渺渺記

思念思索・歴史との距離感…など
良い…と思ったらぜひ押してやってください(連打大歓迎)

海軍艦を描く時に現代のジェンダー観みたいなものを過度に投影させたくないな~と思いつつ、オタクだから『武装商船「報国丸」の生涯』の「おまえたちが女になるんだ!」という叫び(仮装巡洋艦なので擬装訓練=船客を装うことがあった)とかに無心に喜んでしまう
特設艦船の悲しさ、やはり往くべきだった航路に行けなかった貨客船、という感覚があり、潰されてしまった客室、改造時にどこかへ行ってしまった梅色のソファ、白黒二値に染まっていくだけの行き場のない海…なのだが、語彙と知性が無い時に「日本海軍にエロ同人みたいにされて…」と口走ってしまう
『第三十二軍司令部日々命令綴』所収の「球軍会報」一九四五年四月九日付(防衛省防衛研究所所蔵)には、「爾今軍人軍属ヲ問ハズ標準語以外ノ使用ヲ禁ズ。沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜トミナシ処分ス」とある。
/「座談会 沖縄の現実と沖縄研究の現在をめぐって」『沖縄・問いを立てる1 沖縄に向き合う』
#沖縄 #標準語
植民地主義は戦争につながっている。その富国強兵を国是とした日本の近代化を、産業構造の基盤で支えたものは石炭だった。そして石炭を地底から掘り出したのは、炭坑で働いた男たち女たちであった。
/「石炭産業の崩壊に立ち会って」『精神史への旅 2地熱 森崎和江コレクション』
『影の獄にて』では(とりわけ第一部「影さす牢格子」では)大日本帝国は太陽ではなくむしろ月を一つの表象とされている感が強くある、ここで私は奇形であるがゆえに群れから迫害されている鹿のストンピーを想起する。「ストンピーは、自らを排除した天体の周囲をとこしえに回り続ける宿命の衛星として、月を思わせる境涯に甘んずることになった」。あるいは「群れはストンピーを仲間外れにしているけれど、だからかえって他のやつよりも余計に群れとつながっているんだね」。ここに欧米列強から外された日本を想起する、そして著者のポストは(そこに揶揄や侮辱を込めずにむしろ複雑な気持ちを込めて)緩やかにそれを物語で隠喩している
>ストンピーを射殺したジャック・セリエは日本軍によって殺される… ということを考えており、この考えをどう思うか皆に聞いて回りたいんだけど、まず『影の獄にて』を読んだ人が多くない どうすればいいんだ
コミティア140(2022年5月5日)のペーパーに寄せた文章

 こんにちは。津崎です。
 ペーパーに書くことがなくて急いで文章を書いています。いつもは新刊の解題を書いていることが多いので、そんなことを書こうかなぁと思いつつ言語化が難しくもにょもにょ……と思いながら休みをぼんやりとしています。ふねが見てぇな……。ふねの話もみんなとしたい。そして同人誌語りもしたい。

 では、ペーパーの本題としての『永遠のいのち』の話をしたいと思います。
 COVID-19対策のための規制もだいぶ緩和されたので、初めて感染が拡大した時の非常事態感をすでに思い出せなくなりつつあることに少し驚いています。
「シン・ゴジラ」で濁流に流されていくボートの群れを見て映画館で気持ち悪くなったことがあったのに、あの映像に何も感じなくなってすでに久しいです。すでにシンゴジを「ポスト3.11(東日本大震災)映画」として観ることができなくなっていることに気づきました。たまたまyoutubeで関連動画として出てきた津波に流されている人たちの動画を見てしまった時に感じた「同じ共同体に属している人が死んでいる」というその場限りで単純で危うい悲しみと使命感のようなものを思い出せるのですが、それもすでに実感としてはついてこないです(まあその共同体への高揚感に限っていえば早く忘れた方が良いのですが……)。
 新型コロナ文学の多くやこの『永遠のいのち』も、「そんなことがあったなぁ」という、新型コロナ騒動が記録上だけの存在になったことをあらためて確かめるだけのものになるのかもしれません。あるいは脱新型コロナ化した領土から読む、ただの恋愛や日常や人生の物語として読まれる日が来るのかもしれないと思っています。シンゴジはめっちゃ面白いし価値がある優れた映画なんだけど、それはSF要素やメカミリや非実在の実在性を突き詰めている描写がその面白さを担っている気がします。なので脱3.11化した領土から観るシンゴジはやはり映画として面白い。でも、あの流されるボートや瓦礫、防護服、原発、被災民などのディテールへの「理解」が私に(もしかしたらあなたに)できること、それはやはりあの映画を観ることにおいて重要である気がします。それが「理解」できることは私の強みです。強み、というか、経験した不幸の中から見出せる価値の一つ、そう、たぶんそんなのです。
 あなたが東日本大震災下の社会を経験したかどうかは知りません。でも新型コロナ下の社会は経験しています。私とあなたは新型コロナの社会を経験しています。
 新型コロナ下のディティールが「理解」として通じる時間を共に過ごしています。新型コロナの経験は不幸ですが、この共通の「理解」は価値のあるものだと考えたいのです。

 その時に、あなたにふねの話がしたかったのです。
 いまの社会の現状の「理解」ができるあなたに、もしかしたら興味や知識の問題でふねの現状は「理解」できないあなたに、新型コロナ下のふねの話がしたかった。
 特に商船の現状の話がしたかった。新型コロナで浮き彫りになったことの一つが観光業への打撃でしたから。今回『永遠のいのち』に登場した一定の船たちは観光業に従事しているといっていい船たちでした。観光船もクルーズ客船もお客が減りましたし、運休もしました。少しは仲間が引退しました。世界的にいえば多くの船が感染症の影響で引退して解体現場や船の墓場へと曳かれていきました。新型コロナ対策の制限が緩和されているといえども今後もそれは続くでしょう。多くの船は末路を迎えるでしょう。不本意で。少し早めで。唐突で。実感のない。そんな終わりを。
 私はそんな船のいまの話をしたい。
 そしていまの船の命題としての永遠の命の話をしたいと思ったのです。
 現在の商船に焦点を当てるときに、永遠の命の話をしようと思いました。
 正確にいえば「永遠の命」という常に反語で語られてきたものの話をしようと思ったのです。反語として、有限の命の話として。
 終わりに曳かれていくかもしれないという不安を抱えている船と、終わりに曳かれていく不安のない船だったものを対比させることによりそれは鮮やかに浮き彫りになるのではないかと考えました。
 コロナ禍の飛鳥Ⅱに対して解体されることがない氷川丸が語る「永遠の命」は死ぬことに似ています、そして沈んだことや解体されたこととほぼ同じでした。ふねは海を往ってこそのもの、それはふねの大前提だからです。だから氷川丸は最期への怯えを見せた飛鳥Ⅱに向かって永遠の命が欲しくないかと尋ねます。本当に永遠の命が欲しいのか?本当に?そんなわけないだろう?これは先達なりの応援の言葉です。反語としての提示でした。
 ここから飛鳥Ⅱはこの先を見出すのだと思います。また氷川丸以外の多くの現役船たちもそれぞれがそれぞれのきっかけで再び未来を見出していくのでしょう。有限の命の有限の使い方を。シーバス、シーフレンド7。ロサ・アルバ、ゆめはま。マリーン・ルージュ。にっぽん丸。飛鳥Ⅱ。ほかあまたのふねたちも。永遠の鈍りではなく一瞬の燃えるような生を彼らは歩んでいきます。おそらくは。収支と物理的耐久の許す限り。収支といえば、商いのための船という命題も描いたつもりです。存在意義の一つですから。

 物語は予兆だけを残して終わりました。来たるべき「未来」を物語にするには2020年-2021年の連載時では早すぎました。ふねたちが、特に物流や観光を商売とする商船たちが経験した不幸の中から何かを見出すことはまだないのでは、仮に見出していたとしてもそれを物語として落とし込むことは時期尚早なのでは、と考えざるを得ませんでした。新型コロナの惨禍はいまも続いているからです。
 だから、私はそのまま「そこにある」をとっておくように努めて描きました。あるがままとしてその状況を描いておく。答えは五年後、十年後にわかるかもしれない。未来にこの同人誌を蔵書から見つけて「彼らにそんなこともあったなぁ」と笑ってあげたいのです。十年後の未来で、新型コロナの終息した未来で。彼らが答えをだすことを、未来があることを、五年後十年後があることを確信したいのです。その予兆と私の期待を、この物語から感じ取って頂けたらこれ以上の幸せはありません。そしてなによりも、この物語を、人間たちの感染症のために忌避された船、不安にくれた船、未来を信じられなかった船、存在意義を果たせなかった船、またそれによる経営悪化や赤字という極めて商船的な理由のため、番狂わせで唐突な"終わり"を迎えた船たちに無力ながら捧げたいと思います。この度はお手に取っていただきほんとうにありがとうございました。

#長文
#ペーパー
擬人化王国25(2022年2月22年)のペーパーに寄せた文章

 こんにちは。津崎です。津崎のペーパーです。
 津崎のペーパーと言っても書くことがないです。新刊を完成させたのがだいぶ前だったので、書くべき所感とかも既にあまりなく……。
「病院船の顛狂室」プレ本が今回の新刊なのですが、本編を描ける日がいつくるんだろうか。最近は企業擬人化が気になっていて、でも自創作(艦船擬人化)に企業擬人化が挿入されると世界観のバランスが崩れるので難しい。「病院船の顛狂室」に御社を出すの?と聞かれると、あまり出したくないとは思います。ふねの親、はただ人間だけだと良いなと思っているので……(じゃあなんで企業擬人化に興味を持った?)
「病院船の顛狂室」に御社が出てきたら、主人公は船じゃなくて御社になっちゃうと思うんです。組織企業と艦船が主従にならない創作にしたいなとは思っています。

「病院船の顛狂室」はコンスタンチン・コロヴィンの絵画並みの明るさと煌めきと彩度のあった貨客船たちの世界が、戦時下の大政翼賛を経て(世界を彩る色彩という意味でも艦艇改造の表象の意味でも)「灰色」になっていく様を提示するための物語です。
 記憶も現実も鮮やかだった時代からだんだんと記憶のみが鮮やかで美しいままで、色褪せた現実との落差の反復をシーンの切り替えの内で繰り返していく。墨で書かれた戦果、戦歴、爆雷の数。思い出すのは五色のテープが鮮やかだったこと。戦闘詳報。荒く書かれた出撃の文字。濃灰のダズル迷彩。第三種軍装の濃緑。食堂室に照る紅鳶色のライト。死者の乾びた黒い血。
 なのでカラー漫画、なので長編漫画の予定なのですが、まあ完成させるためには1話1話描くしかないね。がんばりたいです。
 本として残っていると本編を描くときの指数になるので、『貨客船の航跡波』みたいな本をもう数冊はつくるかもしれません。

 
 第二次世界戦争による日本商船隊たちの被害を、戦禍の源を災いの由来を「災害のような顔の見えない〈敵〉=抗いようもなく降りかかってきた苦難に立ち向かう」様に描くか描かないかと言われるといや描いていいわけないだろうと思います、が、じゃあ如何にして「災い(概念)」ではなく「太平洋戦争での日本商船隊の苦闘」にするかと言われると難しさを感じます。
 観念としての苦難・災いに立ち向かう様は「国を守るため戦った」という言葉の空虚感にも似ていて、なんで守りたかった?なんで守るはめになった?なんで戦った?そもそもなんで戦うはめになった?という話に繋がります。この時に使われる「国」という単語は必ず「国」であって「日本国」でないことが多い気がしています。これは『アンダーグラウンド』の「くに」という言葉の用法(幸福な時代や幸福なユートピアとしての「くに」)に近いのです。
「災い(概念)」前提でなら許されるけど「太平洋戦争の日本商船隊の苦闘」だと「いやなんでそもそも日本国や日本海軍はこんなハチャメチャな状態を許しちゃったのか……」という、(あまりこういう形容はしたくないが)呆れが出てくるのは仕方ないのかもしれません。でもそこも描写すべきなんだろうと思います。呆れるような現実を命令されて軍犬にも劣ると罵られながらも頑張って実行してそのまま沈んで行ったわけです。描写すべきものを描写する時に、「災い(概念)」では描写できないものがあるのです。自然災害は人間の非ではないです。天譴たる災害など存在しません。災害は人間が引き起こすものではないですが、戦争は人間が引き起こすものです。問題はそこなのです。
 自分が持つのは正義ではなくただの一つの主義であるということ。
 自分たちが向ける主義のむこうにあるのは大きな受難や受けざるを得ない災厄ではなく、もう一つの別の主義だということ。
 抗いようもなく突如襲ってきた〈敵〉、どうしようもない災いではなかった国家対国家の戦争、連合国軍という明確な人格を有する人間相手の戦争である太平洋戦争は、長い長い海運の歴史と海運が支えた軍国日本の末路でもありました。貨客船の美しさは武器であり、外貨を稼ぐ技であり、外国人に日本を知らせるための日本帝国の小さな博覧会の会場、船舶は国土の延長であり大日本帝国の延長でもありました。日本海運に対する敗戦後の連合国軍の苛烈な対応を見れば、広くその認識があったに違いない。日本陸海軍の良き妻であった、かもしれません。
 しかし忘れてはならないのは、海運はそういった婉曲な文化的加害者でもあったが同時に明確な被害者でもあったという点です。それは船員の損耗率が、海軍や陸軍の比率をはるかに上回るものであることからも理解できます。軍馬や軍鳩や軍犬より劣ると言われ、輸送しては船が沈没し、船が沈没したら文字通り丸裸でした。乗る船も武装もなく、戦場にいるのに軍に身分を保証されていなかった。『野火』には日本兵が日本兵を襲う描写がありますが、そのまま片方が武装のない海員だった場合を想像すればその地獄は理解に難くありません。
 加害者の下に被害者がいる、その被害者の下に被害者がいるという構造、加害者にしてもなぜ自分が加害しているのかわからない構造、大きな歯車に組み込まれていること、そうして理不尽が回り続けること、船員が犬を蹴ること、船員が軍馬や軍鳩や軍犬より劣ると兵士に罵られること、一兵が上等兵に制裁を受けること、上等兵が将校に罵倒されビンタされること、将校が天皇陛下の御前にと言いつつもなぜ自分がそう言うのかわからないこと、その状況。
 新刊に収録した「それぞれの地獄」というのはその状況を指しています。
 等しくあるのは死という末路だけだ。
 擬人化ホントに関係ないね。終わり終わり。ありがとうございました。

※あくまで2022年時点での理解と解釈です。
#ペーパー
#長文
映画「さらば、わが愛/覇王別姫」の漢奸裁判で、蝶衣が「日本軍将校の青木が生きていれば京劇を日本に持って帰っただろう」と言うシーンがあり、あれは映画監督のコスモポリタニズム的な見解なのかなと夢想していたのだが、そうではなく、ただ単に蝶衣は京劇以外のものが見えていなかっただけだろう
蝶衣は京劇しかが見えておらず、同胞が罪無きままに大量に銃殺されたあの長い夜のことも、同胞の死体が軍犬に食わされていたことも見えておらず、京劇にしか生きていなかった、京劇の観客として単純に中華民国軍兵士は日本軍より劣っていたという失望と幻滅、そこには京劇の主人公としての視点しかない
最近は戦後の沖縄の思想を読んでいます。

 その中で『沖縄県史』(沖縄縣史)に触れられている書籍をいくつか見るので、まずはいっちょインターネットで『沖縄県史』の構成を調べてみるぞ、と思い検索したところ、うまくヒットしません。
 なんか、こういうのはいつもはアマチュア有志のFC2ブログかGooブログがヒットするじゃないですか。目次一覧、みたいなやつ。探し方が悪いのか見つからぬ……。
 調べる・読む時に、一覧や概要があるだけでも有難いため、ここに記載しておきます。

 ここで言う『沖縄県史』は1960年代に計画され、1965年-77年に刊行された、23巻+別巻1の県史となります。新しくないほうの古いほうの県史です。
 琉球政府編、国書刊行会の発行。
 「この種の企画としては異例」の「近代だけを主題とする県史」(『沖縄の戦後思想を考える』)です。

 実は『沖縄県史』は国立国会図書館デジタルコレクションの「個人送信限定」で、全巻読むことができます(!)国会図書館に本登録している人であれば、自宅でも簡単に読めるんです。学生時代にデジコレ個人送信限定ほしかったよな……ホント……。 
 デジコレでは重複分があって、何かしらの理由があって納本がズレたのかな~と思いました。


    通史
    各論編1 政治
    各論編2 経済
    各論編3 教育
    各論編4 文化1
    各論編5 文化2
    各論編6 移民
    各論編7 沖縄戦通史
    各論編8 沖縄戦記録1
    各論編9 沖縄戦記録2
    資料編1 上杉県令関係日誌
    資料編2 沖縄県関係各省公文書1
    資料編3 沖縄県関係各省公文書2
    資料編4 雑纂1
    資料編5 雑纂2
    資料編6 新聞集成 政治経済1
    資料編7 新聞集成 政治経済2
    資料編8 新聞集成 教育
    資料編9 新聞集成 社会文化
    資料編10 新聞集成 沖縄県統計集成
    資料編11 旧慣調査資料
    各論編10 民俗1
    各論編11 民俗2
 別巻

 以上です。さっとでいいから目を通したいです。

メモ
『沖縄の戦後思想を考える』p102に『沖縄県史』の概略を述べている部分があります。
#長文
#沖縄
船の越境論

 船に感情というものがあったとしたらという観点に立って特設艦船の心情や悲喜を探ってみたいと思う時がある。特設艦船とは軍隊により接収され改造・改装された船のことで、貨客船・貨物船から小型漁船まで多くの船を網羅する。それら船の共通点は戦わないこと、戦うための船ではないことであり、軍の徴用や買収は戦争への参加を押しつけられた切符であった。多くの船にとっては片道切符となった。早々に戦没する宿命だったからである。
 戦わない船の戦争。
 兵士も民間人も平等の命、一人の人間である。艦が沈んで光栄の上等、船が沈んだら悲しみをもって悼む、という感情はただの感傷であると退けたい。しかしなぜ民間船が、民間船だった艦が戦没することに私は執着するのだろう、と考えた時に思うのは、世界文学への屈折した愛着と、その文学が永遠の命題とする異郷での客死である。あるいはその異郷で経験するさまざまな障害だろうか。自国の常識はそこでは非常識。彼女の話す母国語はそこでは異国語である。移民の彼女はその国に――その海に、その軍隊には容易に同化できなかったかもしれない。そんな二十世紀の人間たちの痛みを同じくアジア・太平洋戦争下の船たちは背負っていたかもしれなかった。馴染んだ横書きの航海日誌ではなく与えられた戦闘詳報で自らの栄光を語るということ。
 船は海を往くことが幸せ、とだけ考えれば、こんな甘い郷愁など抱かなかっただろう。道具は使われてこそ価値がある――それが多少違った使い方であろうとも。病院船はそれでもやはり、いやあるいは、だからこそ(・・・・・)美しかったはずだ。
 けれどそこに船の悲しみを見出してしまうのは、船ぶねの抱く文化の麗しさとそれを基調とする人びとの文化の麗しさにほかならない。それはもちろん貨客船の抱える一等社交室である。そこにあるグランドピアノである。あるいは漁船の上に翻る大漁旗の旗の金刺繍の輝きでも良い。海と共にあった船、と共にあった人びとの抱いてきた素朴な民衆文化は戦火で荼毘に付すにはあまりに惜しいものだった。
 あえてその喪失に美学を見出すこともできただろう。オフィーリアはさいごに水死するから美しいのだ。立ち上がって再び陸に上がることなど到底許されない。あの横たわる退廃的な死のにおい、微睡みにも似た死への緩やかな移行の情景は、憧憬を伴って生者である私たちの想像力を豊かに刺激する。貨客船香取丸はインドネシア海域で雷撃を受け海へと傾斜したとき、サロンにあった大型ピアノが大きな不協和音を奏でながら滑っていった、という……。太平洋戦争開戦すぐの出来事であった。船は陸軍に徴用されていて、陸軍部隊が乗船していた。が、未だ船内には乗組員や平時の物資が乗っていた。そのピアノはかつての栄光を留めているもののひとつだった。船と一緒に海へと転がり落ちてゆく陸軍兵士、乗組員、ピアノ、かつての栄光。沈没したその日はクリスマス・イブであった。
 二律背反たる船の生と船の死という命題は、戦場の船というものを仰ぎ見るときにいちばんの難題となって私たちの心を刺すのだろう。生の鮮やかさと死の沈黙。それは人間を見るときも同様である。人間とおなじようにふねを見るということ。人間のうつわとしてのふね。
 人間の様相を写すものとしてふねを見定めていきたい。

#長文
日本郵船歴史博物館閉館(移転)雑感諸々

 日本郵船歴史博物館を初めて訪問したのは二〇一八年前後だと思われる。艦船を追いかけ始めたのは二〇一二年末の頃だったから、そこから数えれば五年も後のことだった。出不精とはいえ、関東の艦船オタクにしてはこの博物館に対してノーマークだったといえる。
 恥ずかしながら正直に告白すると、私にとっての「ふね」とは長らく「海軍の艦艇」のことであった。
それは戦史・ミリタリー趣味から始まった「艦船の追いかけ」だったためでもあるし、軍隊という歴史では良くも悪くも著名な存在に対して、海運会社やその仕事や担った文化的価値というものは「ふねの歴史」に関わる存在としては地味なものだったからだ。その「地味」という評価は何かしらの侮蔑や蔑視や軽視ではなく、単純な無知に由来する「初心者には受信できないマイナーな情報」という意味での「地味」だった。
 歴史という大河にまったく詳しくなく、なぜその艦が必要とされたのか、軍艦とは何か、海軍の由来は、海軍の意味は、国家の矛と盾としての軍隊とは、当時の時代の日本の様相は、世界の海とは……。あるいは、海運会社が文化面で担った責務とは?貨客船で行いたかった生業とは?そのような世界の展望や横断した知見には程遠い視点で、個々の艦の知識というよりは情報ばかりを己のなかで肥大させていた(この空母の排水量は、艦載機は云々……)。
 さらに私の言う「海軍のふね」といえば軍艦――戦艦や航空母艦、巡洋艦――であって、特設監視艇や病院船、あるいは海防艦などでは決してなかった。後者はいわんや無知な人間にはあまりに「地味」すぎた。私にとって艦は美しいものであり、美しければそれで十分で、その艦の基本情報と周りとの関係性が多少分かればそれでよかったのである。戦闘は戦争の華である。戦闘艦は美である。海上護衛などはいくらかの人間が言うように意味も、存在も、実際の任務自体も、ことごとく文字通り地味であり、同時に上記の意味でも「地味」で初心者には理解ができない複雑怪奇なふねの運用方法だったのだ。

 そうしてふねの浅瀬で遊んでいるうちに五年が経過した。
 何をして海上護衛や徴用船、特設艦船などに興味を持てたのか、日本郵船歴史博物館の初訪問の時期と同じく覚えていない。しかし当たり前だが五年も経過すれば浅瀬も浅瀬なりに広く深くなる。航空母艦隼鷹(貨客船橿原丸が戦時体制により改造され造られた艦)などから入ったような気もするし、あるいは艦艇種別一覧などを読み解いていけば特設艦船など容易に見つけることができよう。病院船などは存在自体は知っていた。特設病院船という日本海軍が元民間船舶に振った種別を私が認識していなかっただけなのだ。
 またこの頃になると海軍や艦艇の濃紺深き実直な文化ではなく、千紫万紅を彩る客船文化に目を奪われるようになった。それは地味とは程遠いものであった。茫漠と漂う爛熟した幸福とちりばめられた奢侈な調度品、海の上だからこそなおさら祈らざるを得なかった素朴な平和と友好の念、海を越えた友情の握手――そんなやさしい世界がそこにはあった。

 海軍軍人よりも多くの割合で人員が戦死した軍属たちの怨嗟の声は、その華やかであったはずの叙述詩的世界からの転落とその戦地との落差に鮮やかに彩られ、殊更に悲惨に感じられる。
五年を経た私は、海軍の戦闘での敗北のみを悲劇と捉えるほどに軍隊的あるいは単細胞的な美学を持てなくなっていた。
 だから海運というものに活路を求めたのは一種の必然だったかもしれない。美しかった生や美しくなるはずだった未来が戦争という災厄により無残にも失われ、軍艦へと装いを変えられて戦場という火の海の中へと向かう元貨客船や元貨物船など(またその乗組員たち)は、私にポストコロニアリズムや越境文学的な離別を容易に彷彿とさせた。それを悲劇と捉えて消費するそこに一種の危うさがなかったといえば嘘になるが、それでも私はそれを自分の命題として受容したのだった。
 日本郵船歴史博物館の移転は寂しい。
 再開館は二〇二六年予定らしく、その間に展示も図録もない。移転は新築の高層ビルのなかである。今のような天井が高く影の濃い文化財ではない。どうなるのかさっぱり予想がつかない。
それでも建物も博物館も無くならないだけ有り難いのかもしれない。とりあえず私は二〇二六年まで生きのびねば。
 日本郵船歴史博物館と日本郵船に、長い感謝を捧げたい。

2023.3.28記

#長文
 私はよく、ふねの「永遠の航海」の話をする。計画の中止で未成船となったふねや「往くはずだった未来」を往かなかったふねたちが往く、人間の観念の海での航海の話だ。そこではふねたちは大勢のうつくしい船客に囲まれて、そこでは風船と紙吹雪が舞い、ワインと料理が並び、歓呼、歓声、声、声、楽団の楽器の音色、拍手、囃す口笛が長く音を引いている。漣のように寄せては引いていく幸福感に包まれて、ただその海、そこにふねはある。しかしその海、その空想にしかふねはいない。ふねらは存在しない永遠の航海を往くのだ。
 人間たちが「もしも」の口上でその「あったかもしれない」を語るとき、ふねぶねは永遠にその海に流刑にされる。人間の想像力に嬲られて、皆の想像上の海を往く。
 ところで当時の旅行案内を見ると、これもまた別の「永遠の航海」がある。船らは美しく装い航路を往っている。海を往き続けている。時が止まっているのではなく、止まり-続けている。船たちは得意そうな顔をして船隊を組み、国家の雄姿を支え続けている。歴史という海の中をいつまでも泳いでいる。ふねらは人間の記録上で「こうあった」と記される。そして物語として語られたりする。何度も生まれて、何度も沈んだりする。これも永遠の、航海なのだ。
歴史ものを描くときに、悲惨であることにつとめて価値を見出すことに馴れないほうがいいというか、ネクロフィリア(死体愛好)っぽい作品にしすぎないほうが良いな…ホントは……という自戒がある
「チェルノブイリ原発事故の消火作業の際、放射能を閉じ込めるためにヘリコプターで上空から砂が撒かれました。そのヘリコプターの操縦士の多くは、作業中に放射線を大量に被曝し、癌で死んでいきました。私はその操縦士の一人から話を聞く機会がありました。今際の際に、急いで私を呼び寄せた彼は、こう語ったのです。「私は、自分が目にした多くのことを理解することができなかった。あなたも、おそらく理解することができないだろう。でも、私たちは、これを記録して、次の世代の人たちに伝えていかなければいけない。後世の人たちがもしかしたら理解するかもしれないから」と。

/スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ、小野正嗣「響き渡る「小さな声」の渦」『すばる 2017年3月号』
 我々は、この大阪文化の中央性をはっきり捉える必要がある。そして同時に、このような大阪の文化の持つ中央性にもかかわらず、一方では大阪文化の停滞という情況が現出しているのは何故なのかを考えなければならない。
 それは、先程述べた東京都は逆の意味で、大阪はその文化を大阪という地域とその中の人間という"地方性”の枠でしか提えない事により、自らの中央性をあいまいにしてきたという事である。我々が決定的な問題と考えるのはまさにこの点であり、ここに大阪の大きなごまかしがあり堕落がある。大阪の文化が、あたかも大阪の地元の人間によってになわれてきたかのように、その中にどっぷりとつかっている情況からは何らの理想のかけらも感じられないし、その行先は退廃極まるものでしかないだろう。
 我々の集団は、沖縄、奄美、九州、四国と西日本の各地から、農村を追われ、炭鉱を追われて、集団就職で、首切りによって、この大阪に来ざるを得なかった人間の集まりであり、大阪の一つの縮図でもある。大阪の文化は、このような民衆が大阪を最終的な拠所とし、そこに活路を求め、自らを賭けてやり合う中で育んできたものであり、昔から大阪に住んでいる人間だけによって創られ、大阪という地方に昔から存在するものでは決してありえない。大阪弁で、その地方の言葉を馬鹿にされ、大阪弁を使わされてきた人間が、必死の思いでそのくやしさを怒りを大阪弁を使う事によって表現し勝負してきた。そういう民衆の思いの込められた言葉としての蓄積こそが、大阪弁を迫力ある言葉として響かせているのである。
 大阪の文化の中央性とは、大阪の地元の人間や自称文化人、知識人、まして関西財界などが形成してきたものでは断じてない。その中央性は、一九五〇年代後半まで、民衆にとってのもう一方の中央を形成していた北九州がつぶされていくという深刻な情況の中で、民衆にとっては、まさにこの大阪を最終的な拠所として、自らを賭けざるをえない所として形成してきたのであり、その息吹によってきたえられてきたのである。
/栄哲平「我々の文化闘争――南大阪を民衆の文化闘争の砦に」『南大阪・流民の倫理 労働者自主管理の可能性』


今年の夏、九州の筑豊で一人の少年に出会った。彼は、「やすし、きよしの漫才は日本一や。俺も学校を卒業したら、大阪に出て漫才師になって銭もうけするつもりや」と、目を輝かせて話しかけてきた。この少年も、結局、南大阪に流れざるをえないし、また登場してくるのである。かつて「東京へ行くな!ふるさとを創れ!」とある詩人は言った。しかし、彼が呼びかけた民衆は、農村を追われ、炭坑を追われ、東京ではなくこの大阪に来たのである。
/「(同)」『(同)』

#炭鉱