破船

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◆ジャンル【 艦船擬人化企業・組織擬人化歴史・時代もの
◆分類【 思念・思索長文引用感想
◆創作話【 「渺渺録」

南洋からの石油を運んだり、戦場に兵士や兵器や物資を運んだりするために、艦だけでなく多くの船が導入されたこと、そして多くが沈んだこと
戦争体験の共通理解というほど著名な話にはなり得なかったので、まずそこから話していきたい
「日本郵船博物館」来年春にリニューアルオープン
新築の横濱ビルディング2階に、海運・物流の過去・現在・未来を展示

>当社は、現在休館中の日本郵船歴史博物館(神奈川県横浜市中区海岸通)を「日本郵船博物館」へ改称し、2027年春以降に横濱ビルディング(注)2階に場所を移して再開館します。従来からの歴史展示に加えて、当社グループの現在と未来を紹介する新展示を整備し、海運・物流の重要性を広く発信していきます。

ttps://www.nyk.com/news/2026/20260406_1.html



#外部リンク
【公開予定の話】 #「渺渺録」(企業・組織擬人化)

※下記は一部です

◎【公開済み】「未完の夢」(1967年)日本郵船と浅間丸:夢の中の遊弋。
◎【未公開】「記憶の編纂」(1967年)日本郵船:『日本郵船戦時船史』発行計画の話。
◎【公開済み】「河原」(1968年3月)日本郵船と三菱重工:貨客船橿原丸-航空母艦隼鷹の昔話。
◎【公開済み】「ほなさいなら」(1968年4月)大阪商船(三井船舶)と三菱重工:貨客船あるぜんちな丸(空母海鷹)の昔話。
◎【一部公開】「美という矛」日本郵船と髙島屋:髙島屋を尋ねる日本郵船。髙島屋が美しさでになったものとは。
◎【一部公開】「地獄とか地獄じゃないとか」三井物産:三井物産と与論島出身の女の話。
◎【未公開】「孫息子と孫娘」(1947年)日本郵船と(岩崎弥太郎の孫娘):功罪と明暗の話。
◎【未公開】「人間の愛し子 前編」(1887年~1925年)三菱重工
◎【一部公開】「人間の愛し子 中編」(1925年~1945年初頭)三菱重工:(東京空襲など)
◎【一部公開】「人間の愛し子 後編」(1945年初頭~1945年8月18日)三菱重工と戦艦土佐:我が子に赦される三菱重工の話。
◎【一部公開】「結婚式」(1943年)三井物産:三井物産と社員の妻である女の話。
◎【一部公開】「あの底から」日本郵船と大阪商船(三井船舶):地獄へ行きたい日本郵船とまだ行けない大阪商船の話。
◎【一部公開】「そして」(1971年)日本郵船と浅間丸:一社と一隻で共に沈む話。
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#「渺渺録」(企業・組織擬人化)
 えー、ただいまご紹介にあずかりました。三菱重工業です。今日はこのカイシャの面々を代表してご挨拶をどうぞ、とのことで、こうしておしゃべりさせていただいております。ウン、なんか、やっぱりイヤですね、こういうの。いまさら何をしゃべればいいのかしら、という気持ちにすらなってしまいます。なんだか偉くなったみたいですよね。人間みたいに……。とっても気まずい思いをして、ニヤニヤこうして皆さんのまえに立っているというわけですよ。
 なんか今日はとても暑いですね、なんでしょうね、ホント、日本ってどうなっちゃうのかしらーってよく思います。暑いし、湿ってるし、暑くて湿ってる時間が長いしで、もう疲れますよね。重工さん、お顔がだいぶ疲れてますよ、って社員の人に言われることがあるんですけど、いや疲れてるというか暑いんだよ、って。だって百年前って、こんなに暑くなかったですよね。百年前はこんなに暑くなかったしねえ、と人間たちに返してもただ笑われて終わるんですけども……。
 百年といえば、ここに来る前に、東京駅のまえを歩きましたらば、思いのほか時間がかかってしまいました。なんでだろう、といぶかしんだのだけど、人間がいっぱいいるんですね。東京駅だから当たりまえなのだけれど、東京駅に慣れていない人たちがいっぱいいて、ウロウロウロウロしていて、邪魔だなぁと思いながら、ちまちま歩いておりました。そんなの、いつものことなのだけど。東京駅なんて、あんなもの、慣れっこないですよね。いつの間にか改装してて、まいっちゃって、そんなことを続けているうちにいつのまにか丸の内で百年経っちゃうわけで。ボクが百年居たとしたって慣れないんだから人間だって慣れっこないでしょう。五分だけ駅弁を迷って買ってるうちに新幹線行っちゃったり。この前あったケーキ屋ないの。なんでだろ、おいしかったのにね、と思っているうちにもう五年も経っている。
 ところで東京駅って、ボクより若いんですね。そんな東京駅の時計を見ておりますとですね、ふと感じるんですが、一八八四年、一九〇四年とボクは生きて、一九一四年に東京駅クンが生まれて、一九二三年、一九三七年、一九四一年、一九四五年、一九六四年……ちくたくと駅の時計が時間を刻んでいる。そして思うんですけど、東京でいちばん偉いのはじつは丸の内や永田町の人たちではなくて、東京駅の時計なんじゃないのだろか。東京駅の時刻表が、東京駅から出るお召列車や貨物列車、新幹線、電車から空港や港にいく人たちを統制してきたんじゃなかろうか。時間に合わせて列車は進み、それを時間通りに待って、陛下を迎えたり、迎えるために地元の浮浪者や癲狂の病者……今はそう言わないか、そうだ、ゴメンナサイ、……まあそういう人たちを官吏が立ち退けたり、あるいは生糸でも製造品を作ればそれを運搬したりとか、港へ行き、船から船へ行き外国の港に着き、定刻通り、定刻通り、みたいな、そうしてこの国の制度や生産の中央にあったんじゃないか……という、きもちになるのですよ。なんでしょうね、じつは東京駅に来たときの主役になった気分というか、ここにいるぞ!みたいな高揚感ってそこにあるんじゃないか、という、ちょっとした自論なんですけども。東京って物に溢れてるとかそういうところで、資本がある、といえばそらそうなんですけど、ボクがいちばん気になるのは、東京駅から発する交通と、その先その先のことです。
 人間たちは昔より、どこでもどこからでも、どこにでも繋がってますよね。昔はね、宇宙のことなんて考えもしませんでした。ちっちゃな船を一隻一隻と湾に浮かべて、浮かべて、嬉しくなっていました。一つずつ番船で数えてましたよ。自分の造った構造物だもんね。名前をね、つけるのって不思議ですよね。ボクも何度か名前が変わりました。人間から与えられた。奪われることもあった。ボク自体が人間から造られておりました。思えばあの長崎から遠くにきてしまった。その先その先へ。でもどこにでも早く行けますかね、東京はね。たぶん宇宙もね。

[後略。未完]
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