つぎに三菱が日本最大の重工業中心財閥であったことも、その大きな特徴である。明治十八年に日本郵船会社が成立して海運事業の直営から手を引かざるを得なかった三菱は、二十年に長崎造船所の払下げを受け(5を参照)、この造船所を中心に製鉄、電機、内燃機などの関連企業を独立させ、三菱重工業企業集団を形成してゆくのである。その原点という意味で、三菱財閥にとって長崎造船所の払下げの持つ意義は、きわめて大きいといわねばならない。そして長崎造船所の経営がまだ軌道にのらない時期に、三斐の最も大きな利潤源としてその屋台骨を支えたのは、高島炭鉱(4を参照)を始めとする炭鉱・鉱山の石炭・銅の輸出であったのである。 /『三菱財閥史 明治編』 #「渺渺録」(企業・組織擬人化) 企業・組織/〃擬人化|引用 2026/04/02
/『三菱財閥史 明治編』
#「渺渺録」(企業・組織擬人化)