古さと場数は海ではおなじ

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 えー、ただいまご紹介にあずかりました。三菱重工業です。今日はこのカイシャの面々を代表してご挨拶をどうぞ、とのことで、こうしておしゃべりさせていただいております。ウン、なんか、やっぱりイヤですね、こういうの。いまさら何をしゃべればいいのかしら、という気持ちにすらなってしまいます。なんだか偉くなったみたいですよね。人間みたいに……。とっても気まずい思いをして、ニヤニヤこうして皆さんのまえに立っているというわけですよ。
 なんか今日はとても暑いですね、なんでしょうね、ホント、日本ってどうなっちゃうのかしらーってよく思います。暑いし、湿ってるし、暑くて湿ってる時間が長いしで、もう疲れますよね。重工さん、お顔がだいぶ疲れてますよ、って社員の人に言われることがあるんですけど、いや疲れてるというか暑いんだよ、って。だって百年前って、こんなに暑くなかったですよね。百年前はこんなに暑くなかったしねえ、と人間たちに返してもただ笑われて終わるんですけども……。
 百年といえば、ここに来る前に、東京駅のまえを歩きましたらば、思いのほか時間がかかってしまいました。なんでだろう、といぶかしんだのだけど、人間がいっぱいいるんですね。東京駅だから当たりまえなのだけれど、東京駅に慣れていない人たちがいっぱいいて、ウロウロウロウロしていて、邪魔だなぁと思いながら、ちまちま歩いておりました。そんなの、いつものことなのだけど。東京駅なんて、あんなもの、慣れっこないですよね。いつの間にか改装してて、まいっちゃって、そんなことを続けているうちにいつのまにか丸の内で百年経っちゃうわけで。ボクが百年居たとしたって慣れないんだから人間だって慣れっこないでしょう。五分だけ駅弁を迷って買ってるうちに新幹線行っちゃったり。この前あったケーキ屋ないの。なんでだろ、おいしかったのにね、と思っているうちにもう五年も経っている。
 ところで東京駅って、ボクより若いんですね。そんな東京駅の時計を見ておりますとですね、ふと感じるんですが、一八八四年、一九〇四年とボクは生きて、一九一四年に東京駅クンが生まれて、一九二三年、一九三七年、一九四一年、一九四五年、一九六四年……ちくたくと駅の時計が時間を刻んでいる。そして思うんですけど、東京でいちばん偉いのはじつは丸の内や永田町の人たちではなくて、東京駅の時計なんじゃないのだろか。東京駅の時刻表が、東京駅から出るお召列車や貨物列車、新幹線、電車から空港や港にいく人たちを統制してきたんじゃなかろうか。時間に合わせて列車は進み、それを時間通りに待って、陛下を迎えたり、迎えるために地元の浮浪者や癲狂の病者……今はそう言わないか、そうだ、ゴメンナサイ、……まあそういう人たちを官吏が立ち退けたり、あるいは生糸でも製造品を作ればそれを運搬したりとか、港へ行き、船から船へ行き外国の港に着き、定刻通り、定刻通り、みたいな、そうしてこの国の制度や生産の中央にあったんじゃないか……という、きもちになるのですよ。なんでしょうね、じつは東京駅に来たときの主役になった気分というか、ここにいるぞ!みたいな高揚感ってそこにあるんじゃないか、という、ちょっとした自論なんですけども。東京って物に溢れてるとかそういうところで、資本がある、といえばそらそうなんですけど、ボクがいちばん気になるのは、東京駅から発する交通と、その先その先のことです。
 人間たちは昔より、どこでもどこからでも、どこにでも繋がってますよね。昔はね、宇宙のことなんて考えもしませんでした。ちっちゃな船を一隻一隻と湾に浮かべて、浮かべて、嬉しくなっていました。一つずつ番船で数えてましたよ。自分の造った構造物だもんね。名前をね、つけるのって不思議ですよね。ボクも何度か名前が変わりました。人間から与えられた。奪われることもあった。ボク自体が人間から造られておりました。思えばあの長崎から遠くにきてしまった。その先その先へ。でもどこにでも早く行けますかね、東京はね。たぶん宇宙もね。

[後略。未完]