擬人化王国25(2022年2月22年)のペーパーに寄せた文章 こんにちは。津崎です。津崎のペーパーです。 津崎のペーパーと言っても書くことがないです。新刊を完成させたのがだいぶ前だったので、書くべき所感とかも既にあまりなく……。 「病院船の顛狂室」プレ本が今回の新刊なのですが、本編を描ける日がいつくるんだろうか。最近は企業擬人化が気になっていて、でも自創作(艦船擬人化)に企業擬人化が挿入されると世界観のバランスが崩れるので難しい。「病院船の顛狂室」に御社を出すの?と聞かれると、あまり出したくないとは思います。ふねの親、はただ人間だけだと良いなと思っているので……(じゃあなんで企業擬人化に興味を持った?) 「病院船の顛狂室」に御社が出てきたら、主人公は船じゃなくて御社になっちゃうと思うんです。組織企業と艦船が主従にならない創作にしたいなとは思っています。 「病院船の顛狂室」はコンスタンチン・コロヴィンの絵画並みの明るさと煌めきと彩度のあった貨客船たちの世界が、戦時下の大政翼賛を経て(世界を彩る色彩という意味でも艦艇改造の表象の意味でも)「灰色」になっていく様を提示するための物語です。 記憶も現実も鮮やかだった時代からだんだんと記憶のみが鮮やかで美しいままで、色褪せた現実との落差の反復をシーンの切り替えの内で繰り返していく。墨で書かれた戦果、戦歴、爆雷の数。思い出すのは五色のテープが鮮やかだったこと。戦闘詳報。荒く書かれた出撃の文字。濃灰のダズル迷彩。第三種軍装の濃緑。食堂室に照る紅鳶色のライト。死者の乾びた黒い血。 なのでカラー漫画、なので長編漫画の予定なのですが、まあ完成させるためには1話1話描くしかないね。がんばりたいです。 本として残っていると本編を描くときの指数になるので、『貨客船の航跡波』みたいな本をもう数冊はつくるかもしれません。 第二次世界戦争による日本商船隊たちの被害を、戦禍の源を災いの由来を「災害のような顔の見えない〈敵〉=抗いようもなく降りかかってきた苦難に立ち向かう」様に描くか描かないかと言われるといや描いていいわけないだろうと思います、が、じゃあ如何にして「災い(概念)」ではなく「太平洋戦争での日本商船隊の苦闘」にするかと言われると難しさを感じます。 観念としての苦難・災いに立ち向かう様は「国を守るため戦った」という言葉の空虚感にも似ていて、なんで守りたかった?なんで守るはめになった?なんで戦った?そもそもなんで戦うはめになった?という話に繋がります。この時に使われる「国」という単語は必ず「国」であって「日本国」でないことが多い気がしています。これは『アンダーグラウンド』の「くに」という言葉の用法(幸福な時代や幸福なユートピアとしての「くに」)に近いのです。 「災い(概念)」前提でなら許されるけど「太平洋戦争の日本商船隊の苦闘」だと「いやなんでそもそも日本国や日本海軍はこんなハチャメチャな状態を許しちゃったのか……」という、(あまりこういう形容はしたくないが)呆れが出てくるのは仕方ないのかもしれません。でもそこも描写すべきなんだろうと思います。呆れるような現実を命令されて軍犬にも劣ると罵られながらも頑張って実行してそのまま沈んで行ったわけです。描写すべきものを描写する時に、「災い(概念)」では描写できないものがあるのです。自然災害は人間の非ではないです。天譴たる災害など存在しません。災害は人間が引き起こすものではないですが、戦争は人間が引き起こすものです。問題はそこなのです。 自分が持つのは正義ではなくただの一つの主義であるということ。 自分たちが向ける主義のむこうにあるのは大きな受難や受けざるを得ない災厄ではなく、もう一つの別の主義だということ。 抗いようもなく突如襲ってきた〈敵〉、どうしようもない災いではなかった国家対国家の戦争、連合国軍という明確な人格を有する人間相手の戦争である太平洋戦争は、長い長い海運の歴史と海運が支えた軍国日本の末路でもありました。貨客船の美しさは武器であり、外貨を稼ぐ技であり、外国人に日本を知らせるための日本帝国の小さな博覧会の会場、船舶は国土の延長であり大日本帝国の延長でもありました。日本海運に対する敗戦後の連合国軍の苛烈な対応を見れば、広くその認識があったに違いない。日本陸海軍の良き妻であった、かもしれません。 しかし忘れてはならないのは、海運はそういった婉曲な文化的加害者でもあったが同時に明確な被害者でもあったという点です。それは船員の損耗率が、海軍や陸軍の比率をはるかに上回るものであることからも理解できます。軍馬や軍鳩や軍犬より劣ると言われ、輸送しては船が沈没し、船が沈没したら文字通り丸裸でした。乗る船も武装もなく、戦場にいるのに軍に身分を保証されていなかった。『野火』には日本兵が日本兵を襲う描写がありますが、そのまま片方が武装のない海員だった場合を想像すればその地獄は理解に難くありません。 加害者の下に被害者がいる、その被害者の下に被害者がいるという構造、加害者にしてもなぜ自分が加害しているのかわからない構造、大きな歯車に組み込まれていること、そうして理不尽が回り続けること、船員が犬を蹴ること、船員が軍馬や軍鳩や軍犬より劣ると兵士に罵られること、一兵が上等兵に制裁を受けること、上等兵が将校に罵倒されビンタされること、将校が天皇陛下の御前にと言いつつもなぜ自分がそう言うのかわからないこと、その状況。 新刊に収録した「それぞれの地獄」というのはその状況を指しています。 等しくあるのは死という末路だけだ。 擬人化ホントに関係ないね。終わり終わり。ありがとうございました。 ※あくまで2022年時点での理解と解釈です。 #ペーパー #長文 艦船/〃擬人化 2026/02/19
こんにちは。津崎です。津崎のペーパーです。
津崎のペーパーと言っても書くことがないです。新刊を完成させたのがだいぶ前だったので、書くべき所感とかも既にあまりなく……。
「病院船の顛狂室」プレ本が今回の新刊なのですが、本編を描ける日がいつくるんだろうか。最近は企業擬人化が気になっていて、でも自創作(艦船擬人化)に企業擬人化が挿入されると世界観のバランスが崩れるので難しい。「病院船の顛狂室」に御社を出すの?と聞かれると、あまり出したくないとは思います。ふねの親、はただ人間だけだと良いなと思っているので……(じゃあなんで企業擬人化に興味を持った?)
「病院船の顛狂室」に御社が出てきたら、主人公は船じゃなくて御社になっちゃうと思うんです。組織企業と艦船が主従にならない創作にしたいなとは思っています。
「病院船の顛狂室」はコンスタンチン・コロヴィンの絵画並みの明るさと煌めきと彩度のあった貨客船たちの世界が、戦時下の大政翼賛を経て(世界を彩る色彩という意味でも艦艇改造の表象の意味でも)「灰色」になっていく様を提示するための物語です。
記憶も現実も鮮やかだった時代からだんだんと記憶のみが鮮やかで美しいままで、色褪せた現実との落差の反復をシーンの切り替えの内で繰り返していく。墨で書かれた戦果、戦歴、爆雷の数。思い出すのは五色のテープが鮮やかだったこと。戦闘詳報。荒く書かれた出撃の文字。濃灰のダズル迷彩。第三種軍装の濃緑。食堂室に照る紅鳶色のライト。死者の乾びた黒い血。
なのでカラー漫画、なので長編漫画の予定なのですが、まあ完成させるためには1話1話描くしかないね。がんばりたいです。
本として残っていると本編を描くときの指数になるので、『貨客船の航跡波』みたいな本をもう数冊はつくるかもしれません。
第二次世界戦争による日本商船隊たちの被害を、戦禍の源を災いの由来を「災害のような顔の見えない〈敵〉=抗いようもなく降りかかってきた苦難に立ち向かう」様に描くか描かないかと言われるといや描いていいわけないだろうと思います、が、じゃあ如何にして「災い(概念)」ではなく「太平洋戦争での日本商船隊の苦闘」にするかと言われると難しさを感じます。
観念としての苦難・災いに立ち向かう様は「国を守るため戦った」という言葉の空虚感にも似ていて、なんで守りたかった?なんで守るはめになった?なんで戦った?そもそもなんで戦うはめになった?という話に繋がります。この時に使われる「国」という単語は必ず「国」であって「日本国」でないことが多い気がしています。これは『アンダーグラウンド』の「くに」という言葉の用法(幸福な時代や幸福なユートピアとしての「くに」)に近いのです。
「災い(概念)」前提でなら許されるけど「太平洋戦争の日本商船隊の苦闘」だと「いやなんでそもそも日本国や日本海軍はこんなハチャメチャな状態を許しちゃったのか……」という、(あまりこういう形容はしたくないが)呆れが出てくるのは仕方ないのかもしれません。でもそこも描写すべきなんだろうと思います。呆れるような現実を命令されて軍犬にも劣ると罵られながらも頑張って実行してそのまま沈んで行ったわけです。描写すべきものを描写する時に、「災い(概念)」では描写できないものがあるのです。自然災害は人間の非ではないです。天譴たる災害など存在しません。災害は人間が引き起こすものではないですが、戦争は人間が引き起こすものです。問題はそこなのです。
自分が持つのは正義ではなくただの一つの主義であるということ。
自分たちが向ける主義のむこうにあるのは大きな受難や受けざるを得ない災厄ではなく、もう一つの別の主義だということ。
抗いようもなく突如襲ってきた〈敵〉、どうしようもない災いではなかった国家対国家の戦争、連合国軍という明確な人格を有する人間相手の戦争である太平洋戦争は、長い長い海運の歴史と海運が支えた軍国日本の末路でもありました。貨客船の美しさは武器であり、外貨を稼ぐ技であり、外国人に日本を知らせるための日本帝国の小さな博覧会の会場、船舶は国土の延長であり大日本帝国の延長でもありました。日本海運に対する敗戦後の連合国軍の苛烈な対応を見れば、広くその認識があったに違いない。日本陸海軍の良き妻であった、かもしれません。
しかし忘れてはならないのは、海運はそういった婉曲な文化的加害者でもあったが同時に明確な被害者でもあったという点です。それは船員の損耗率が、海軍や陸軍の比率をはるかに上回るものであることからも理解できます。軍馬や軍鳩や軍犬より劣ると言われ、輸送しては船が沈没し、船が沈没したら文字通り丸裸でした。乗る船も武装もなく、戦場にいるのに軍に身分を保証されていなかった。『野火』には日本兵が日本兵を襲う描写がありますが、そのまま片方が武装のない海員だった場合を想像すればその地獄は理解に難くありません。
加害者の下に被害者がいる、その被害者の下に被害者がいるという構造、加害者にしてもなぜ自分が加害しているのかわからない構造、大きな歯車に組み込まれていること、そうして理不尽が回り続けること、船員が犬を蹴ること、船員が軍馬や軍鳩や軍犬より劣ると兵士に罵られること、一兵が上等兵に制裁を受けること、上等兵が将校に罵倒されビンタされること、将校が天皇陛下の御前にと言いつつもなぜ自分がそう言うのかわからないこと、その状況。
新刊に収録した「それぞれの地獄」というのはその状況を指しています。
等しくあるのは死という末路だけだ。
擬人化ホントに関係ないね。終わり終わり。ありがとうございました。
※あくまで2022年時点での理解と解釈です。
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