私はよく、ふねの「永遠の航海」の話をする。計画の中止で未成船となったふねや「往くはずだった未来」を往かなかったふねたちが往く、人間の観念の海での航海の話だ。そこではふねたちは大勢のうつくしい船客に囲まれて、そこでは風船と紙吹雪が舞い、ワインと料理が並び、歓呼、歓声、声、声、楽団の楽器の音色、拍手、囃す口笛が長く音を引いている。漣のように寄せては引いていく幸福感に包まれて、ただその海、そこにふねはある。しかしその海、その空想にしかふねはいない。ふねらは存在しない永遠の航海を往くのだ。 人間たちが「もしも」の口上でその「あったかもしれない」を語るとき、ふねぶねは永遠にその海に流刑にされる。人間の想像力に嬲られて、皆の想像上の海を往く。 ところで当時の旅行案内を見ると、これもまた別の「永遠の航海」がある。船らは美しく装い航路を往っている。海を往き続けている。時が止まっているのではなく、止まり-続けている。船たちは得意そうな顔をして船隊を組み、国家の雄姿を支え続けている。歴史という海の中をいつまでも泳いでいる。ふねらは人間の記録上で「こうあった」と記される。そして物語として語られたりする。何度も生まれて、何度も沈んだりする。これも永遠の、航海なのだ。 艦船/〃擬人化|歴史(またそれとの距離) 2026/02/18
人間たちが「もしも」の口上でその「あったかもしれない」を語るとき、ふねぶねは永遠にその海に流刑にされる。人間の想像力に嬲られて、皆の想像上の海を往く。
ところで当時の旅行案内を見ると、これもまた別の「永遠の航海」がある。船らは美しく装い航路を往っている。海を往き続けている。時が止まっているのではなく、止まり-続けている。船たちは得意そうな顔をして船隊を組み、国家の雄姿を支え続けている。歴史という海の中をいつまでも泳いでいる。ふねらは人間の記録上で「こうあった」と記される。そして物語として語られたりする。何度も生まれて、何度も沈んだりする。これも永遠の、航海なのだ。