破船

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◆ジャンル【 艦船擬人化企業・組織擬人化歴史・時代もの
◆分類【 思念・思索長文引用感想
◆創作話【 「渺渺録」

「人生にはいくつもの可能性があったこと、(可能性というのは約束された成功という意味ではなく分岐点のこと、)それらが失われて今があること、を、考えている」←やっぱ『ノルウェイの森』にあったのって書かれていたのってこれだと思う…んだけど 忘れ気味
2026年2月11日(水曜日)の日記

 よく寝た。久々によく寝た感じがある。
 私の過去の日記を読むと、文章の口調がなんだかキモいぜ。
 ときどき「明日死んでるかもしれないから」と言ってしまうんだけど、冗談でのたまうならともかく、最近は本気で理由や根拠や納得や諦観に使い始めてしまって、いい加減のところで辞めないといけない危ない感情だ。
 『ハリー・ポッター』について考えている。というか、レギュラス・ブラックについて考えている。描かれなかった膨大な余白というか、空白について想う。人生にはいくつもの可能性があったこと、(可能性というのは約束された成功という意味ではなく分岐点のこと、)それらが失われて今があること、を、考えている。例えばそこにマグルか血を裏切るものがいて、レギュラス・アークタルス・ブラック、死喰い人としてあなたは彼を殺める。大昔から血と誇りと共に受け継いできたその技術、その魔法で殺める。人間はさまざまな場所で、様々な物語を抱えている。呪文学の腕は、仲間のなかでは一番良かった。
『声を出して、呼びかけて、話せばいいの』を少し読む。イ・ランの「家族という地獄を再生産しない」と「感情のごみ箱(として話し相手になる私)」という言葉遣い、私と同じ人生の文脈に立っている感じがすごい……というとおこがましいだろうか。言い過ぎだろうか。
 虚無な祝日こと建国記念日を過ごしてしまった。

#『ハリー・ポッター』
イ・ラン、早めの段階で「母親の持っていた子供への命名権」を聞いているの良いな(『声を出して、呼びかけて、話せばいいの』を読んでいる)
現代韓国文学にはあまり通じてないんだけど、イ・ランの「家族という地獄を再生産しない」と「感情のごみ箱(として話し相手になる私)」という言葉遣い 同じ文脈に立っている感じがすごい…というとおこがましいだろうか
いやそういう経験の有無の話ではなくて、言い回しが……
何度か言及しているのですが、pixiv文学は「星のお姫さま」というユーザーの方の小説が好きです
「人生のサナトリウム」 それが『ノルウェイの森』
『ノルウェイの森』って「人生の失われた可能性」の話でもあるんだろうな…と
・『ノルウェイの森』しか読んだことないけど『ノルウェイの森』はだいぶ好きだ そりゃ気になる点もあるけどさ…
・文庫版『ノルウェイの森』買い直したんだけど、緑色が黒に近くなってない?昔はもっと緑色だったと思う 今は黒め
・トオルも直子も、全体的に人生というボタンを掛け違えていて、世間からズレていて、世俗から隔離されていて、私がちょうど『ノルウェイの森』を読んでいた時期がまさにそんな感じだったので共感してたのかもしれない

シリウス・ブラックはイケメン補正のせいで人気キャラで愛されているけど、最近は彼の人生の報われなさ過ぎに目がいって苦しい
親と喧嘩しまくって学校卒業後すぐ親友をミステイクで失いアズカバン行きで、しばらくしたら実家に籠もらされて、それで殺されて死ぬんだよね?

#『ハリー・ポッター』
「古い女」とか読んでいると、こうの史代は一定のフェミニズムは経過していると感じるけど、『この世界の片隅に』を読んでも「女性史に回収されている」感覚は無かったな

いやすみません、「女性史」(?)を誹っているのではなく…良い方が悪いか

 「「私は創作者として歴史ものを描いている」のに、無意味に「『歴女』の描いた歴史もの」と括られた」時のオア……みたいな感情?
『ネットワーク・エフェクト』のさみしい風景みたいなものは一体なんだろう、と思うんだけどただ単に大量の死体が星の下に埋まってるだけだから

『ネットワーク・エフェクト』って誰かにとっての「後日譚」だし、特定の誰かというより膨大な死者たちにとっての後日譚なんだよ そこに突然マーダーボットがやってきてストーリーが始まっているだけで…

すでに名称が失われた「惑星」の、そこに前CR時代に「自由意志で志願して」入植した労働者たちの、その変貌した子孫たちの、アダマイン・イクスプロレーションズ社の、バリッシュ-エストランザ社の、あるいは話中に名前の出てこなかった多くの者ども、昔、まだ生きているときに企業に携わったものたち、資本主義に従事し、使役し使役され生業を全うし死んだ膨大な過去の死者たちの後日譚が『ネットワーク・エフェクト マーダーボット・ダイアリー』です

#『マーダーボット・ダイアリー』
シリウス・ブラックはともかくレギュラス・ブラックに萌えだしたら終わりという言は、原作にレジーはほぼほぼ出てこないので一段深度が深まったオタクになるぞ…の意味です

#『ハリー・ポッター』
普段あまり明言しないけど、作者さんの思想には共感できず、「共感できず」というより批判すべきですらあるのだが、それはそうとして口嫌体正直(kǒu xián tǐ zhèng shí)
#『ハリー・ポッター』
『野火』改めて読んだらほんとうに巧みな文学だし、「昔の私はなぜ『野火』を手に取り読もうとしたのか」を思い出せないのは一種の屈辱に近い #過去メモ
『敗北を抱きしめて』は歴史書というよりは、強烈なナラティブを提示されている感覚が強い
『敗北を抱きしめて』まあまあ面白いし、当時のアメリカでは「新しい」ものだったのかもしれないけど、あの本の持つ「面白さ」こそが問題なんじゃないか、と感じた
『敗北を抱きしめて』を無条件に抱きしめる気にはとうていなれない
『喪失とノスタルジア』で、『敗北を抱きしめて』について「占領軍が日本に移植したアメリカ流のデモクラシーという理念が無規定なままに肯定されており、依然として近代化論以来の、アメリカ的な価値観を自明視する態度の残滓が見てとれ」るとあって、わかる~となる
『慰霊と顕彰の間』で「議論が非常に抽象化・観念化している」「生身の人間が見えない議論というのがすごく多い」とあって、これはもう、自分が当事者でない以上仕方ない面があって、この抽象化・観念化への抗い、当事者ではない自分が当事者になるための、生身の人間を「再発見」するための手法としてのフィクション(ここでいうのなら大戦期の戦争のフィクションになる)がある と最近は理解し始めた
うろ覚えだけど、映画「永遠の0」の景浦が、宮部が特攻隊に志願したことに「どういうことですか」ってつっかかるシーンが挿入されていたと思うんだけど、あの物語の構造(本意の発覚)がとてもよかった…記憶があるけどもう一度見る気がしないぜ 合コンシーンが辛すぎてサ
物語の終盤で話の前提のちゃぶ台をひっくり返される…ともちょっと違う
『ハリー・ポッター』の『アズカバンの囚人』の、冒頭の夜の騎士バスでスタンが喋ってる「大笑いしているシリウス・ブラック」の話、なぜシリウスが大笑いしているのかは物語を読めばおわかりの通りなのですが………私はこういう話の構成が好きだ。

つまり年代・時系列でいえば、
①ポッター夫妻が死ぬ
②シリウスがすべて(ポッター夫妻が死んだ理由、ピーターの裏切り)を知って大笑いする
③ハリーがその出来事(大量殺人が起きて大笑いしたこと)を知る

なのですが、物語(『アズカバンの囚人』)では、
(①ポッター夫妻が死んでいる)
②ハリーがブラックが殺人をして大笑いをしたという出来事を知る
③作中ですべて(大笑いした理由、ポッター夫妻が死んだ理由、ピーターの裏切り)を知る

という順番になっています。つまり2と3が入れ替わっているんですね。
こういうのにめっぽう弱くて、あとから、つまり再読時に改めてシリウスの哄笑に孕んだ絶望などを感じます。時間枠に余白ができますね。


ここからはすべてうろ覚えの話になりますが、映画「永遠の0」の景浦(やくざのお爺さん)の本意(宮部久蔵への想い)もこのように「時系列」と「作中の事実判明の順番」が交差していて大変燃えた記憶があります。

#『ハリー・ポッター』