- いつも言うか考えて言わないでいるんだけど あの徴用という出来事についてひとと問答した時にあっさりと「徴兵制を否定するようなものですものね」という言を頂いたことがあって考え込んでしまった、し、なにか一つの指数になっている
- というのは、あの時代に戦争に参加させられる、という点において徴用だけにすべての「悲劇性」を求めるのは帳尻が合わない、徴兵された兵の死と徴用された軍属の死は――もちろん、戦場という軍隊の主戦場であるがゆえにそこに至るまでの処遇などには差があって、ゆえに後者の悲惨さはなお増すのだが――おなじ1であって、そこにヒロイズムや怒りや悲しみを抱くのはおかしいのではないか、軍属という立場が悲劇なのか死というものが悲劇というべきなのか、そもそもそれを招いたあの時代の戦争行為や軍国主義自体を一考すべきなのではないか、(あの徴兵制を徴兵制の時代を戦争の世紀をどこまで否定すべきなのか?否定できるのか?)という意味なのかな(と、私は捉えた)
- 軍人によって虐待状態に置かれた、という多くの証言がある もちろんそれを否定しているとか無視しているとかではなくて もしも「悪」だったのは徴用して船員を劣悪な状況に置いた日本軍…だとか、そういう話を私がしたいのであれば、それだけでなくなぜその軍や悲惨な状態の戦争というものがあったのかということ、徴用と同じようにある一人の人間が徴兵されたということ、船員と同じくあの海にいたこと、そして(船員を虐待したかもしれない、いずれにせよ)やはり死んだこと、そうあったこと、あの時代に戦争があったということ、あの軍国の時代を、あの当時の日本というものを考える。その次に局地的な次項としての帝国の海運や戦時下の船員などを展望すべきなのかなーと考えてもいる こちらは私が言葉を頂いた後に考えたことだけど
良い…と思ったらぜひ押してやってください(連打大歓迎)