ども「早く帰らないとプーちゃんが来ますからね」(プーはおそらくサイレンのことらしい)と言っていて、B-29に「B公」「ポー助」などいろいろな綽名を付けている日本人が出てきて、そういう文脈、言葉づかいに手繰り寄せたいとは思っている 後世の学術的用語の線上ではなくて
『戦中派不戦日記』に空襲で家が全壊した女の人が「ねえ…また、きっといいこともあるよ。…」というシーンがあって、1945年の空襲で家が全壊した女の人の言う言葉が「またきっといいこともあるよ」なのか…と思った
18世紀フランスでも19世紀李氏朝鮮でも20世紀日本でもどこでもいいけど、私が50年以上前の世界を漫画で描いた時に、そこにいたとする人間に「またきっといいこともあるよ」と言わせることができるんだろうか
「ねえ、またきっといいこともあるよ」まるで失恋した女を女友達が居酒屋で慰めているような言い回しで、ありがちで、なんというか、こう…やっていきたい
『戦中派不戦日記』とか読むと、お母さんが子ども「早く帰らないとプーちゃんが来ますからね」(プーはおそらくサイレンのことらしい)と言っていて、B-29に「B公」「ポー助」などいろいろな綽名を付けている日本人が出てきて、そういう文脈、言葉づかいに手繰り寄せたいとは思っている 後世の学術的用語の線上ではなくて
『戦中派不戦日記』に空襲で家が全壊した女の人が「ねえ…また、きっといいこともあるよ。…」というシーンがあって、1945年の空襲で家が全壊した女の人の言う言葉が「またきっといいこともあるよ」なのか…と思った
18世紀フランスでも19世紀李氏朝鮮でも20世紀日本でもどこでもいいけど、私が50年以上前の世界を漫画で描いた時に、そこにいたとする人間に「またきっといいこともあるよ」と言わせることができるんだろうか
「ねえ、またきっといいこともあるよ」まるで失恋した女を女友達が居酒屋で慰めているような言い回しで、ありがちで、なんというか、こう…やっていきたい
「集団自決」の闇は思想的に開かれるべきなのに、「倫理」の文脈に還元されてしまうことへの疑問といったらいいでしょうか。「愛ゆえに」の手前で、加害と被害がねじり合っている閾を、国家と軍隊と島共同体の縫合線に露出した沖縄近代のアポリアとして読み解き、それを超えていくのが、とりわけ沖縄の戦後世代の思想の核心ではないのかということをつねづね考えてきたように思います。
/「一「集団死」の特異性 「愛ゆえに」を超える」『沖縄/暴力論』
『現代思想』森崎和江回で「詩の言葉で政治を語る世代」の話があるけど、まさにこういう言葉遣い 私も時々やるけど
/「一「集団死」の特異性 「愛ゆえに」を超える」『沖縄/暴力論』
『現代思想』森崎和江回で「詩の言葉で政治を語る世代」の話があるけど、まさにこういう言葉遣い 私も時々やるけど
五 マイノリティから多数へ
マイノリティという言葉がある。私はこれまで日本社会の中でそのように名指され、私自身、そのように自己規定してきた。私が世界と向き合う以前から、マイノリティという表象は用意されており、マイノリティの人権を取り戻すためのものであれ、マイノリティを消費するためのものであれ、その語りが氾濫していた/いるからだ。しかし今思えば、私はこれまで、マイノリティという言葉の檻に閉じ込められ、存在も想像力も切り縮められてきたように思う。マイノリティという言葉に捕われている間は、マジョリティあるいは日本人と対時する関係に自己が限定されていたためか、東アジアで客死した朝鮮人の死者を感覚することはできなかった。そして、朝鮮近代文学研究者としてポストコロニアリズムに依拠しながら活動するなかで、知らず知らずのうちに、マイノリティという場所にすら安住させられ、マジョリティによって消費・管理されていくシステムに組み込まれていたように思う。これは、宿命として、私をとりまく不自由であり、政治あるいは政治的なるものである。
私は、マイノリティではなく、多数である。私は今、この在り方をもって、マイノリティという言葉に対して復讐するべきなのだと思う。多数とは、多数派や少数派といった数の論理ではなく、内在化している他者の存在の大きさにもとづく在り方である。自己を解体し、掘り下げていったときに出遭う影。どれだけ自己を解体し、その影と共に在るのか。多数とは、〈死者と共に在る〉人間存在の基本にもとづいた思想であり、目には見えないけれども、消えたわけではけっしてないものを表現する意志である。私は、マイノリティではなく、多数である。ここで、私は〈来たるべき自己決定権〉にもとづいて、このことを決定する。そして、多数としての私は、もうひとりの多数へと呼びかける。「「祖国」復帰という大命題にその目を曇らされている一人の熱心な「復帰」主義者であった」自己を他者としてその内に抱えている新川明氏へと。
「私は日本の国民が恐い。沖縄の人間のひとりとして、日本の国民は非常に恐いわけさ」「新川明d、七三頁]。季刊『前夜』(九号、二〇〇六年秋)でのインタビューにおける新川氏のこの言葉がとても印象深く、今でも私の中に残っている。周囲の無理解の中でも孤高に反復帰を生きてこられた氏の言葉であるからこそ、この「恐い」という感覚には、とても深い想いが込められているように思う。幸運にも私はインタビューの場に居合わせたのだが、新川氏は、この言葉を大袈裟にではなく、さらりと、率直におっしゃっていた。
私は共感する。二〇〇六年一〇月九日、朝鮮民主主義人民共和国によって核実験がなされた後の日本社会で、私は、ウシロカラササレル、身体の緊張を覚えはじめた。それは私の歴史感覚を革命的に変える出来事であり、朝鮮と出遭う瞬間であった。関東大震災のとき、日本民衆に竹槍で背中を刺され客死した朝鮮人の身体と繋がった、そう言ってしまうとあなたは理解に苦しむかもしれないが、少なくとも、関東大震災のときから日本社会は何も変わっていないことを直感した。
ウシロカラササレル、それはきっと痛いしとても恐いことなのであるがしかし、今は恐くない。客死した死者と共に在る、あるいは、これはテント芝居「野戦之月海筆子」の桜井大造氏の言葉であるが、死者に抱かれた、からなのだと思う。客死した死者に抱かれている私(たち)は、マイノリティではなく、多数である。これは、「野戦之月海筆子」のテント芝居を通じて、この手と足でテントを建て、役者として地を踏みしめて表現するなかで身体化された希望である。
私の身体は今、客死した朝鮮の死者に呼ばれるようにして、東アジアを感覚している。沖縄で客死した朝鮮人の死者、台湾で客死した朝鮮人の死者のことを知りたい、そう切に思う。沖縄戦のとき、沖縄人に竹槍で背中を刺され客死した朝鮮人の、その刺される瞬間の眼に映ったものを想像する――。そして、もうひとり、私が向き合うべき、内なる他者がいる。サイトウヒロシ。日本名を名乗っていたときの私だ。
/「影の東アジア」『残傷の音』
マイノリティという言葉がある。私はこれまで日本社会の中でそのように名指され、私自身、そのように自己規定してきた。私が世界と向き合う以前から、マイノリティという表象は用意されており、マイノリティの人権を取り戻すためのものであれ、マイノリティを消費するためのものであれ、その語りが氾濫していた/いるからだ。しかし今思えば、私はこれまで、マイノリティという言葉の檻に閉じ込められ、存在も想像力も切り縮められてきたように思う。マイノリティという言葉に捕われている間は、マジョリティあるいは日本人と対時する関係に自己が限定されていたためか、東アジアで客死した朝鮮人の死者を感覚することはできなかった。そして、朝鮮近代文学研究者としてポストコロニアリズムに依拠しながら活動するなかで、知らず知らずのうちに、マイノリティという場所にすら安住させられ、マジョリティによって消費・管理されていくシステムに組み込まれていたように思う。これは、宿命として、私をとりまく不自由であり、政治あるいは政治的なるものである。
私は、マイノリティではなく、多数である。私は今、この在り方をもって、マイノリティという言葉に対して復讐するべきなのだと思う。多数とは、多数派や少数派といった数の論理ではなく、内在化している他者の存在の大きさにもとづく在り方である。自己を解体し、掘り下げていったときに出遭う影。どれだけ自己を解体し、その影と共に在るのか。多数とは、〈死者と共に在る〉人間存在の基本にもとづいた思想であり、目には見えないけれども、消えたわけではけっしてないものを表現する意志である。私は、マイノリティではなく、多数である。ここで、私は〈来たるべき自己決定権〉にもとづいて、このことを決定する。そして、多数としての私は、もうひとりの多数へと呼びかける。「「祖国」復帰という大命題にその目を曇らされている一人の熱心な「復帰」主義者であった」自己を他者としてその内に抱えている新川明氏へと。
「私は日本の国民が恐い。沖縄の人間のひとりとして、日本の国民は非常に恐いわけさ」「新川明d、七三頁]。季刊『前夜』(九号、二〇〇六年秋)でのインタビューにおける新川氏のこの言葉がとても印象深く、今でも私の中に残っている。周囲の無理解の中でも孤高に反復帰を生きてこられた氏の言葉であるからこそ、この「恐い」という感覚には、とても深い想いが込められているように思う。幸運にも私はインタビューの場に居合わせたのだが、新川氏は、この言葉を大袈裟にではなく、さらりと、率直におっしゃっていた。
私は共感する。二〇〇六年一〇月九日、朝鮮民主主義人民共和国によって核実験がなされた後の日本社会で、私は、ウシロカラササレル、身体の緊張を覚えはじめた。それは私の歴史感覚を革命的に変える出来事であり、朝鮮と出遭う瞬間であった。関東大震災のとき、日本民衆に竹槍で背中を刺され客死した朝鮮人の身体と繋がった、そう言ってしまうとあなたは理解に苦しむかもしれないが、少なくとも、関東大震災のときから日本社会は何も変わっていないことを直感した。
ウシロカラササレル、それはきっと痛いしとても恐いことなのであるがしかし、今は恐くない。客死した死者と共に在る、あるいは、これはテント芝居「野戦之月海筆子」の桜井大造氏の言葉であるが、死者に抱かれた、からなのだと思う。客死した死者に抱かれている私(たち)は、マイノリティではなく、多数である。これは、「野戦之月海筆子」のテント芝居を通じて、この手と足でテントを建て、役者として地を踏みしめて表現するなかで身体化された希望である。
私の身体は今、客死した朝鮮の死者に呼ばれるようにして、東アジアを感覚している。沖縄で客死した朝鮮人の死者、台湾で客死した朝鮮人の死者のことを知りたい、そう切に思う。沖縄戦のとき、沖縄人に竹槍で背中を刺され客死した朝鮮人の、その刺される瞬間の眼に映ったものを想像する――。そして、もうひとり、私が向き合うべき、内なる他者がいる。サイトウヒロシ。日本名を名乗っていたときの私だ。
/「影の東アジア」『残傷の音』
誤解を招く言い方になるかもしれないが、よく朝鮮や韓国の出来事やその人びとの文章を引用したりするのは、私が「たまたま」この国が好き(正確に言えば、気になる)からであり、私がかつて宗主国だった国の今の国民で、この国の不満を代弁する「絶対的な他者」としてあの国、あの国の人びとの言葉を引いて提示しているわけではない、もし地球の裏側にあの国があっても私はおそらく気にし続けるだろう(が、「隣にあること」を歴史から奪胎することは不可能で、隣にあったからこそこうした遍歴を遂げて今があるという感もある)また上記を意識しているものの、それが絶対的に実行できているか疑問もある。本当にたまたまなのか?という問いがある
四方田犬彦が話し込んだ日本の女性研究者のことを「旧宗主国の女性が女性としての自己同一性を確認するために、かつての植民地の女性を媒介にしなければならない構造」と看破していて、うん……となる(そしてその『われらが〈無意識〉なる韓国』がどうしてもどこにも見つからない)
四方田犬彦が話し込んだ日本の女性研究者のことを「旧宗主国の女性が女性としての自己同一性を確認するために、かつての植民地の女性を媒介にしなければならない構造」と看破していて、うん……となる(そしてその『われらが〈無意識〉なる韓国』がどうしてもどこにも見つからない)
いろいろな人生(いろいろな人間)
私の被迫害意識や孤独や生きづらさや馴染めなさ世界一般との摩擦というものを植民地主義や近代という歴史そのものに投影していないかと聞かれると、明確に否を唱えられない…のが悔しい
善の希求、というと陳腐な形容になるけど、そういうものを維持し続けることをよく考える
▼善ってなんだよという話だし、それが存在したとして希求する方法は何通り何十通り何百通りある…が つまるところまあ問いかけ続けることですよね…
▼「「善の希求」(要定義)を歴史という方向から貫いていく」時に、擬人化というか、概念や観念を手法にするのは有効だとおもう
#過去メモ
▼善ってなんだよという話だし、それが存在したとして希求する方法は何通り何十通り何百通りある…が つまるところまあ問いかけ続けることですよね…
▼「「善の希求」(要定義)を歴史という方向から貫いていく」時に、擬人化というか、概念や観念を手法にするのは有効だとおもう
#過去メモ
美術と政治とをきりはなすことの要求は非政治的にみえて実はきわめて政治的である
/『在日朝鮮美術家画集』1962年、97頁。孫引『美術手帖』2019年12月号、42頁
/『在日朝鮮美術家画集』1962年、97頁。孫引『美術手帖』2019年12月号、42頁
誤解を避けるためにつけ加えておかなくてはならない。「軍事大国」化を支えたのが養蚕家や製糸工女たち(あるいはひろく農民や労働者たち)であったというとき、そのことは「軍事大国」化のためには彼らの犠牲的献身は「やむを得なかった」ことを意味したり、ましてや彼ら自身が「お国のために尽そうとして」ひたすら苦しい条件のなかで繭や生糸をつくり続けたということを意味するのではない。
もちろん、為政者や資本家など総じて支配する側にある人々は「蚕糸は国の礎」と説き続けることで苛酷な収奪を(おそらく自らに対しても)合理化していたし、そうした国家主義的イデオロギーが様々な形で農民や労働者の内面を支配していたことを軽視することはあやまりであろう。にもかわらず、極めて明瞭であるのは、至極あたりまえのことではあるが、繭をつくり糸を繰るのは自分たちの生活のためだったのであり、生存可能のギリギリの水準において必死に生活をまもろうとした人々こそが、養蚕製糸にかりたてられていった人々の大部分であったということである。そうした人々の必死の労働の成果が「軍事大国」化に動員されていったというところに、日本の《近代》のもつ、いわば最も荒涼とした意味があらわれているのだ。
/『繭と生糸の近代史』
#近代 #「渺渺録」(企業・組織擬人化)
もちろん、為政者や資本家など総じて支配する側にある人々は「蚕糸は国の礎」と説き続けることで苛酷な収奪を(おそらく自らに対しても)合理化していたし、そうした国家主義的イデオロギーが様々な形で農民や労働者の内面を支配していたことを軽視することはあやまりであろう。にもかわらず、極めて明瞭であるのは、至極あたりまえのことではあるが、繭をつくり糸を繰るのは自分たちの生活のためだったのであり、生存可能のギリギリの水準において必死に生活をまもろうとした人々こそが、養蚕製糸にかりたてられていった人々の大部分であったということである。そうした人々の必死の労働の成果が「軍事大国」化に動員されていったというところに、日本の《近代》のもつ、いわば最も荒涼とした意味があらわれているのだ。
/『繭と生糸の近代史』
#近代 #「渺渺録」(企業・組織擬人化)
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『零戦 その誕生と栄光の記録』読んだ 堀越氏、好きな航空機の好きな部分の話ばかりしたかった人だったのかな~と ここまで潔いとむしろ好感あるな
- 『零戦 その誕生と栄光の記録』を読んで、なぜ映画「風立ちぬ」があんな感じなのか、というのは「(アニメキャラの)二郎が美しいものしか見ていない」のかがなんとなく理解できた感じがする 少なくとも『零戦』における氏は好きなところしか語ってない……し、あくまで諸々を美しい、美しかったと言う
- 読みつつ、書籍の三分の一まで来たかな~と思ったら終盤でびっくりした だってまだ内容が真珠湾攻撃!零戦の勇ましさ!くらいだったんですけども……?
船舶擬人化創作漫画同人誌『春のまひる』(2026/2/22発行)の解説文「「春のまひる」解題」です
今の世では「地獄船」と呼称されることとなった貨客船・鴨緑丸をえがくにあたって思慮したことへの言及となります
#「春のまひる」(船舶擬人化)

「春のまひる」解題
我らが主人公、大阪商船・日満連絡船(日本-「満州国」間の連絡航路)の貨客船「鴨緑丸」は1937年に進水した。和辻春樹技師によるスマートな船体と瀟洒な内装が評判となった。この3か月後には盧溝橋事件が勃発し、日中戦争へと発展した。この戦争は1941年に発した太平洋戦争に敗戦する1945年まで終わる事はなかった。日本海運は太平洋戦争でほとんどの船を失ったとされるが、特記すべきはその太平洋での戦争の前に4年間の戦争を行っていたことである。中国大陸へ行くのは軍隊だけではなく民間人も同様だったから、神戸-大連間航路は引き続き維持された。それでもいくつかの船は徴用されすでに軍務へと就いていた。報国丸やあるぜんちな丸などの新鋭の大型貨客船が大連航路に投入されたのは、対外情勢の悪化による外洋航路の終焉と、来たるべき運命に備えての優秀船の安全保持のためだったとされる。
1941年12月8日、日本海軍にとって運命の日であった真珠湾攻撃は、日本商船隊にとっても運命そのものとなった。船らは同じ海を往くものとして、軍艦同様に兵役に就くことになる。
アフリカ航路から大連航路へ転属した報国丸は1941年に海軍に徴用され特設巡洋艦となった。一切の商業航路に就くことのなかった愛国丸もまた同様に竣工後に特設巡洋艦となった。ぶゑのすあいれす丸は陸軍輸送船・同病院船となった。またりおで志やねろ丸は特設潜水母艦となった。ぶら志る丸は空母への改造計画があったもののその機会を待たずに雷撃にて没したため実現しなかった。あるぜんちな丸は航空母艦へと改造され空母海鷹となった。黒龍丸は陸軍の輸送任務に使われた。ばいかる丸は徴用され再び陸軍病院船となった。
鴨緑丸は1944年12月、陸軍の兵員輸送船の一船としてマニラにあった。将兵と搭載物を下ろし、付近の日本民間人と遭難した船員の合計1900人を乗せて日本へ折り返す予定だった。と同時にマニラ周辺の捕虜収容所にいた捕虜1600人を日本へ輸送する任務を負っていた。なお鴨緑丸の旅客定員は805人であったから、客室から船倉まで一杯に乗員らは収容された。
マニラ出港後、鴨緑丸は敵艦載機20機に発見され、ロケット弾6発と500ポンド爆弾一発の直撃を受ける。また機銃掃射や至近弾に晒され、船体や吃水下に破口が生じ、浸水。鴨緑丸は沈没を避けるために海岸に擱座させられる。乗員は船を退避。輸送船鴨緑丸は、最後、陸上の乗員たちが見守るなか傾斜を増し、身を猛火に包まれながら覆没した。かつての日満航路の花形客船の勇壮なる戦没である。
以下、捕虜について述べる。先述の航空攻撃では280人が犠牲となった。生き残った捕虜1300人は再び捕虜収容所に送られ、この後、別の船で再び日本へと向かうことになる。とりわけ日本の輸送船に起きた致死的な過密状態、圧死や衰弱死、捕虜への虐待、病死、あるいは敵航空機の攻撃等で、最初に居た1600人は、終戦時に日本の捕虜収容所から解放された際には350人となっていた。
この事象はいわゆる連合国側から「地獄船」と呼ばれ、戦後に深刻な戦争犯罪として処罰された。鴨緑丸の名は地獄船の代表格として記録されている。
この物語はふねぶねらの「見ざる聞かざる言わざる」で構成されている。あるいは甘美な現実逃避が描かれている。自分たちが一枚下の地獄の一枚上にいると知ってもなお黙っている。徴用を知りながら素敵なディナーを食べている。人殺しは艦艇にでも任せておけ、と貨客船らは言う。我らは戦争など知らぬ存ぜぬことだと言うのだ。美しい我らは美しい世界を維持しつづける。それがギリギリの世界であろうとも、である。来たる運命を予感しながらも抗うことなく受容し続けている。
ふねぶねは運命に抗わない。なぜなら人間に使役されることを生業とし、存在意義としているからだ。人間たちが平時の外洋航路ではなく戦時輸送を欲するというのならその足となるために存在している、ということを彼らは知っている。船らはただ海に存在するためでなく、海での人間の目的の用途のために存在していることを認めている。
つまりふねの生は人間たちの行動をこそ恃みにしているわけで、ふねの未来は私たちが決めるのだ。人類史以来ひとと共にあったふねというものについて私は今一度考えている。ふねぶねらにとってよき航海となるべき海を保つことを私は願い、他の人間たちにもひろく求めたい。ふねのよき航海は人間にとってもよき航海のはずである。
本同人誌は、鴨緑丸が地獄船として記録されている事実と、別の長き航跡もあったにも関わらず地獄船以外の何物でもないとしか思えない現実への怒りによって描かれた。それは戦没船すべてにも言えるだろう。ふねぶねらの「結末」は悲惨である、が、だからといってその悲惨さは、それまでの航跡の意味をかき消さないはずだ。
なお、本書に登場するすべての商船は軍に転用された。ばいかる丸以外の船はふたたび航路に戻ることなく、アメリカ軍による爆撃や雷撃等で敗戦までに戦没、あるいは戦闘で損傷し無用となり遺棄され戦後すぐに解体されたことを明記しておく。
今の世では「地獄船」と呼称されることとなった貨客船・鴨緑丸をえがくにあたって思慮したことへの言及となります
#「春のまひる」(船舶擬人化)

「春のまひる」解題
我らが主人公、大阪商船・日満連絡船(日本-「満州国」間の連絡航路)の貨客船「鴨緑丸」は1937年に進水した。和辻春樹技師によるスマートな船体と瀟洒な内装が評判となった。この3か月後には盧溝橋事件が勃発し、日中戦争へと発展した。この戦争は1941年に発した太平洋戦争に敗戦する1945年まで終わる事はなかった。日本海運は太平洋戦争でほとんどの船を失ったとされるが、特記すべきはその太平洋での戦争の前に4年間の戦争を行っていたことである。中国大陸へ行くのは軍隊だけではなく民間人も同様だったから、神戸-大連間航路は引き続き維持された。それでもいくつかの船は徴用されすでに軍務へと就いていた。報国丸やあるぜんちな丸などの新鋭の大型貨客船が大連航路に投入されたのは、対外情勢の悪化による外洋航路の終焉と、来たるべき運命に備えての優秀船の安全保持のためだったとされる。
1941年12月8日、日本海軍にとって運命の日であった真珠湾攻撃は、日本商船隊にとっても運命そのものとなった。船らは同じ海を往くものとして、軍艦同様に兵役に就くことになる。
アフリカ航路から大連航路へ転属した報国丸は1941年に海軍に徴用され特設巡洋艦となった。一切の商業航路に就くことのなかった愛国丸もまた同様に竣工後に特設巡洋艦となった。ぶゑのすあいれす丸は陸軍輸送船・同病院船となった。またりおで志やねろ丸は特設潜水母艦となった。ぶら志る丸は空母への改造計画があったもののその機会を待たずに雷撃にて没したため実現しなかった。あるぜんちな丸は航空母艦へと改造され空母海鷹となった。黒龍丸は陸軍の輸送任務に使われた。ばいかる丸は徴用され再び陸軍病院船となった。
鴨緑丸は1944年12月、陸軍の兵員輸送船の一船としてマニラにあった。将兵と搭載物を下ろし、付近の日本民間人と遭難した船員の合計1900人を乗せて日本へ折り返す予定だった。と同時にマニラ周辺の捕虜収容所にいた捕虜1600人を日本へ輸送する任務を負っていた。なお鴨緑丸の旅客定員は805人であったから、客室から船倉まで一杯に乗員らは収容された。
マニラ出港後、鴨緑丸は敵艦載機20機に発見され、ロケット弾6発と500ポンド爆弾一発の直撃を受ける。また機銃掃射や至近弾に晒され、船体や吃水下に破口が生じ、浸水。鴨緑丸は沈没を避けるために海岸に擱座させられる。乗員は船を退避。輸送船鴨緑丸は、最後、陸上の乗員たちが見守るなか傾斜を増し、身を猛火に包まれながら覆没した。かつての日満航路の花形客船の勇壮なる戦没である。
以下、捕虜について述べる。先述の航空攻撃では280人が犠牲となった。生き残った捕虜1300人は再び捕虜収容所に送られ、この後、別の船で再び日本へと向かうことになる。とりわけ日本の輸送船に起きた致死的な過密状態、圧死や衰弱死、捕虜への虐待、病死、あるいは敵航空機の攻撃等で、最初に居た1600人は、終戦時に日本の捕虜収容所から解放された際には350人となっていた。
この事象はいわゆる連合国側から「地獄船」と呼ばれ、戦後に深刻な戦争犯罪として処罰された。鴨緑丸の名は地獄船の代表格として記録されている。
この物語はふねぶねらの「見ざる聞かざる言わざる」で構成されている。あるいは甘美な現実逃避が描かれている。自分たちが一枚下の地獄の一枚上にいると知ってもなお黙っている。徴用を知りながら素敵なディナーを食べている。人殺しは艦艇にでも任せておけ、と貨客船らは言う。我らは戦争など知らぬ存ぜぬことだと言うのだ。美しい我らは美しい世界を維持しつづける。それがギリギリの世界であろうとも、である。来たる運命を予感しながらも抗うことなく受容し続けている。
ふねぶねは運命に抗わない。なぜなら人間に使役されることを生業とし、存在意義としているからだ。人間たちが平時の外洋航路ではなく戦時輸送を欲するというのならその足となるために存在している、ということを彼らは知っている。船らはただ海に存在するためでなく、海での人間の目的の用途のために存在していることを認めている。
つまりふねの生は人間たちの行動をこそ恃みにしているわけで、ふねの未来は私たちが決めるのだ。人類史以来ひとと共にあったふねというものについて私は今一度考えている。ふねぶねらにとってよき航海となるべき海を保つことを私は願い、他の人間たちにもひろく求めたい。ふねのよき航海は人間にとってもよき航海のはずである。
本同人誌は、鴨緑丸が地獄船として記録されている事実と、別の長き航跡もあったにも関わらず地獄船以外の何物でもないとしか思えない現実への怒りによって描かれた。それは戦没船すべてにも言えるだろう。ふねぶねらの「結末」は悲惨である、が、だからといってその悲惨さは、それまでの航跡の意味をかき消さないはずだ。
なお、本書に登場するすべての商船は軍に転用された。ばいかる丸以外の船はふたたび航路に戻ることなく、アメリカ軍による爆撃や雷撃等で敗戦までに戦没、あるいは戦闘で損傷し無用となり遺棄され戦後すぐに解体されたことを明記しておく。
日本浪漫派は万葉集を携えて戦争に行ったという
#「渺渺録」(企業・組織擬人化)
#「渺渺録」(企業・組織擬人化)
『石炭の文学史』(だったかな)に「日本語が分からないがゆえに炭鉱が爆発寸前であるという(日本語の!)警告を理解できずに巻き込まれて死ぬ朝鮮人坑夫」の話があるけど 帝国の生存の言葉、日本語、標準語、あと万葉集……というきもちがある
#「渺渺録」(企業・組織擬人化)
#「渺渺録」(企業・組織擬人化)
南洋からの石油を運んだり、戦場に兵士や兵器や物資を運んだりするために、艦だけでなく多くの船が導入されたこと、そして多くが沈んだこと
戦争体験の共通理解というほど著名な話にはなり得なかったので、まずそこから話していきたい
戦争体験の共通理解というほど著名な話にはなり得なかったので、まずそこから話していきたい
昔のスーツは2つボタンを両方とも留めていたのですが、これを忠実に描くと「スーツ知らん人」みたいになるのが悩みどころ
いつしか電車に乗ってたらカップルの男女が
男「なんだっけ、総理大臣とかじゃなくて…何々様っていう…」
女「う~ん…天皇?」
男「そうそれそれw」
という会話をしていてめちゃワラだったんだけど、「日本人は戦争を反省していない」とかどうだとかそういう地平線とはまったく別の世界の余地というべきか では「日本人は戦争を反省していない」として、その「反省」をするにはどうしたらいいかを考えた時に、「小学校で歴史をもっとちゃんと教える」とかそういう話"以外の"、もっと別の何か、根本的に別の解決が求められる気がした 電車で…
男「なんだっけ、総理大臣とかじゃなくて…何々様っていう…」
女「う~ん…天皇?」
男「そうそれそれw」
という会話をしていてめちゃワラだったんだけど、「日本人は戦争を反省していない」とかどうだとかそういう地平線とはまったく別の世界の余地というべきか では「日本人は戦争を反省していない」として、その「反省」をするにはどうしたらいいかを考えた時に、「小学校で歴史をもっとちゃんと教える」とかそういう話"以外の"、もっと別の何か、根本的に別の解決が求められる気がした 電車で…












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◆創作話【 「渺渺録」 】