森崎和江の著作の中で炭坑の女性が「(生理中に炭坑に入るなという禁忌があるが一体それがなんだというのか)人間は信心ではなく自分の意志の問題だ」というのに「それでも神さまさえ地の底にいる私を見つけられなかった」と泣くシーンがある 『現代思想』森崎回の対談でその一節に触れ、「意志」という言葉は村や炭鉱の民衆の生活用語ではない、いわば「近代的」な単語であるが、"神さまが見つけられない"と涙するのを見るに、この「意志」は近代合理主義の迷信批判とは無縁のところにある、民衆世界のギリギリの臨界から生まれた彼女の尊厳の表現なのでは、という指摘が示唆に富んでいる
▼ありていに言えば「意志」という言葉の使い方や使われる文脈にズレがある、ということなんだろうけど
関係はないけれど、これはSNSをやっているとよく感じる…私が「意志」とある文脈で言っても、人がそれを読んだ時に理解する「意志」は、絶妙に異なる
▼この炭鉱の女性はいかにして「意志」という言葉と出会って、自分の定めを指し示すものとして選び取ったのだろう?
▼ありていに言えば「意志」という言葉の使い方や使われる文脈にズレがある、ということなんだろうけど
関係はないけれど、これはSNSをやっているとよく感じる…私が「意志」とある文脈で言っても、人がそれを読んだ時に理解する「意志」は、絶妙に異なる
▼この炭鉱の女性はいかにして「意志」という言葉と出会って、自分の定めを指し示すものとして選び取ったのだろう?
◆分類【 思念・思索 | 長文 | 引用 | 感想 】
◆創作話【 「渺渺録」 】