破船

津崎のお知らせ・作品・日常・雄叫び
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 一個人の趣味の同人創作サイトです。
 一次創作と擬人化(艦船擬人化/企業・組織擬人化)を描いています。各公式、実在の組織・団体とは一切関係がなく、一個人が趣味で描いたものを掲載しています。
サイト「night watch」(本拠地) | 絵🎨 | 👏👏👏

田中小実昌「魚撃ち」に、中国戦線へ行く時に『新約聖書』『万葉集』を持っていくシーンがあるな 本当に『万葉集』なんだ
>詳細が読めていないけど田中小実昌「岩塩の袋」 中国戦線では塩が貴重で南京を出発する時に内緒で貰ってきて隠して背負っていたのに、結局捨てることになってしまい、捨てられた塩を勝手に舐めてふと思い出すのが、新約聖書のマタイ伝第五章十三節(「汝らは地の塩なり」…)なのが 良い
>「戦前の日本人は戦争開戦に熱狂した"愚かな"人たちだった」言説に微妙に抗いたくなるのはこういう時で、むしろ近代を求めて知識の普及に努めてきた人たちがいかに戦争に抗うことがなかったか/できなかったか、あるいは植民地政策を敷くことにいかに無意識で無感動的だったか、に視点を置くべきなんじゃないかと感じている
 中山路を揚子江へ向う大通り、左側の高い柵について支那人が一列に延々とならんでいる。何事だろうとそばを通ると、私をつかまえるようにして持っているしわくちゃな煙草の袋や、小銭をそえて私に差出し何か悲愴なおももちで哀願する。となりの男も、手前の男も同じように小銭を出したり煙草を出したりして私に哀願する。これは何事だろうと思ったら、実はこの人々はこれから銃殺される人々の列だったのだ。だから命乞いの哀願だったのである。それがそうとわかっても私にはどうしてやることも出来ない。一人の人も救うことも出来ない。
 柵の中の広い原では少しはなれた処に塹壕のようなものが掘ってあって、その上で銃殺が行われている。一人の兵士は顔が真赤に血染まって両手を上げて何か叫んでいる、いくら射たれても両手を上げて叫び続けて倒れない、何か執念の恐ろしさを見るようだ。戦争とはかくも無惨なものなのか、槍で心臓でも突きぬかれるようなおもいだ、私はこの血だらけの顔が、執念の形相かそれから幾日も幾日も心に焼付けられて忘れることが出来ないで困った。私は揚子江でも銃殺を見た。他の場所でも銃殺されるであろう人々も沢山見たが余りにも残酷な物語はこれ以上書きたくない。これが世に伝えられる南京大虐殺事件の一駒なのであるが、戦争とはどうしても起る宿命にあるものか、戦争をやらないで世界は共存出来ないものなのだろうかとつくづく考えさせられる。
/『映像研究(9)』「カメラと人生 白井茂自叙伝6」
『カメラと人生 白井茂回顧録 ユニ叢書 3』どこにも在庫がないユニよ~
だけど、雑誌に掲載されたものがデジコレで読めるのだ…

ちゃんと通読できていないが、「上海」「南京」などの戦線後方記録映画を撮っていた関係者?で、虐殺事件時の様子も簡潔に言及されている
ポテチの袋に絵を描いている様は「この世界の片隅に」のすずのようで、工夫して楽しく不便を乗り切るをやるうちに、いつのまにか戦争に加担している、というXの言説…
って、圧倒的な「わかりやすさ」があって、なんというかこの種の「わかりやすさ」と戦争の語りの掛け合いって良くない気がしている
>『洋服と日本人 国民服というモード』の序章の文章 本当に良い
>>戦争を語ることは難しい/刻々と戦況は変わり生活は変化したのでどこを切り取っても代表にはならない/振り返ることで物語化され整合化された個人の記憶はあてにならない/戦争を語ること自体が再び戦争を物語化してしまう制度を再生産することがある/ゆえに総動員体制化の生活を「総合的なもやもやとしたもの」として再構成し提示することは困難である(が本書の主旨はそこにある)…
#近代


第二に、功罪半ばする近代化の”罪”の部分に光を当てたいと思う。本書の場合、それは繁栄の陰に潜む無数の悲惨な死者と遺族の悲嘆という現実を投射することである。つまり大量生産・大量消費といった時代動向に即応した大規模な機械化が招く多数の労働災害(ことに”挟まれ”、”巻き込まれ”による大量異常死の出現)という悲劇がどのように受け止められていったかを、個々の当事者の立場から問い直すことであり、そこに伝統的な思考がいかに連動していったかを分析の軸とする作業である。これは換言すれば、労働災害の発生が解釈されていく際のメカニズムを、いわば「グラウンド・ゼロ」の地平から検証することである。
/『八幡製鉄所・職工たちの社会誌』


植民地主義は戦争につながっている。その富国強兵を国是とした日本の近代化を、産業構造の基盤で支えたものは石炭だった。そして石炭を地底から掘り出したのは、炭坑で働いた男たち女たちであった。
/「石炭産業の崩壊に立ち会って」『精神史への旅 2地熱 森崎和江コレクション』


本書には、表現を和らげる潤色、ノスタルジア、ロマンチックな美辞麗句はない。わたしは、東南アジアの植民地港湾都市という、発展途上の「近代」の過酷な景観のただ中を生きた日本人女性たちの、悲痛、苦悩、混乱、達成、愛情や大きな犠牲に集中することに力を注いだ。この社会史を通して、過去の日本人娼婦たちは、かつてのかの女らに関わりのあった事柄や、二一世紀初頭のいま、わたしたちに関わりのある事柄を、現世代に語りかけてくる。シンガポールのからゆきさんの人生のきわめて個人的な記録が、わたしたちに語りかけてくるのだ。娼館のドアの向こうから、かの女らの謙虚さと辛抱強さという昔かたぎの美点を、貧困と社会的不平等を、社会的な抑圧と悲哀を、情熱と孤独を、そして切望や死を。
/「日本人読者への「序文」」『阿姑とからゆきさん』


絢爛たるスペクタクルとともに、改造と文明の名で押し寄せた近代は、植民地都市の陰鬱な景観を貫通し、女性たちの空間、閨房にまで至った。
/『京城のモダンガール』


沖縄で詩を書くとはどういうことか?それはことばが〈近代〉として充分に体験されていないところで、しかも物質としての〈近代〉がはげしい速度で都市を変客させ、村の〈共同体〉を破壊していく情況に挾撃されつつ自らのアドレッセンスを追訊する魂の行為となる以外にないだろう。地方に在りながら地方を対象化するということは、単なる土着への依拠によっては果されないし、また土着からの離反として言葉を円環化するところにもあり得ない。土から身を離する論理を縦深化すると共に、その論理化の過程で風土の肉感を体現すること――これ以外に地方に在って詩を書く方法はないのではなかろうか。それを前提にする限り、どんな言葉の実験も可能だし、どんな思想を方法化するのも可能だといえよう。
/「感受性の変容」『情念の力学』


また,近代は,単に小説なるものを可能にしただけでなく,近代という時代それ自体が,小説的な語りを要請したのではないか.近代において社会が体験するドラスティックな変容.国民国家間で生起する戦争には,国民すべてが否応なく巻き込まれる.植民地主義の侵略によって,祖国にいながらにして,自分たちが帰属する,そして自分たちに帰属するはずの大地から疎外されていくという不条理.近代という時代が,そこに生きる人間たちにもたらすトラウマ(精神的外傷)その不条理さゆえに言葉で名づけ,「経験」として飼い慣らし、過去に放り込むことのできない〈出来事〉の暴力.そうした,言葉では語ることのできない体験,〈出来事〉を,物語として語るという時代の要請を,小説は自らの身に引き受けたのではないだろうか.言いかえれば,小説の語りには,そうした出来事の不可能な分有の可能性が賭けられているのではないだろうか.
/岡真理『記憶/物語』(思考のフロンティア)
『ディクテ』「歴史」に「死ではなく、死に-つつあるということ」という一文があって、これは心にとどまっている…

そういう意味では、なんというか、私が戦没船のことを語るたびに戦没船は「沈んだ」のではなくて「沈み続けている」のかも、私の記憶と口上で

歴史家を悩ませる職業上の悪夢は、私たちが叙述の対象としている人物が、ハムレット王の幽霊のように、どうにかして帰ってきて、私たちが書いたことについてどう考えているかを教えてくれることである。彼らの観点から言えば、私たちは疑いもなく抑圧者であり、あるいは拷問者であり、あるいは死刑執行人でさえあるという印象を与えるであろう。
/『歴史の風景』
尚ほ玆に逸することの出来ぬのは、西伯利の奥地まで入込んでゐた娘子軍の愛國的行動である。一口に醜業婦といへば士君子の口にするさへ厭ふ所であるが、彼女等は夙に西伯利の奥へ奥へと進んで行つて我が同胞の發展して行く第一線に魁けをなし、一種の嚮導者たる任務を盡す一方、窃かに祖國に報いんとする愛國的行動を心掛け、實に涙ぐましき程の努力をしたのである。特に彼等は國事の爲めに盡瘁する軍人や志士等が奥地へ入り込み来る場合には、進んで此等の士の世話をなし、その行動を援助することを祖國に報ゆる所以の道と考へ、實に思ひ寄らざる勲章を樹てることが度々あつた。娘子軍は多く九州方面の出身の者が多かつたが、氷雪肌を劈く西伯利の曠野の果まで進むに當つても純然たる日本の服装をなし、僅に一枚のシヨールを纏ふて寒さを凌ぎつゝ突進するのが常であつた。

/『東亜先覚志士記伝 上巻』
#「渺渺録」(企業・組織擬人化)
「時代考証の間違いでミリオタが"叩いて"くる」という感覚はあまりなくて
「『日本軍はAだ』という間違いを記述する」とスルーされるか説明リプライを貰うかだけど、「『日本軍はAだ』という間違った知識を基に『だから日本軍は駄目なんだ』と批判する」をやると、大量の引用RPを貰う印象が…
『HHhH』に引用されてあるフローベールの言葉に「人々がふつうそんな言葉遣いのなかでは考えもしないことを提示すること」とあるけど、この塩梅にいつも悩む あの当時の人たちって、どんな言葉で今の学術用語(それこそ「集団自決」とか)を"自分ごととして"語っていたんだろう

『戦中派不戦日記』とか読むと、お母さんが子ども「早く帰らないとプーちゃんが来ますからね」(プーはおそらくサイレンのことらしい)と言っていて、B-29に「B公」「ポー助」などいろいろな綽名を付けている日本人が出てきて、そういう文脈、言葉づかいに手繰り寄せたいとは思っている 後世の学術的用語の線上ではなくて

『戦中派不戦日記』に空襲で家が全壊した女の人が「ねえ…また、きっといいこともあるよ。…」というシーンがあって、1945年の空襲で家が全壊した女の人の言う言葉が「またきっといいこともあるよ」なのか…と思った
18世紀フランスでも19世紀李氏朝鮮でも20世紀日本でもどこでもいいけど、私が50年以上前の世界を漫画で描いた時に、そこにいたとする人間に「またきっといいこともあるよ」と言わせることができるんだろうか

「ねえ、またきっといいこともあるよ」まるで失恋した女を女友達が居酒屋で慰めているような言い回しで、ありがちで、なんというか、こう…やっていきたい
「集団自決」の闇は思想的に開かれるべきなのに、「倫理」の文脈に還元されてしまうことへの疑問といったらいいでしょうか。「愛ゆえに」の手前で、加害と被害がねじり合っている閾を、国家と軍隊と島共同体の縫合線に露出した沖縄近代のアポリアとして読み解き、それを超えていくのが、とりわけ沖縄の戦後世代の思想の核心ではないのかということをつねづね考えてきたように思います。
/「一「集団死」の特異性 「愛ゆえに」を超える」『沖縄/暴力論』

『現代思想』森崎和江回で「詩の言葉で政治を語る世代」の話があるけど、まさにこういう言葉遣い 私も時々やるけど
五 マイノリティから多数へ
 マイノリティという言葉がある。私はこれまで日本社会の中でそのように名指され、私自身、そのように自己規定してきた。私が世界と向き合う以前から、マイノリティという表象は用意されており、マイノリティの人権を取り戻すためのものであれ、マイノリティを消費するためのものであれ、その語りが氾濫していた/いるからだ。しかし今思えば、私はこれまで、マイノリティという言葉の檻に閉じ込められ、存在も想像力も切り縮められてきたように思う。マイノリティという言葉に捕われている間は、マジョリティあるいは日本人と対時する関係に自己が限定されていたためか、東アジアで客死した朝鮮人の死者を感覚することはできなかった。そして、朝鮮近代文学研究者としてポストコロニアリズムに依拠しながら活動するなかで、知らず知らずのうちに、マイノリティという場所にすら安住させられ、マジョリティによって消費・管理されていくシステムに組み込まれていたように思う。これは、宿命として、私をとりまく不自由であり、政治あるいは政治的なるものである。
 私は、マイノリティではなく、多数である。私は今、この在り方をもって、マイノリティという言葉に対して復讐するべきなのだと思う。多数とは、多数派や少数派といった数の論理ではなく、内在化している他者の存在の大きさにもとづく在り方である。自己を解体し、掘り下げていったときに出遭う影。どれだけ自己を解体し、その影と共に在るのか。多数とは、〈死者と共に在る〉人間存在の基本にもとづいた思想であり、目には見えないけれども、消えたわけではけっしてないものを表現する意志である。私は、マイノリティではなく、多数である。ここで、私は〈来たるべき自己決定権〉にもとづいて、このことを決定する。そして、多数としての私は、もうひとりの多数へと呼びかける。「「祖国」復帰という大命題にその目を曇らされている一人の熱心な「復帰」主義者であった」自己を他者としてその内に抱えている新川明氏へと。
 「私は日本の国民が恐い。沖縄の人間のひとりとして、日本の国民は非常に恐いわけさ」「新川明d、七三頁]。季刊『前夜』(九号、二〇〇六年秋)でのインタビューにおける新川氏のこの言葉がとても印象深く、今でも私の中に残っている。周囲の無理解の中でも孤高に反復帰を生きてこられた氏の言葉であるからこそ、この「恐い」という感覚には、とても深い想いが込められているように思う。幸運にも私はインタビューの場に居合わせたのだが、新川氏は、この言葉を大袈裟にではなく、さらりと、率直におっしゃっていた。
 私は共感する。二〇〇六年一〇月九日、朝鮮民主主義人民共和国によって核実験がなされた後の日本社会で、私は、ウシロカラササレル、身体の緊張を覚えはじめた。それは私の歴史感覚を革命的に変える出来事であり、朝鮮と出遭う瞬間であった。関東大震災のとき、日本民衆に竹槍で背中を刺され客死した朝鮮人の身体と繋がった、そう言ってしまうとあなたは理解に苦しむかもしれないが、少なくとも、関東大震災のときから日本社会は何も変わっていないことを直感した。
 ウシロカラササレル、それはきっと痛いしとても恐いことなのであるがしかし、今は恐くない。客死した死者と共に在る、あるいは、これはテント芝居「野戦之月海筆子(ヤセンノツキハイビィーツ)」の桜井大造氏の言葉であるが、死者に抱かれた、からなのだと思う。客死した死者に抱かれている私(たち)は、マイノリティではなく、多数である。これは、「野戦之月海筆子」のテント芝居を通じて、この手と足でテントを建て、役者として地を踏みしめて表現するなかで身体化された希望である。
 私の身体は今、客死した朝鮮の死者に呼ばれるようにして、東アジアを感覚している。沖縄で客死した朝鮮人の死者、台湾で客死した朝鮮人の死者のことを知りたい、そう切に思う。沖縄戦のとき、沖縄人に竹槍で背中を刺され客死した朝鮮人の、その刺される瞬間の眼に映ったものを想像する――。そして、もうひとり、私が向き合うべき、内なる他者がいる。サイトウヒロシ。日本名を名乗っていたときの私だ。

/「影の東アジア」『残傷の音』
誤解を招く言い方になるかもしれないが、よく朝鮮や韓国の出来事やその人びとの文章を引用したりするのは、私が「たまたま」この国が好き(正確に言えば、気になる)からであり、私がかつて宗主国だった国の今の国民で、この国の不満を代弁する「絶対的な他者」としてあの国、あの国の人びとの言葉を引いて提示しているわけではない、もし地球の裏側にあの国があっても私はおそらく気にし続けるだろう(が、「隣にあること」を歴史から奪胎することは不可能で、隣にあったからこそこうした遍歴を遂げて今があるという感もある)また上記を意識しているものの、それが絶対的に実行できているか疑問もある。本当にたまたまなのか?という問いがある

四方田犬彦が話し込んだ日本の女性研究者のことを「旧宗主国の女性が女性としての自己同一性を確認するために、かつての植民地の女性を媒介にしなければならない構造」と看破していて、うん……となる(そしてその『われらが〈無意識〉なる韓国』がどうしてもどこにも見つからない)
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『春のまひる』で関東州を塗り忘れていることを未だに後悔しているし恥だと思っているので、一度日本~朝鮮・台湾~関東州~「満州国」の地図を作りたい気持ちがある 自分のために 簡易でいいので
だって40年間くらい「租借」(笑)してたので 間違えたらよくないでしょ…(日本人として…)
私の被迫害意識や孤独や生きづらさや馴染めなさ世界一般との摩擦というものを植民地主義や近代という歴史そのものに投影していないかと聞かれると、明確に否を唱えられない…のが悔しい
善の希求、というと陳腐な形容になるけど、そういうものを維持し続けることをよく考える
▼善ってなんだよという話だし、それが存在したとして希求する方法は何通り何十通り何百通りある…が つまるところまあ問いかけ続けることですよね…
▼「「善の希求」(要定義)を歴史という方向から貫いていく」時に、擬人化というか、概念や観念を手法にするのは有効だとおもう
#過去メモ
美術と政治とをきりはなすことの要求は非政治的にみえて実はきわめて政治的である
/『在日朝鮮美術家画集』1962年、97頁。孫引『美術手帖』2019年12月号、42頁
誤解を避けるためにつけ加えておかなくてはならない。「軍事大国」化を支えたのが養蚕家や製糸工女たち(あるいはひろく農民や労働者たち)であったというとき、そのことは「軍事大国」化のためには彼らの犠牲的献身は「やむを得なかった」ことを意味したり、ましてや彼ら自身が「お国のために尽そうとして」ひたすら苦しい条件のなかで繭や生糸をつくり続けたということを意味するのではない。
 もちろん、為政者や資本家など総じて支配する側にある人々は「蚕糸は国の礎」と説き続けることで苛酷な収奪を(おそらく自らに対しても)合理化していたし、そうした国家主義的イデオロギーが様々な形で農民や労働者の内面を支配していたことを軽視することはあやまりであろう。にもかわらず、極めて明瞭であるのは、至極あたりまえのことではあるが、繭をつくり糸を繰るのは自分たちの生活のためだったのであり、生存可能のギリギリの水準において必死に生活をまもろうとした人々こそが、養蚕製糸にかりたてられていった人々の大部分であったということである。そうした人々の必死の労働の成果が「軍事大国」化に動員されていったというところに、日本の《近代》のもつ、いわば最も荒涼とした意味があらわれているのだ。
/『繭と生糸の近代史』
#近代 #「渺渺録」(企業・組織擬人化)