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父権的な言説と植民地主義的な言説を融合させた日本の植民者たちは、朝鮮は野蛮な闇の奥にすぎないと宣言することにより、自らの朝鮮征服を正当化した。まるで、男が女の身体は彼によって満たされなければいけない空無であり、男の種が撒き散らされねばならない空虚な空間である、と想定するように。チャのテクストにおいて大地は撒布された種を受け取り、それらと交わることにより新たな命を生み出す。したがって、空無は「充満」し(161)、「蓄積」のない成長、「獲得することのない豊富、充満」が可能になるのである(157)。「血のしみはこぼれ落ちた血を吸収」することができる(65)。
/「中間地点で宙吊りにされて」『異郷の身体 テレサ・ハッキョン・チャをめぐって』
#「渺渺録」(企業・組織擬人化)
/「中間地点で宙吊りにされて」『異郷の身体 テレサ・ハッキョン・チャをめぐって』
- 『つぶやきの政治思想』にもこの感覚があったけど(私の理解では)日韓だけでなく、最近は歴史だったり加害-被害についてだったり、その理解の時の「姿勢としての抱擁」みたいなものは思案することがある
- 抱擁、ではないんだけど、ネタバレだけど「渺渺録」では夢の中で郵船さんが浅間丸と「沈む」話が今後出る(例のボートのシーン) それも一つの抱擁である、
#「渺渺録」(企業・組織擬人化)
つぎに三菱が日本最大の重工業中心財閥であったことも、その大きな特徴である。明治十八年に日本郵船会社が成立して海運事業の直営から手を引かざるを得なかった三菱は、二十年に長崎造船所の払下げを受け(5を参照)、この造船所を中心に製鉄、電機、内燃機などの関連企業を独立させ、三菱重工業企業集団を形成してゆくのである。その原点という意味で、三菱財閥にとって長崎造船所の払下げの持つ意義は、きわめて大きいといわねばならない。そして長崎造船所の経営がまだ軌道にのらない時期に、三斐の最も大きな利潤源としてその屋台骨を支えたのは、高島炭鉱(4を参照)を始めとする炭鉱・鉱山の石炭・銅の輸出であったのである。
/『三菱財閥史 明治編』
#「渺渺録」(企業・組織擬人化)
/『三菱財閥史 明治編』
#「渺渺録」(企業・組織擬人化)
妄想ですから、資料的価値は無いって銘打ったんですけどね。資料を見て調べて、克明にその通りの飛行機を描くとか、軍艦を描くとかは面倒臭くって、もう頭クラクラしてくるもんですから、大体こんな感じでって、いいかげんにやってるんです。嘘も随分混ぜてますけど、それで非常に詳しい人達がだまされると非常に嬉しいという(笑)。
/宮崎駿「雑想ノートは、僕の道楽なんです」『出発点』
/宮崎駿「雑想ノートは、僕の道楽なんです」『出発点』
また,近代は,単に小説なるものを可能にしただけでなく,近代という時代それ自体が,小説的な語りを要請したのではないか.近代において社会が体験するドラスティックな変容.国民国家間で生起する戦争には,国民すべてが否応なく巻き込まれる.植民地主義の侵略によって,祖国にいながらにして,自分たちが帰属する,そして自分たちに帰属するはずの大地から疎外されていくという不条理.近代という時代が,そこに生きる人間たちにもたらすトラウマ(精神的外傷)その不条理さゆえに言葉で名づけ,「経験」として飼い慣らし、過去に放り込むことのできない〈出来事〉の暴力.そうした,言葉では語ることのできない体験,〈出来事〉を,物語として語るという時代の要請を,小説は自らの身に引き受けたのではないだろうか.言いかえれば,小説の語りには,そうした出来事の不可能な分有の可能性が賭けられているのではないだろうか.
/『記憶/物語』
#近代
/『記憶/物語』
#近代
沖縄で詩を書くとはどういうことか?それはことばが〈近代〉として充分に体験されていないところで、しかも物質としての〈近代〉がはげしい速度で都市を変客させ、村の〈共同体〉を破壊していく情況に挾撃されつつ自らのアドレッセンスを追訊する魂の行為となる以外にないだろう。地方に在りながら地方を対象化するということは、単なる土着への依拠によっては果されないし、また土着からの離反として言葉を円環化するところにもあり得ない。土から身を離する論理を縦深化すると共に、その論理化の過程で風土の肉感を体現すること――これ以外に地方に在って詩を書く方法はないのではなかろうか。それを前提にする限り、どんな言葉の実験も可能だし、どんな思想を方法化するのも可能だといえよう。
/「感受性の変容」『情念の力学』
#近代
/「感受性の変容」『情念の力学』
#近代
本書には、表現を和らげる潤色、ノスタルジア、ロマンチックな美辞麗句はない。わたしは、東南アジアの植民地港湾都市という、発展途上の「近代」の過酷な景観のただ中を生きた日本人女性たちの、悲痛、苦悩、混乱、達成、愛情や大きな犠牲に集中することに力を注いだ。この社会史を通して、過去の日本人娼婦たちは、かつてのかの女らに関わりのあった事柄や、二一世紀初頭のいま、わたしたちに関わりのある事柄を、現世代に語りかけてくる。シンガポールのからゆきさんの人生のきわめて個人的な記録が、わたしたちに語りかけてくるのだ。娼館のドアの向こうから、かの女らの謙虚さと辛抱強さという昔かたぎの美点を、貧困と社会的不平等を、社会的な抑圧と悲哀を、情熱と孤独を、そして切望や死を。
/「日本人読者への「序文」」『阿姑とからゆきさん』
#近代
/「日本人読者への「序文」」『阿姑とからゆきさん』
#近代
植民地主義は戦争につながっている。その富国強兵を国是とした日本の近代化を、産業構造の基盤で支えたものは石炭だった。そして石炭を地底から掘り出したのは、炭坑で働いた男たち女たちであった。
/「石炭産業の崩壊に立ち会って」『精神史への旅 2地熱 森崎和江コレクション』
#近代
/「石炭産業の崩壊に立ち会って」『精神史への旅 2地熱 森崎和江コレクション』
#近代
第二に、功罪半ばする近代化の”罪”の部分に光を当てたいと思う。本書の場合、それは繁栄の陰に潜む無数の悲惨な死者と遺族の悲嘆という現実を投射することである。つまり大量生産・大量消費といった時代動向に即応した大規模な機械化が招く多数の労働災害(ことに”挟まれ”、”巻き込まれ”による大量異常死の出現)という悲劇がどのように受け止められていったかを、個々の当事者の立場から問い直すことであり、そこに伝統的な思考がいかに連動していったかを分析の軸とする作業である。これは換言すれば、労働災害の発生が解釈されていく際のメカニズムを、いわば「グラウンド・ゼロ」の地平から検証することである。
/『八幡製鉄所・職工たちの社会誌』
#近代
/『八幡製鉄所・職工たちの社会誌』
#近代
わたしがここに来たのは
この難破船のため その物語のためでも
その神話のためでもない
あの常に太陽の方に向いている
溺死者の顔
海水に侵蝕され 傾きながら こんな風にすりきれた
美しさを持つようになった 破壊されたもの
臆病な亡霊たちに囲まれ
この破壊された船の肋骨は
その言葉を語る
/『アドリエンヌ・リッチ詩集』
この難破船のため その物語のためでも
その神話のためでもない
あの常に太陽の方に向いている
溺死者の顔
海水に侵蝕され 傾きながら こんな風にすりきれた
美しさを持つようになった 破壊されたもの
臆病な亡霊たちに囲まれ
この破壊された船の肋骨は
その言葉を語る
/『アドリエンヌ・リッチ詩集』
人類のやることは凶暴すぎる。二十世紀の初頭に生まれたばかりの飛行機械に、才能と野心と労力と資材を注ぎ込み、失敗につぐ失敗にめげず、墜ち、死に、破産し、時に称えられ、時に嘲けられながら、わずか十年ばかりの間に大量殺戮兵器の主役にしてしまったのである。
/宮崎駿「空のいけにえ」『折り返し点』
#黒白の世紀
/宮崎駿「空のいけにえ」『折り返し点』
#黒白の世紀
「船と運命を共にする」ということばは、通常沈没して行く船と共に海底に沈んで行くという意味に取る場合が多い。だが、たとえ船体と生死を共にしなくとも、船の持っていた運命によって、離船後も永くその運命にあやつられるように、数奇な生涯を送らねばならない場合も少なくない。
/『日本郵船戦時船史 上』「りすぼん丸」
/『日本郵船戦時船史 上』「りすぼん丸」
『大砲とスタンプ』における「貴様がくれた弾薬だぞ」という台詞での「回収」
というのは徹頭徹尾コミカルな感じで繰り広げられていた後方小役人事務屋兵站部のひとの日常が、その台詞によって「自分が今まで何を担っていたのか」を突き付けられるという、極みの一点であるんだけど
>隙自(創作)語ですが、近代日本における商船が太平洋戦争の戦場において同種の台詞で突き付けられるもの、ってきっとあると思う
>>一九世紀末から二〇世紀前半の帝国主義華やかなりし頃、商船は国際輸送の花形であり、国力の象徴であった。戦時に軍艦が活躍することは言うまでもないが、平時の経済競争を担うのは、人やモノを運ぶ商船である。
/『移民船から世界をみる』
というのは徹頭徹尾コミカルな感じで繰り広げられていた後方小役人事務屋兵站部のひとの日常が、その台詞によって「自分が今まで何を担っていたのか」を突き付けられるという、極みの一点であるんだけど
>隙自(創作)語ですが、近代日本における商船が太平洋戦争の戦場において同種の台詞で突き付けられるもの、ってきっとあると思う
>>一九世紀末から二〇世紀前半の帝国主義華やかなりし頃、商船は国際輸送の花形であり、国力の象徴であった。戦時に軍艦が活躍することは言うまでもないが、平時の経済競争を担うのは、人やモノを運ぶ商船である。
/『移民船から世界をみる』
植民地主義は戦争につながっている。その富国強兵を国是とした日本の近代化を、産業構造の基盤で支えたものは石炭だった。そして石炭を地底から掘り出したのは、炭坑で働いた男たち女たちであった。
/「石炭産業の崩壊に立ち会って」『精神史への旅 2地熱 森崎和江コレクション』
/「石炭産業の崩壊に立ち会って」『精神史への旅 2地熱 森崎和江コレクション』
「チェルノブイリ原発事故の消火作業の際、放射能を閉じ込めるためにヘリコプターで上空から砂が撒かれました。そのヘリコプターの操縦士の多くは、作業中に放射線を大量に被曝し、癌で死んでいきました。私はその操縦士の一人から話を聞く機会がありました。今際の際に、急いで私を呼び寄せた彼は、こう語ったのです。「私は、自分が目にした多くのことを理解することができなかった。あなたも、おそらく理解することができないだろう。でも、私たちは、これを記録して、次の世代の人たちに伝えていかなければいけない。後世の人たちがもしかしたら理解するかもしれないから」と。
/スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ、小野正嗣「響き渡る「小さな声」の渦」『すばる 2017年3月号』
/スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ、小野正嗣「響き渡る「小さな声」の渦」『すばる 2017年3月号』
我々は、この大阪文化の中央性をはっきり捉える必要がある。そして同時に、このような大阪の文化の持つ中央性にもかかわらず、一方では大阪文化の停滞という情況が現出しているのは何故なのかを考えなければならない。
それは、先程述べた東京都は逆の意味で、大阪はその文化を大阪という地域とその中の人間という"地方性”の枠でしか提えない事により、自らの中央性をあいまいにしてきたという事である。我々が決定的な問題と考えるのはまさにこの点であり、ここに大阪の大きなごまかしがあり堕落がある。大阪の文化が、あたかも大阪の地元の人間によってになわれてきたかのように、その中にどっぷりとつかっている情況からは何らの理想のかけらも感じられないし、その行先は退廃極まるものでしかないだろう。
我々の集団は、沖縄、奄美、九州、四国と西日本の各地から、農村を追われ、炭鉱を追われて、集団就職で、首切りによって、この大阪に来ざるを得なかった人間の集まりであり、大阪の一つの縮図でもある。大阪の文化は、このような民衆が大阪を最終的な拠所とし、そこに活路を求め、自らを賭けてやり合う中で育んできたものであり、昔から大阪に住んでいる人間だけによって創られ、大阪という地方に昔から存在するものでは決してありえない。大阪弁で、その地方の言葉を馬鹿にされ、大阪弁を使わされてきた人間が、必死の思いでそのくやしさを怒りを大阪弁を使う事によって表現し勝負してきた。そういう民衆の思いの込められた言葉としての蓄積こそが、大阪弁を迫力ある言葉として響かせているのである。
大阪の文化の中央性とは、大阪の地元の人間や自称文化人、知識人、まして関西財界などが形成してきたものでは断じてない。その中央性は、一九五〇年代後半まで、民衆にとってのもう一方の中央を形成していた北九州がつぶされていくという深刻な情況の中で、民衆にとっては、まさにこの大阪を最終的な拠所として、自らを賭けざるをえない所として形成してきたのであり、その息吹によってきたえられてきたのである。
/栄哲平「我々の文化闘争――南大阪を民衆の文化闘争の砦に」『南大阪・流民の倫理 労働者自主管理の可能性』
今年の夏、九州の筑豊で一人の少年に出会った。彼は、「やすし、きよしの漫才は日本一や。俺も学校を卒業したら、大阪に出て漫才師になって銭もうけするつもりや」と、目を輝かせて話しかけてきた。この少年も、結局、南大阪に流れざるをえないし、また登場してくるのである。かつて「東京へ行くな!ふるさとを創れ!」とある詩人は言った。しかし、彼が呼びかけた民衆は、農村を追われ、炭坑を追われ、東京ではなくこの大阪に来たのである。
/「(同)」『(同)』
#炭鉱
それは、先程述べた東京都は逆の意味で、大阪はその文化を大阪という地域とその中の人間という"地方性”の枠でしか提えない事により、自らの中央性をあいまいにしてきたという事である。我々が決定的な問題と考えるのはまさにこの点であり、ここに大阪の大きなごまかしがあり堕落がある。大阪の文化が、あたかも大阪の地元の人間によってになわれてきたかのように、その中にどっぷりとつかっている情況からは何らの理想のかけらも感じられないし、その行先は退廃極まるものでしかないだろう。
我々の集団は、沖縄、奄美、九州、四国と西日本の各地から、農村を追われ、炭鉱を追われて、集団就職で、首切りによって、この大阪に来ざるを得なかった人間の集まりであり、大阪の一つの縮図でもある。大阪の文化は、このような民衆が大阪を最終的な拠所とし、そこに活路を求め、自らを賭けてやり合う中で育んできたものであり、昔から大阪に住んでいる人間だけによって創られ、大阪という地方に昔から存在するものでは決してありえない。大阪弁で、その地方の言葉を馬鹿にされ、大阪弁を使わされてきた人間が、必死の思いでそのくやしさを怒りを大阪弁を使う事によって表現し勝負してきた。そういう民衆の思いの込められた言葉としての蓄積こそが、大阪弁を迫力ある言葉として響かせているのである。
大阪の文化の中央性とは、大阪の地元の人間や自称文化人、知識人、まして関西財界などが形成してきたものでは断じてない。その中央性は、一九五〇年代後半まで、民衆にとってのもう一方の中央を形成していた北九州がつぶされていくという深刻な情況の中で、民衆にとっては、まさにこの大阪を最終的な拠所として、自らを賭けざるをえない所として形成してきたのであり、その息吹によってきたえられてきたのである。
/栄哲平「我々の文化闘争――南大阪を民衆の文化闘争の砦に」『南大阪・流民の倫理 労働者自主管理の可能性』
今年の夏、九州の筑豊で一人の少年に出会った。彼は、「やすし、きよしの漫才は日本一や。俺も学校を卒業したら、大阪に出て漫才師になって銭もうけするつもりや」と、目を輝かせて話しかけてきた。この少年も、結局、南大阪に流れざるをえないし、また登場してくるのである。かつて「東京へ行くな!ふるさとを創れ!」とある詩人は言った。しかし、彼が呼びかけた民衆は、農村を追われ、炭坑を追われ、東京ではなくこの大阪に来たのである。
/「(同)」『(同)』
#炭鉱
本級や、“あるぜんちな丸”級,日本郵船の新田丸級らを「戦争により薄命に終わった悲劇の美女たち」といった表現で現わす例が多い。それはそれで間違いではないのだが、この時期特に政府の補助を受けて建造された多くの船舶は、いずれも戦争への投入を前提としたボランティア・フリート的な性格を強く持っていた。つまり戦争がなければ生まれ来ることはなかった特殊な存在であることもまた確かなのである。
/小林義秀「報国丸クラスの航跡」『世界の艦船 1998年2月号 No.535』
/小林義秀「報国丸クラスの航跡」『世界の艦船 1998年2月号 No.535』
ぼくらの父祖たちにとって国家はどうだったか?それは幻想としての国家像の暗闇であればある程、顕在化する形として女たちの狂気の挿話をとりあげることができる。昭和の十年代、素封家に育った女が、その夫は都市に就職したけれども、女が海を渡るのは当時村では禁忌だった。年月が立つうちに、ついに思いあまって磯の波打際にひざまづいている女の姿が村の誰れそれの眼にも頻繁にみえるようになった。いわば古いしきたりと禁忌によって素封家に生まれた女なのだが、「時間」の推移によって対幻想が危機にさらされるとき素封家の女は美しくしかも近よりがたい狂気と化したのだ。狂気によって孤島の波打際は都市につながる幻想であり、幻想としての村共同体が解体してあと、一種の可能性として思いみられる共同体である。その女には自覚されざる、しかも情念の内にいだかれている国家像だといえる。また可能性として思いみられた共同体は一度解体したので、それは一つの共同体の影であり、それは幻想である限り、未来の階級を女の自覚しない形で、地つづきの境域として思想者に思いみられるものだといえまいか。マツスとしての波の砕ける無人の磯でくる日もくる日も、荒波のうねり割れる響きと、島を脱出するのをむげにおとしめる村の不文律によって夾撃されて強度の自己禁忌におちいることによって、はじめてつりあう心理的危機が醸成される。それは素封家の由緒正しい子女が村の性のアナーキズムから自己疎外することによって人間形成を遂げたので、狂気は破滅へ向う解放としてでもなく、一種の鬼気をただよわせてあおじろく細っていながら、自己禁忌の極限において対幻想(都市の夫と生活を共有したい思い)は空洞化しながら一層深く女の「生」を拘束する呪縛となるのだ、といえよう。そこから女が脱出するには途はおそらく二つしかありえない。森崎和江の「権力側の祭神に接続していた巫女が、共同体の解体に従って次第にその被所有へ偏向し、やがてその領域の意識の診断者、伝達者として民間遊行の歩き巫女になった。」(「被所有の所有」)といった風に性の融合倒錯によって村共同体の幻想域に生きるか、禁忌を破砕して男たちの一方的につくった共同体を越境することによって対幻想をまっとうするか、のいずれかだ。つまりは自己の対幻想が深まれば深まるほど村共同体の禁忌は家系を通してそれにくつわをかませ浸触してゆく。無言の誰何の目たちにさらされて、狂気は必然的に自己幻想の緊張度の限界を越えるとき発狂となる。素封家の貞女たちは村ではたいてい発狂の危機をあやうく持ちこたえている女たちだ。それを吉本隆明は人間心理の闇黒にわけ入って解明する。「人間の自己幻想(または対幻想)が極限のかたちで〈共同幻想に浸触〉された状態を〈死〉と呼ぶ」(「他界論」)と。素封家の女は、幻想を共同体の方へ傾斜させ一致させる心理的すりかえによって「歩き巫女」になって狂気の、生活への解体をなしとげる情念の風化現象による個人性の喪失ではなく、最後まで個人性のますますリアリテをもつ幻想を生きその重みに耐えかねて発狂し、ついに他界したのである。沖縄に生まれ育った者は多かれ少なかれ素封家の女が自己幻想に全存在をささげ、狂して他界するまでの〈生〉の過程を土着への、あるいは共同体への屈服として単なる哀しい挿話でなしに、個人性の連帯への覚醒の予兆としてくみとらねばならないのではなかろうか。なぜなら「女人禁忌」の思想が原則的には崩壊しているのにもかかわらず、見えざる形で人間関係の心理的動因を規制する範型になっていはしないかという危惧を打ち消すことがいまだにできかねるからだ。それは共同体にまつわる気候、風土などの民族的な感受帯をいかに対象化し、脱却するかという個人性の自覚をまって始めて思想と詩の自立が問題になるのだといえよう。既成の国家の共同性が知識人たちを挫折させる日本近代のメンタリティーの病理もそこに淵源することは二度の大戦でいかにぶざまに日本の知識人たちが国家の共同性のファナァチックな危機の情況で同化解体していったかを思い返すだけで充分だろう。思想の裏切りなどという倫理の次元ではどうしても解決しようのない転向は、風土と民族の感受帯を抽出対象化し共同性を批判し自立する思想の個人性の論理がみちびきだされない限り、糾明されないだろう。論理として意識するとせざるとにかかわらず、また詩作品もその論理によって批評することが一つの確実な射程となることはたしかだ。
/「波打際の論理」清田政信『情念の力学』
#沖縄 #近代
/「波打際の論理」清田政信『情念の力学』
#沖縄 #近代
ソウルから来日した旧友は、北九州市におりたって、駅名――八幡――を見あげた時、ちいさな叫びをあげました。その声で反射的に私は思いだしました。それは二十数年まえの感覚であって、八幡・鉄の都・軍需……とつながるなまなましい現実です。植民地にもその名は威圧的につたわっていました。「ここがあのヤハタですね」と彼はいい「韓国では今の若い人もヤハタの名はたいてい知っています」と続けました。
/「北九州労働者風景」森崎和江『ははのくにとの幻想婚』
/「北九州労働者風景」森崎和江『ははのくにとの幻想婚』
商船を特設空母に改装する一方、制式空母、月型対空駆逐艦の工事が行なわれ、第二船台上では昭和13(1938)年に起工した戦艦武蔵の突貫工事が進められた。無条約時代突入に当り昭和12(1937)年に計画された建艦計画は80655万円の予算をもって戦艦2隻を含む艦艇70隻の建造を行なうものであった。武蔵はその計画の根幹をなすもので、起工より4年半にわたって極秘裡に工事が進められ、昭和17(1942)年、戦雲ただならざるなかに、基準排水量65000噸18吋砲3連装砲塔3基を擁する巨艦の引渡は完了した。武蔵の進水は重量の点で“QUEEN MARY"に次ぐのだが、実質的には進水の世界記録であった。第1号艦大和は呉工廠の造船ドックで建造された。これら超弩級戦艦の巨砲口径は戦争の全期間を通じてアメリカ海軍にとってまったくの謎であり、その後に建造されたアメリカ戦艦が16時砲であったことから、16吋と想像されていたという。武蔵の竣工は大艦巨砲時代の最後の精華であり、また海軍艦艇建造史の終末を飾るものであった。その後、艦型はしだいに小さくなり、昭和18~20(1943~45)年には海防艦、さらに戦局の推移に伴い特殊潜航艇、小型魚雷艇などの特攻兵器製作に最後の活路を見いだそうと努めた。さらに空襲は激化し、当所の作業はほとんど中止同様の状態になっていった。
/『創業百年の長崎造船所』