渺渺記

思念思索・歴史との距離感…など
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鮮血飛び散る話というか、近代の人間たちが流していた血を私が返り血として浴びているという明確な姿勢と意識、そんな近代の創作をしたいのだけど、それをあえて擬人化でやり続けるかを悩んでいる
妄想ですから、資料的価値は無いって銘打ったんですけどね。資料を見て調べて、克明にその通りの飛行機を描くとか、軍艦を描くとかは面倒臭くって、もう頭クラクラしてくるもんですから、大体こんな感じでって、いいかげんにやってるんです。嘘も随分混ぜてますけど、それで非常に詳しい人達がだまされると非常に嬉しいという(笑)。
/宮崎駿「雑想ノートは、僕の道楽なんです」『出発点』
また,近代は,単に小説なるものを可能にしただけでなく,近代という時代それ自体が,小説的な語りを要請したのではないか.近代において社会が体験するドラスティックな変容.国民国家間で生起する戦争には,国民すべてが否応なく巻き込まれる.植民地主義の侵略によって,祖国にいながらにして,自分たちが帰属する,そして自分たちに帰属するはずの大地から疎外されていくという不条理.近代という時代が,そこに生きる人間たちにもたらすトラウマ(精神的外傷)その不条理さゆえに言葉で名づけ,「経験」として飼い慣らし、過去に放り込むことのできない〈出来事〉の暴力.そうした,言葉では語ることのできない体験,〈出来事〉を,物語として語るという時代の要請を,小説は自らの身に引き受けたのではないだろうか.言いかえれば,小説の語りには,そうした出来事の不可能な分有の可能性が賭けられているのではないだろうか.
/『記憶/物語』
#近代
沖縄で詩を書くとはどういうことか?それはことばが〈近代〉として充分に体験されていないところで、しかも物質としての〈近代〉がはげしい速度で都市を変客させ、村の〈共同体〉を破壊していく情況に挾撃されつつ自らのアドレッセンスを追訊する魂の行為となる以外にないだろう。地方に在りながら地方を対象化するということは、単なる土着への依拠によっては果されないし、また土着からの離反として言葉を円環化するところにもあり得ない。土から身を離する論理を縦深化すると共に、その論理化の過程で風土の肉感を体現すること――これ以外に地方に在って詩を書く方法はないのではなかろうか。それを前提にする限り、どんな言葉の実験も可能だし、どんな思想を方法化するのも可能だといえよう。
/「感受性の変容」『情念の力学』
#近代
絢爛たるスペクタクルとともに、改造と文明の名で押し寄せた近代は、植民地都市の陰鬱な景観を貫通し、女性たちの空間、閨房にまで至った。
/『京城のモダンガール』
#近代
本書には、表現を和らげる潤色、ノスタルジア、ロマンチックな美辞麗句はない。わたしは、東南アジアの植民地港湾都市という、発展途上の「近代」の過酷な景観のただ中を生きた日本人女性たちの、悲痛、苦悩、混乱、達成、愛情や大きな犠牲に集中することに力を注いだ。この社会史を通して、過去の日本人娼婦たちは、かつてのかの女らに関わりのあった事柄や、二一世紀初頭のいま、わたしたちに関わりのある事柄を、現世代に語りかけてくる。シンガポールのからゆきさんの人生のきわめて個人的な記録が、わたしたちに語りかけてくるのだ。娼館のドアの向こうから、かの女らの謙虚さと辛抱強さという昔かたぎの美点を、貧困と社会的不平等を、社会的な抑圧と悲哀を、情熱と孤独を、そして切望や死を。
/「日本人読者への「序文」」『阿姑とからゆきさん』
#近代
植民地主義は戦争につながっている。その富国強兵を国是とした日本の近代化を、産業構造の基盤で支えたものは石炭だった。そして石炭を地底から掘り出したのは、炭坑で働いた男たち女たちであった。
/「石炭産業の崩壊に立ち会って」『精神史への旅 2地熱 森崎和江コレクション』
#近代
第二に、功罪半ばする近代化の”罪”の部分に光を当てたいと思う。本書の場合、それは繁栄の陰に潜む無数の悲惨な死者と遺族の悲嘆という現実を投射することである。つまり大量生産・大量消費といった時代動向に即応した大規模な機械化が招く多数の労働災害(ことに”挟まれ”、”巻き込まれ”による大量異常死の出現)という悲劇がどのように受け止められていったかを、個々の当事者の立場から問い直すことであり、そこに伝統的な思考がいかに連動していったかを分析の軸とする作業である。これは換言すれば、労働災害の発生が解釈されていく際のメカニズムを、いわば「グラウンド・ゼロ」の地平から検証することである。
/『八幡製鉄所・職工たちの社会誌』
#近代
「戦艦土佐のくす玉が割れなかったことを文学的に語り弔うこと」と「次回進水する艦艇のくす玉は確実に割れるように研究と対策をすること」のあいだのあわいを考えている……
いつしか電車に乗ってたらカップルの男女が
男「なんだっけ、総理大臣とかじゃなくて…何々様っていう…」
女「う~ん…天皇?」
男「そうそれそれw」
という会話をしていてめちゃワラだったんだけど、「日本人は戦争を反省していない」とかどうだとかそういう地平線とはまったく別の世界の余地というべきか では「日本人は戦争を反省していない」として、その「反省」をするにはどうしたらいいかを考えた時に、「小学校で歴史をもっとちゃんと教える」とかそういう話"以外の"、もっと別の何か、根本的に別の解決が求められる気がした 電車で…
読み始めた本を完読せねばならないという意識は本に対する甘やかしだ、みたいな文を読んだのに、大昔で出典を失念してしまった
『記憶/物語』まだ完読できていないが必須本なのでは 戦争を「リアル」に描くということ(「戦争のような、暴力的な出来事を「リアル」に表象したいという欲望」)についても語られている…

そもそも戦争ものを見て一定の作品を「リアル」だと感じるのはなぜか、私は戦場を経験したことがないにもかかわらず、またそれを他人にも意見を聞きたいと思っていたので 良い

最近は歴史・時代もので
①過去の事象の再現をすること
②過去の事象の再現をすることと「リアルさ」は違う、ということ
③過去の事象の再現をすることを創作の至上とすべきなのか?
について考えている
今の性急な情勢にあって、第二次世界大戦というか「先の戦争」といわれる狭義の半ば観念と化してきたあの戦争だけを総括しようとしても難しいという気づきを得た…というか
1941-1945年だとして、これを「最近の日本に存在した悲しい出来事」的~な方向から考えることがもう無理というか
もしアジア・太平洋戦争を描くとしたら「アジア・太平洋戦争が描きたい!!」という気概で描くしかない 日清・日露、第一次世界大戦と連ねる出来事かもしれない
もう1941-1945年は「皆で共有できる大きな体験」でなくなりつつあるんだな…という想いがある
日本郵船や大阪商船の航路がそのまま泰緬鉄道へ至るような、マジックリアリズムというか省略と表象化を施したような、それをしたことで本質があぶり出されたような、そんな物語が描きたい
正確に言えば北米航路も泰緬鉄道も地獄の果てにしか通じていない話…というか
戦時の軍艦(連合艦隊)に比べて戦時の商船(貨客船・貨物船)の史実や被害は陰に隠れがち、と思い商船だけを描くと、小型船は?機帆船は…護衛艦艇だってあまり……という話になり 忘却行為の反復ではあるんだよな
豪華なディナーを作っていた料理人やベーカー、鮮やかな波の上の社交界を支えていた給仕、ボーイたち、航海士や機関員はそうだとしても、それら先進かつ美しき文化の担い手たちが性急な時代の荒波に飲まれて戦火の海にわらわらと落ちていく様、この1から1への移行の過程が未だにいまいち想像できない
  • いつも言うか考えて言わないでいるんだけど あの徴用という出来事についてひとと問答した時にあっさりと「徴兵制を否定するようなものですものね」という言を頂いたことがあって考え込んでしまった、し、なにか一つの指数になっている
  • というのは、あの時代に戦争に参加させられる、という点において徴用だけにすべての「悲劇性」を求めるのは帳尻が合わない、徴兵された兵の死と徴用された軍属の死は――もちろん、戦場という軍隊の主戦場であるがゆえにそこに至るまでの処遇などには差があって、ゆえに後者の悲惨さはなお増すのだが――おなじ1であって、そこにヒロイズムや怒りや悲しみを抱くのはおかしいのではないか、軍属という立場が悲劇なのか死というものが悲劇というべきなのか、そもそもそれを招いたあの時代の戦争行為や軍国主義自体を一考すべきなのではないか、(あの徴兵制を徴兵制の時代を戦争の世紀をどこまで否定すべきなのか?否定できるのか?)という意味なのかな(と、私は捉えた)
  • 軍人によって虐待状態に置かれた、という多くの証言がある もちろんそれを否定しているとか無視しているとかではなくて もしも「悪」だったのは徴用して船員を劣悪な状況に置いた日本軍…だとか、そういう話を私がしたいのであれば、それだけでなくなぜその軍や悲惨な状態の戦争というものがあったのかということ、徴用と同じようにある一人の人間が徴兵されたということ、船員と同じくあの海にいたこと、そして(船員を虐待したかもしれない、いずれにせよ)やはり死んだこと、そうあったこと、あの時代に戦争があったということ、あの軍国の時代を、あの当時の日本というものを考える。その次に局地的な次項としての帝国の海運や戦時下の船員などを展望すべきなのかなーと考えてもいる こちらは私が言葉を頂いた後に考えたことだけど
ものにもよるけど船橋は艦橋と違って横に広く緩くカーブをえがいているので、艦橋と同じ感覚で狭く四角く描くとよくないなと