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調べものノート いろいろ覚え書き

従来日本で行われてきた「ノモンハン事件」の研究は、ほとんどが軍事研究であって、双方の出動した軍隊の構成、兵器、兵力、敵に与えた損害、日本側がこうむった損耗、戦争技術の巧拙などが主題であった。しかし、一九九一年、東京で行われた、日本、ソ連、モンゴルの、参戦三か国の代表が参加した「ノモンハン・ハルハ河戦争国際学術シンポジウム」では、モンゴルのゴンボスレン大佐が、「あの戦争は避けることができたかもしれない」という趣旨の報告を行ったのを聞いて、私は深い感銘を受けた。戦争すなわち殺人技術の成果を競い合う研究報告にうんざりしていた私は、戦争を避ける研究なら自分にもできるし、これこそ私がやるべき仕事だと思ったのである。

/『ノモンハン戦争』
仲里 金城さんが言った「愛ゆえに」は、キリスト教への入信とかかわっているように思えます。自分のおふくろや姉妹を手にかけた痛切な「集団自決」の体験をぎりぎりまで問い詰めたところに到来した究極の言葉であったにしても、最後に疑義が残ってしまうことは否定しようもありません。「集団自決」の闇は思想的に開かれるべきなのに、「倫理」の文脈に還元されてしまうことへの疑問といったらいいでしょうか。「愛ゆえに」の手前で、加害と被害がねじり合っている閾を、国家と軍隊と島共同体の縫合線に露出した沖縄近代のアポリアとして読み解き、それを超えていくのが、とりわけ沖縄の戦後世代の思想の核心ではないのかということをつねづね考えてきたように思います。

/「一「集団死」の特異性」「「愛ゆえに」を超える」『沖縄/暴力論』
#近代
#「血族の災厄」(『天幕のジャードゥーガル』二次創作)
わたしは、小さいときから人間のこたごたした事(矛盾)がいやで理科系を目指した。講義で、政治学の永井陽之助先生に対して、「月に人間が行く時代に、何で人文系の先生方は非合理的な事を…」と食って掛かると、「月に人間が行けるのは、月と地球との間に人間がいないからだ」と、鋭く切り返された。「矛盾の統一とはアートである、政治は一種のわざである。」、その意味が飲み込めずに科学者になった。

/中村春夫「芸術家と科学者の「四季」-井上ひさし氏の講演に寄せて-」
日本の郵便局の窓口にモンゴル宛の郵便を差し出して、すぐに料金のわかることは稀である。郵政省が印刷して、各郵便局に貼り出している色刷の地帯別区分図には、モンゴルの国名表示がないだけでなく、「中国本土」という文字で示されている部分に、国境線一つ引かれず、モンゴルが含まれている。そこが「中国本土」とは別の部分であるとわかるのは、私のようにこのあたりの地図をしばしば見ている者には、ソ連との、特徴ある国境線の曲がりぐあいによってである。書き添えておけば、この料金地図は、昭和四六年印刷の新しいものでも変わっていない。この地図は日本人の外国認識の一つのあらわれであるが、モンゴルのような国を、中国、あるいはソ連のいずれかに付帯させて考えるという一種の民族無視、大国主義的態度を示している。忘れてならないことは、国境線なしに、中国とひとまとめに示されているこの国と、日本は、「ノモンハン事件」という、事件ならぬ一大決戦を敢行して、この国の運命を左右したことがあるという事実である。
私のモンゴル旅行に関心が抱かれるとしても、主眼は常に中国、あるいはソ連に向けられているから、モンゴルはせいぜいそのための媒介であり、中・ソのできごとを説明するための補助資料と見なされている。

/『はるけきモンゴル モンゴルと中央アジア篇 田中克彦セレクシヨンIV』
変革主体の形成を問うと言いながら、その時代を生きた人々に「ないものねだり」をする愚かさについては、言う迄もあるまい。けれども、 「資金調達」や「市場」等々について緻密な研究が積み重さねられていっても、それが養蚕家製糸工女・製糸家その他まさに「生きた人間諸個人」を後景に退けた、いわば「おくれた日本資本主義」の再確認に帰結するのであれば、それは少なくとも私にとっては何の意味もないのである。 歴史を対象とする研究が「歴史としての現代」 に対する責務から解放されてはならないと考える限り、つまりは我々の未来を展望することにいささかなりとかかわりを保とうとする限り、むしろ「おくれた日本資本主義」のなかで、人々がどの様に生き何を形成して来たのか、何を考え、あるいは考えることができなかったのか、そしてそこから人々が単なる「人々」ではない主体として自らを形成する道はどの様に展望されたのか、を問うことにこそ《意味》があるのではあるまいか。
 とはいえ、学問研究たらんとする以上、心情主義的に性急に 《意味》を追求するあまり、無意識のうちにも対象化を放棄した「情感の海」にひたる様なことは、厳しく拒絶されなければならない。「人々がどう生きたか」を考えるにしても、課題はあくまでも「まさに構造論と結合した民衆史の形成でなければならない」(石井寛治 「産業革命論」同氏ほか編『近代日本経済史を学ぶ(上)』、一九七七年、八六頁)であろう。私が《意味》 を求めようとした問題を力法として展開しようとしたのが本書の序章第一節であり、以下の諸章はそれなりにその方法をふまえているつもりであるが、それが問題=方法として一貫しているか、ましてや成功しているか否かについては、読者の判断にまつほかない。ここでは、先学諸氏の精緻な研究に比べての実証面での粗雑さをある程度意識しながらも、敢えてこうした形で本書を世に問おうとしたわけを述べておきたかった。もっともこの様な言いぐさは、「ひらき直り」ではあっても「申しひらき」になり得ないことは、私としても充分承知しているつもりである。理論的・実証的に、あらゆる角度からの厳しい批判の寄せられることを覚悟し、かつ期待している。

/「はしがき」『日本資本主義と蚕糸業』

#近代
#歴史、またそれとの距離
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