渺渺記

思念思索・歴史との距離感…など
良い…と思ったらぜひ押してやってください(連打大歓迎)

そういえばそう、アドリエンヌ・リッチの詩「難破船に潜る」に

わたしがここに来たのは
この難破船のため その物語のためでも
その神話のためでもない

という一節があり 詩ながら(詩だからこそ?)啓発的だと感じる
***
最近は
①戦没船
②戦没船に付属している「物語」
③戦没船に付属している「物語」を物語る
この三つのどれに惹かれているのかわからなくなりつつあり、この3つは混同しない方が良い気もする
***
「難破船に潜る」歴史創作する歴史創作オタクっぽいな ある意味で
『大砲とスタンプ』における「貴様がくれた弾薬だぞ」という台詞での「回収」
というのは徹頭徹尾コミカルな感じで繰り広げられていた後方小役人事務屋兵站部のひとの日常が、その台詞によって「自分が今まで何を担っていたのか」を突き付けられるという、極みの一点であるんだけど
>隙自(創作)語ですが、近代日本における商船が太平洋戦争の戦場において同種の台詞で突き付けられるもの、ってきっとあると思う
>>一九世紀末から二〇世紀前半の帝国主義華やかなりし頃、商船は国際輸送の花形であり、国力の象徴であった。戦時に軍艦が活躍することは言うまでもないが、平時の経済競争を担うのは、人やモノを運ぶ商船である。
/『移民船から世界をみる』
報国丸も時代が時代だったら名前が「だあばん丸」とかだったのかな…と思うが、そういう意味では「もしも戦争が無かったら…」というIFを無邪気に夢想することも難しい 国威海運国策優秀船表裏一体というか
>『商船が語る太平洋戦争』に第24戦隊(報国丸・愛国丸)は「平時であれば当然寄港した」アフリカ・ダーバン沖に進出とあり 一文を噛みしめている
特設監視艇は「つまり特設監視艇は洋上の目であり敵を発見することが最大の任務であり、敵と戦闘を期待することは論外であった。つまり言い換えれば特設監視艇は敵発見のための「捨て駒」的な存在であったともいえ、つまり戦闘力を持たない特設監視艇が敵を発見し、「敵発見」の無電を発信した時はその特設監視艇の最後と考えねばならなかったのである」(『特設艦船入門』)という記述を忘れてはならないと思うが、「徴用が確認されているこれら二千五十隻の小型漁船については、全数の四十六パーセントに相当する九百四十五隻が失われているが、そのほとんどは活動中に敵航空機の攻撃を受けて撃沈されたものと推定されている。ただ本来大海を長駆航海することが無理な小船であるだけに、無視できないほどの数の船が片道数千キロ以上もある航海の中で沈没したものも多いとされている」(『戦う日本漁船』)という記述にも、いやむしろこちらには「戦」没とおなじくらい着目すべきでは、と前々から思っている
>使われちゃうから新品は嫌という理由でボロい漁船ばかり徴用に出していた話をどこで読んだか思い出せない 『暁の宇品』…?
海軍艦を描く時に現代のジェンダー観みたいなものを過度に投影させたくないな~と思いつつ、オタクだから『武装商船「報国丸」の生涯』の「おまえたちが女になるんだ!」という叫び(仮装巡洋艦なので擬装訓練=船客を装うことがあった)とかに無心に喜んでしまう
特設艦船の悲しさ、やはり往くべきだった航路に行けなかった貨客船、という感覚があり、潰されてしまった客室、改造時にどこかへ行ってしまった梅色のソファ、白黒二値に染まっていくだけの行き場のない海…なのだが、語彙と知性が無い時に「日本海軍にエロ同人みたいにされて…」と口走ってしまう
コミティア140(2022年5月5日)のペーパーに寄せた文章

 こんにちは。津崎です。
 ペーパーに書くことがなくて急いで文章を書いています。いつもは新刊の解題を書いていることが多いので、そんなことを書こうかなぁと思いつつ言語化が難しくもにょもにょ……と思いながら休みをぼんやりとしています。ふねが見てぇな……。ふねの話もみんなとしたい。そして同人誌語りもしたい。

 では、ペーパーの本題としての『永遠のいのち』の話をしたいと思います。
 COVID-19対策のための規制もだいぶ緩和されたので、初めて感染が拡大した時の非常事態感をすでに思い出せなくなりつつあることに少し驚いています。
「シン・ゴジラ」で濁流に流されていくボートの群れを見て映画館で気持ち悪くなったことがあったのに、あの映像に何も感じなくなってすでに久しいです。すでにシンゴジを「ポスト3.11(東日本大震災)映画」として観ることができなくなっていることに気づきました。たまたまyoutubeで関連動画として出てきた津波に流されている人たちの動画を見てしまった時に感じた「同じ共同体に属している人が死んでいる」というその場限りで単純で危うい悲しみと使命感のようなものを思い出せるのですが、それもすでに実感としてはついてこないです(まあその共同体への高揚感に限っていえば早く忘れた方が良いのですが……)。
 新型コロナ文学の多くやこの『永遠のいのち』も、「そんなことがあったなぁ」という、新型コロナ騒動が記録上だけの存在になったことをあらためて確かめるだけのものになるのかもしれません。あるいは脱新型コロナ化した領土から読む、ただの恋愛や日常や人生の物語として読まれる日が来るのかもしれないと思っています。シンゴジはめっちゃ面白いし価値がある優れた映画なんだけど、それはSF要素やメカミリや非実在の実在性を突き詰めている描写がその面白さを担っている気がします。なので脱3.11化した領土から観るシンゴジはやはり映画として面白い。でも、あの流されるボートや瓦礫、防護服、原発、被災民などのディテールへの「理解」が私に(もしかしたらあなたに)できること、それはやはりあの映画を観ることにおいて重要である気がします。それが「理解」できることは私の強みです。強み、というか、経験した不幸の中から見出せる価値の一つ、そう、たぶんそんなのです。
 あなたが東日本大震災下の社会を経験したかどうかは知りません。でも新型コロナ下の社会は経験しています。私とあなたは新型コロナの社会を経験しています。
 新型コロナ下のディティールが「理解」として通じる時間を共に過ごしています。新型コロナの経験は不幸ですが、この共通の「理解」は価値のあるものだと考えたいのです。

 その時に、あなたにふねの話がしたかったのです。
 いまの社会の現状の「理解」ができるあなたに、もしかしたら興味や知識の問題でふねの現状は「理解」できないあなたに、新型コロナ下のふねの話がしたかった。
 特に商船の現状の話がしたかった。新型コロナで浮き彫りになったことの一つが観光業への打撃でしたから。今回『永遠のいのち』に登場した一定の船たちは観光業に従事しているといっていい船たちでした。観光船もクルーズ客船もお客が減りましたし、運休もしました。少しは仲間が引退しました。世界的にいえば多くの船が感染症の影響で引退して解体現場や船の墓場へと曳かれていきました。新型コロナ対策の制限が緩和されているといえども今後もそれは続くでしょう。多くの船は末路を迎えるでしょう。不本意で。少し早めで。唐突で。実感のない。そんな終わりを。
 私はそんな船のいまの話をしたい。
 そしていまの船の命題としての永遠の命の話をしたいと思ったのです。
 現在の商船に焦点を当てるときに、永遠の命の話をしようと思いました。
 正確にいえば「永遠の命」という常に反語で語られてきたものの話をしようと思ったのです。反語として、有限の命の話として。
 終わりに曳かれていくかもしれないという不安を抱えている船と、終わりに曳かれていく不安のない船だったものを対比させることによりそれは鮮やかに浮き彫りになるのではないかと考えました。
 コロナ禍の飛鳥Ⅱに対して解体されることがない氷川丸が語る「永遠の命」は死ぬことに似ています、そして沈んだことや解体されたこととほぼ同じでした。ふねは海を往ってこそのもの、それはふねの大前提だからです。だから氷川丸は最期への怯えを見せた飛鳥Ⅱに向かって永遠の命が欲しくないかと尋ねます。本当に永遠の命が欲しいのか?本当に?そんなわけないだろう?これは先達なりの応援の言葉です。反語としての提示でした。
 ここから飛鳥Ⅱはこの先を見出すのだと思います。また氷川丸以外の多くの現役船たちもそれぞれがそれぞれのきっかけで再び未来を見出していくのでしょう。有限の命の有限の使い方を。シーバス、シーフレンド7。ロサ・アルバ、ゆめはま。マリーン・ルージュ。にっぽん丸。飛鳥Ⅱ。ほかあまたのふねたちも。永遠の鈍りではなく一瞬の燃えるような生を彼らは歩んでいきます。おそらくは。収支と物理的耐久の許す限り。収支といえば、商いのための船という命題も描いたつもりです。存在意義の一つですから。

 物語は予兆だけを残して終わりました。来たるべき「未来」を物語にするには2020年-2021年の連載時では早すぎました。ふねたちが、特に物流や観光を商売とする商船たちが経験した不幸の中から何かを見出すことはまだないのでは、仮に見出していたとしてもそれを物語として落とし込むことは時期尚早なのでは、と考えざるを得ませんでした。新型コロナの惨禍はいまも続いているからです。
 だから、私はそのまま「そこにある」をとっておくように努めて描きました。あるがままとしてその状況を描いておく。答えは五年後、十年後にわかるかもしれない。未来にこの同人誌を蔵書から見つけて「彼らにそんなこともあったなぁ」と笑ってあげたいのです。十年後の未来で、新型コロナの終息した未来で。彼らが答えをだすことを、未来があることを、五年後十年後があることを確信したいのです。その予兆と私の期待を、この物語から感じ取って頂けたらこれ以上の幸せはありません。そしてなによりも、この物語を、人間たちの感染症のために忌避された船、不安にくれた船、未来を信じられなかった船、存在意義を果たせなかった船、またそれによる経営悪化や赤字という極めて商船的な理由のため、番狂わせで唐突な"終わり"を迎えた船たちに無力ながら捧げたいと思います。この度はお手に取っていただきほんとうにありがとうございました。

#長文
#ペーパー
擬人化王国25(2022年2月22年)のペーパーに寄せた文章

 こんにちは。津崎です。津崎のペーパーです。
 津崎のペーパーと言っても書くことがないです。新刊を完成させたのがだいぶ前だったので、書くべき所感とかも既にあまりなく……。
「病院船の顛狂室」プレ本が今回の新刊なのですが、本編を描ける日がいつくるんだろうか。最近は企業擬人化が気になっていて、でも自創作(艦船擬人化)に企業擬人化が挿入されると世界観のバランスが崩れるので難しい。「病院船の顛狂室」に御社を出すの?と聞かれると、あまり出したくないとは思います。ふねの親、はただ人間だけだと良いなと思っているので……(じゃあなんで企業擬人化に興味を持った?)
「病院船の顛狂室」に御社が出てきたら、主人公は船じゃなくて御社になっちゃうと思うんです。組織企業と艦船が主従にならない創作にしたいなとは思っています。

「病院船の顛狂室」はコンスタンチン・コロヴィンの絵画並みの明るさと煌めきと彩度のあった貨客船たちの世界が、戦時下の大政翼賛を経て(世界を彩る色彩という意味でも艦艇改造の表象の意味でも)「灰色」になっていく様を提示するための物語です。
 記憶も現実も鮮やかだった時代からだんだんと記憶のみが鮮やかで美しいままで、色褪せた現実との落差の反復をシーンの切り替えの内で繰り返していく。墨で書かれた戦果、戦歴、爆雷の数。思い出すのは五色のテープが鮮やかだったこと。戦闘詳報。荒く書かれた出撃の文字。濃灰のダズル迷彩。第三種軍装の濃緑。食堂室に照る紅鳶色のライト。死者の乾びた黒い血。
 なのでカラー漫画、なので長編漫画の予定なのですが、まあ完成させるためには1話1話描くしかないね。がんばりたいです。
 本として残っていると本編を描くときの指数になるので、『貨客船の航跡波』みたいな本をもう数冊はつくるかもしれません。

 
 第二次世界戦争による日本商船隊たちの被害を、戦禍の源を災いの由来を「災害のような顔の見えない〈敵〉=抗いようもなく降りかかってきた苦難に立ち向かう」様に描くか描かないかと言われるといや描いていいわけないだろうと思います、が、じゃあ如何にして「災い(概念)」ではなく「太平洋戦争での日本商船隊の苦闘」にするかと言われると難しさを感じます。
 観念としての苦難・災いに立ち向かう様は「国を守るため戦った」という言葉の空虚感にも似ていて、なんで守りたかった?なんで守るはめになった?なんで戦った?そもそもなんで戦うはめになった?という話に繋がります。この時に使われる「国」という単語は必ず「国」であって「日本国」でないことが多い気がしています。これは『アンダーグラウンド』の「くに」という言葉の用法(幸福な時代や幸福なユートピアとしての「くに」)に近いのです。
「災い(概念)」前提でなら許されるけど「太平洋戦争の日本商船隊の苦闘」だと「いやなんでそもそも日本国や日本海軍はこんなハチャメチャな状態を許しちゃったのか……」という、(あまりこういう形容はしたくないが)呆れが出てくるのは仕方ないのかもしれません。でもそこも描写すべきなんだろうと思います。呆れるような現実を命令されて軍犬にも劣ると罵られながらも頑張って実行してそのまま沈んで行ったわけです。描写すべきものを描写する時に、「災い(概念)」では描写できないものがあるのです。自然災害は人間の非ではないです。天譴たる災害など存在しません。災害は人間が引き起こすものではないですが、戦争は人間が引き起こすものです。問題はそこなのです。
 自分が持つのは正義ではなくただの一つの主義であるということ。
 自分たちが向ける主義のむこうにあるのは大きな受難や受けざるを得ない災厄ではなく、もう一つの別の主義だということ。
 抗いようもなく突如襲ってきた〈敵〉、どうしようもない災いではなかった国家対国家の戦争、連合国軍という明確な人格を有する人間相手の戦争である太平洋戦争は、長い長い海運の歴史と海運が支えた軍国日本の末路でもありました。貨客船の美しさは武器であり、外貨を稼ぐ技であり、外国人に日本を知らせるための日本帝国の小さな博覧会の会場、船舶は国土の延長であり大日本帝国の延長でもありました。日本海運に対する敗戦後の連合国軍の苛烈な対応を見れば、広くその認識があったに違いない。日本陸海軍の良き妻であった、かもしれません。
 しかし忘れてはならないのは、海運はそういった婉曲な文化的加害者でもあったが同時に明確な被害者でもあったという点です。それは船員の損耗率が、海軍や陸軍の比率をはるかに上回るものであることからも理解できます。軍馬や軍鳩や軍犬より劣ると言われ、輸送しては船が沈没し、船が沈没したら文字通り丸裸でした。乗る船も武装もなく、戦場にいるのに軍に身分を保証されていなかった。『野火』には日本兵が日本兵を襲う描写がありますが、そのまま片方が武装のない海員だった場合を想像すればその地獄は理解に難くありません。
 加害者の下に被害者がいる、その被害者の下に被害者がいるという構造、加害者にしてもなぜ自分が加害しているのかわからない構造、大きな歯車に組み込まれていること、そうして理不尽が回り続けること、船員が犬を蹴ること、船員が軍馬や軍鳩や軍犬より劣ると兵士に罵られること、一兵が上等兵に制裁を受けること、上等兵が将校に罵倒されビンタされること、将校が天皇陛下の御前にと言いつつもなぜ自分がそう言うのかわからないこと、その状況。
 新刊に収録した「それぞれの地獄」というのはその状況を指しています。
 等しくあるのは死という末路だけだ。
 擬人化ホントに関係ないね。終わり終わり。ありがとうございました。

※あくまで2022年時点での理解と解釈です。
#ペーパー
#長文
船の越境論

 船に感情というものがあったとしたらという観点に立って特設艦船の心情や悲喜を探ってみたいと思う時がある。特設艦船とは軍隊により接収され改造・改装された船のことで、貨客船・貨物船から小型漁船まで多くの船を網羅する。それら船の共通点は戦わないこと、戦うための船ではないことであり、軍の徴用や買収は戦争への参加を押しつけられた切符であった。多くの船にとっては片道切符となった。早々に戦没する宿命だったからである。
 戦わない船の戦争。
 兵士も民間人も平等の命、一人の人間である。艦が沈んで光栄の上等、船が沈んだら悲しみをもって悼む、という感情はただの感傷であると退けたい。しかしなぜ民間船が、民間船だった艦が戦没することに私は執着するのだろう、と考えた時に思うのは、世界文学への屈折した愛着と、その文学が永遠の命題とする異郷での客死である。あるいはその異郷で経験するさまざまな障害だろうか。自国の常識はそこでは非常識。彼女の話す母国語はそこでは異国語である。移民の彼女はその国に――その海に、その軍隊には容易に同化できなかったかもしれない。そんな二十世紀の人間たちの痛みを同じくアジア・太平洋戦争下の船たちは背負っていたかもしれなかった。馴染んだ横書きの航海日誌ではなく与えられた戦闘詳報で自らの栄光を語るということ。
 船は海を往くことが幸せ、とだけ考えれば、こんな甘い郷愁など抱かなかっただろう。道具は使われてこそ価値がある――それが多少違った使い方であろうとも。病院船はそれでもやはり、いやあるいは、だからこそ(・・・・・)美しかったはずだ。
 けれどそこに船の悲しみを見出してしまうのは、船ぶねの抱く文化の麗しさとそれを基調とする人びとの文化の麗しさにほかならない。それはもちろん貨客船の抱える一等社交室である。そこにあるグランドピアノである。あるいは漁船の上に翻る大漁旗の旗の金刺繍の輝きでも良い。海と共にあった船、と共にあった人びとの抱いてきた素朴な民衆文化は戦火で荼毘に付すにはあまりに惜しいものだった。
 あえてその喪失に美学を見出すこともできただろう。オフィーリアはさいごに水死するから美しいのだ。立ち上がって再び陸に上がることなど到底許されない。あの横たわる退廃的な死のにおい、微睡みにも似た死への緩やかな移行の情景は、憧憬を伴って生者である私たちの想像力を豊かに刺激する。貨客船香取丸はインドネシア海域で雷撃を受け海へと傾斜したとき、サロンにあった大型ピアノが大きな不協和音を奏でながら滑っていった、という……。太平洋戦争開戦すぐの出来事であった。船は陸軍に徴用されていて、陸軍部隊が乗船していた。が、未だ船内には乗組員や平時の物資が乗っていた。そのピアノはかつての栄光を留めているもののひとつだった。船と一緒に海へと転がり落ちてゆく陸軍兵士、乗組員、ピアノ、かつての栄光。沈没したその日はクリスマス・イブであった。
 二律背反たる船の生と船の死という命題は、戦場の船というものを仰ぎ見るときにいちばんの難題となって私たちの心を刺すのだろう。生の鮮やかさと死の沈黙。それは人間を見るときも同様である。人間とおなじようにふねを見るということ。人間のうつわとしてのふね。
 人間の様相を写すものとしてふねを見定めていきたい。

#長文
日本郵船歴史博物館閉館(移転)雑感諸々

 日本郵船歴史博物館を初めて訪問したのは二〇一八年前後だと思われる。艦船を追いかけ始めたのは二〇一二年末の頃だったから、そこから数えれば五年も後のことだった。出不精とはいえ、関東の艦船オタクにしてはこの博物館に対してノーマークだったといえる。
 恥ずかしながら正直に告白すると、私にとっての「ふね」とは長らく「海軍の艦艇」のことであった。
それは戦史・ミリタリー趣味から始まった「艦船の追いかけ」だったためでもあるし、軍隊という歴史では良くも悪くも著名な存在に対して、海運会社やその仕事や担った文化的価値というものは「ふねの歴史」に関わる存在としては地味なものだったからだ。その「地味」という評価は何かしらの侮蔑や蔑視や軽視ではなく、単純な無知に由来する「初心者には受信できないマイナーな情報」という意味での「地味」だった。
 歴史という大河にまったく詳しくなく、なぜその艦が必要とされたのか、軍艦とは何か、海軍の由来は、海軍の意味は、国家の矛と盾としての軍隊とは、当時の時代の日本の様相は、世界の海とは……。あるいは、海運会社が文化面で担った責務とは?貨客船で行いたかった生業とは?そのような世界の展望や横断した知見には程遠い視点で、個々の艦の知識というよりは情報ばかりを己のなかで肥大させていた(この空母の排水量は、艦載機は云々……)。
 さらに私の言う「海軍のふね」といえば軍艦――戦艦や航空母艦、巡洋艦――であって、特設監視艇や病院船、あるいは海防艦などでは決してなかった。後者はいわんや無知な人間にはあまりに「地味」すぎた。私にとって艦は美しいものであり、美しければそれで十分で、その艦の基本情報と周りとの関係性が多少分かればそれでよかったのである。戦闘は戦争の華である。戦闘艦は美である。海上護衛などはいくらかの人間が言うように意味も、存在も、実際の任務自体も、ことごとく文字通り地味であり、同時に上記の意味でも「地味」で初心者には理解ができない複雑怪奇なふねの運用方法だったのだ。

 そうしてふねの浅瀬で遊んでいるうちに五年が経過した。
 何をして海上護衛や徴用船、特設艦船などに興味を持てたのか、日本郵船歴史博物館の初訪問の時期と同じく覚えていない。しかし当たり前だが五年も経過すれば浅瀬も浅瀬なりに広く深くなる。航空母艦隼鷹(貨客船橿原丸が戦時体制により改造され造られた艦)などから入ったような気もするし、あるいは艦艇種別一覧などを読み解いていけば特設艦船など容易に見つけることができよう。病院船などは存在自体は知っていた。特設病院船という日本海軍が元民間船舶に振った種別を私が認識していなかっただけなのだ。
 またこの頃になると海軍や艦艇の濃紺深き実直な文化ではなく、千紫万紅を彩る客船文化に目を奪われるようになった。それは地味とは程遠いものであった。茫漠と漂う爛熟した幸福とちりばめられた奢侈な調度品、海の上だからこそなおさら祈らざるを得なかった素朴な平和と友好の念、海を越えた友情の握手――そんなやさしい世界がそこにはあった。

 海軍軍人よりも多くの割合で人員が戦死した軍属たちの怨嗟の声は、その華やかであったはずの叙述詩的世界からの転落とその戦地との落差に鮮やかに彩られ、殊更に悲惨に感じられる。
五年を経た私は、海軍の戦闘での敗北のみを悲劇と捉えるほどに軍隊的あるいは単細胞的な美学を持てなくなっていた。
 だから海運というものに活路を求めたのは一種の必然だったかもしれない。美しかった生や美しくなるはずだった未来が戦争という災厄により無残にも失われ、軍艦へと装いを変えられて戦場という火の海の中へと向かう元貨客船や元貨物船など(またその乗組員たち)は、私にポストコロニアリズムや越境文学的な離別を容易に彷彿とさせた。それを悲劇と捉えて消費するそこに一種の危うさがなかったといえば嘘になるが、それでも私はそれを自分の命題として受容したのだった。
 日本郵船歴史博物館の移転は寂しい。
 再開館は二〇二六年予定らしく、その間に展示も図録もない。移転は新築の高層ビルのなかである。今のような天井が高く影の濃い文化財ではない。どうなるのかさっぱり予想がつかない。
それでも建物も博物館も無くならないだけ有り難いのかもしれない。とりあえず私は二〇二六年まで生きのびねば。
 日本郵船歴史博物館と日本郵船に、長い感謝を捧げたい。

2023.3.28記

#長文
 私はよく、ふねの「永遠の航海」の話をする。計画の中止で未成船となったふねや「往くはずだった未来」を往かなかったふねたちが往く、人間の観念の海での航海の話だ。そこではふねたちは大勢のうつくしい船客に囲まれて、そこでは風船と紙吹雪が舞い、ワインと料理が並び、歓呼、歓声、声、声、楽団の楽器の音色、拍手、囃す口笛が長く音を引いている。漣のように寄せては引いていく幸福感に包まれて、ただその海、そこにふねはある。しかしその海、その空想にしかふねはいない。ふねらは存在しない永遠の航海を往くのだ。
 人間たちが「もしも」の口上でその「あったかもしれない」を語るとき、ふねぶねは永遠にその海に流刑にされる。人間の想像力に嬲られて、皆の想像上の海を往く。
 ところで当時の旅行案内を見ると、これもまた別の「永遠の航海」がある。船らは美しく装い航路を往っている。海を往き続けている。時が止まっているのではなく、止まり-続けている。船たちは得意そうな顔をして船隊を組み、国家の雄姿を支え続けている。歴史という海の中をいつまでも泳いでいる。ふねらは人間の記録上で「こうあった」と記される。そして物語として語られたりする。何度も生まれて、何度も沈んだりする。これも永遠の、航海なのだ。
当時の日本人は関釜連絡船を「玄界の花嫁」と認めても、シアトル航路や欧州航路の船を「花嫁」と認めたのだろうか なんとなくこの「花嫁」は内鮮結婚と同線上にある価値観な気がする 羅紗緬の船は誉れと認めなかっただろうか
>シアトル市の日本郵船が「母」でありグレート・ノーザン鉄道が「父」であるのには日米という国家の関係が関わっていると推測しているんだけど、それを上手く言えない、ただ蝶々夫人の時代だとは感じる
>船と鉄道というのもあるのかな~…いやすべて謎 逆CPだったらどうなるんだろう(CPではないが)
>これで普通に「花嫁」呼ばわりされていたら申し訳ない、「シアトル航路 花嫁 船」とかだと写真花嫁の情報しか出ないので
特設監視艇は「つまり特設監視艇は洋上の目であり敵を発見することが最大の任務であり、敵と戦闘を期待することは論外であった。つまり言い換えれば特設監視艇は敵発見のための「捨て駒」的な存在であったともいえ、つまり戦闘力を持たない特設監視艇が敵を発見し、「敵発見」の無電を発信した時はその特設監視艇の最後と考えねばならなかったのである」(『特設艦船入門』)という記述を忘れてはならないと思うが、「徴用が確認されているこれら二千五十隻の小型漁船については、全数の四十六パーセントに相当する九百四十五隻が失われているが、そのほとんどは活動中に敵航空機の攻撃を受けて撃沈されたものと推定されている。ただ本来大海を長駆航海することが無理な小船であるだけに、無視できないほどの数の船が片道数千キロ以上もある航海の中で沈没したものも多いとされている」(『戦う日本漁船』)という記述にも、いやむしろこちらには「戦」没とおなじくらい着目すべきでは、と前々から思っている
>使われちゃうから新品は嫌という理由でボロい漁船ばかり徴用に出していた話をどこで読んだか思い出せない 『暁の宇品』…?
本級や、“あるぜんちな丸”級,日本郵船の新田丸級らを「戦争により薄命に終わった悲劇の美女たち」といった表現で現わす例が多い。それはそれで間違いではないのだが、この時期特に政府の補助を受けて建造された多くの船舶は、いずれも戦争への投入を前提としたボランティア・フリート的な性格を強く持っていた。つまり戦争がなければ生まれ来ることはなかった特殊な存在であることもまた確かなのである。
/小林義秀「報国丸クラスの航跡」『世界の艦船 1998年2月号 No.535』
船には前線でのストレスから心を病んだ兵士も200名ほど乗っていた。海に投げ出された兵士の中には「この湯は気持ちが良い」と放心状態で、いくら呼びかけても救命ボートに上がってこぬ者もいたという。
/『商船が語る太平洋戦争』「ぶゑのすあいれす丸」