破船

津崎のお知らせ・作品・日常・雄叫び
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 一個人の趣味の同人創作サイトです。
 一次創作と擬人化(艦船擬人化/企業・組織擬人化)を描いています。各公式、実在の組織・団体とは一切関係がなく、一個人が趣味で描いたものを掲載しています。
サイト「night watch」(本拠地)🎨 | 👏👏👏

  • 『ねじ曲げられた桜』という本 特攻隊員となった学生たちは豊潤な知性があり軍国主義を野蛮と軽蔑すらしていた が、戦争になり国から「桜のように美しく散る」という悲劇的で浪漫的な死の大きな物語を提供されたときに その背景にあった軍事的意図までは見抜けなかったし、魔的な魅力に抗えなかった
  • 著者は本書を執筆する時に「なぜ特攻隊員がこういった"運命"を"自由選択"したのか」が重要だ、という指摘を受けたらしい。これは極めて重要だと思う。 一人の若者がたとえ軍隊に嫌悪感を抱いていても、結局は航空機に乗って"美しく""花のように散る"ことに疑問を抱かなかった。
  • 何故この話をしているのかというと、何度か言及している通り、なぜボラクチンが自らの身と夫の命とを危うくしてもトルイを毒殺することを"運命"と考えて"自由選択"したのか、という話だから つまり国家や時代という〈大きな枠組み〉が個に求めた犠牲だったように思う
  • ジブリ映画「風立ちぬ」でピラミッドのある世界/ない世界のどちらを選ぶか?と聞かれて「ぼくは美しい飛行機を作りたいと思っています」と答えた堀越二郎の行きついた結末 一個人がただ美しいものを求めただけ、それが大枠の国家にどう誘導され利用されていたのか、が『ねじ曲げられた桜』だったので
  • ボラクチン様もほんとう…「国の良い行く末」を求めているだけなんですよ…ホント… これだけ見ればトルイの死だってほんとうに美しい犠牲だし、トルイの殺害も美しい所業ですよ
  • ボラクチンがトルイを毒殺したのは彼女が運命だと思ったからで、大カトゥンとしてやるべき責務をやったのだと言う、それは自由志願だとしても明らかに時代や国家が要請したものであり、私はそれをさみしい風景だとおもう だから妙にこだわってしまう…
  • ボラ様にあなたはそんなことする必要なかったんだよ、毒殺は異常行動なんだよ、でもあなたが悪いんじゃなかったんだよ、どこかでなら血族みんなで仲良くなれる道もあったはずなんだよ…と言ってやりたい 現パロで という話 13世紀のモではもう無理、なので
  • そういうさみしい風景が描きたい 私自身、歴史もの・歴史創作オタクでもあるから あり得たかもしれない世界、あり得たかもしれない祝福、無かったことにされて消されてきた痛みや苦しみ、そんなかつての歴史の実相と虚構を交え、漫画というフィクション手法で再話を試みること…
  • その点で言えば 天ジャは厳密な歴史考証アリ!というよりも、実相と虚構を交えたこの再話を試みること、それにより滲み出す、痛みや悲しみや抑圧の姿が重要であって 馬は左から乗るのが常識ですよ!とかこの時代にこの人物が生きてるのはおかしいですよ!とかはむしろ野暮…と感じるタイプの作品だ
  • 歴史創作・歴史ものに対して、事実と考証の話だけをし続けること、高い参考書籍・希少な史料を持っていることが重要だとすること…等に限界を感じる時がそこそこある
  • 自分の手を汚した理由が国家のため、モンゴル帝国のためなんて、あまりにさみしすぎるじゃないか、お前はそんなことのためにあっていいのか、そうあっていいのか、そんな女じゃないだろう、ボラクチン、みたいなことを誰か言ってやるべきだったし、でもオゴタイは絶対そんなことをボラクチンには言わず
  • なぜなら2人は大カアンと大カトゥンだから。この2人の間に流れるさみしい風景を、この時代の空気を、責務というものを、後の時代から、現代からフィクション漫画として再話するということ
  • 「カインとアベルの円舞曲」という本を発行したくて、そのためにオゴボラ漫画を描く…はずなのに考えがまとまっていなかった 自分で喋っていてまとまってきたかもしれない 2人のあいだにあるのはこれだ
  • 私はボラクチンにはそれではさみしすぎる、と言えるけれど、オゴタイという大カアンに対してどんな観点を抱いているの未だわからない 勿論オゴタイも同じくさみしい、だけどボラクチンは積極的に行動に出ているのに対して、彼はそれを追認している姿勢を取っているだけで そして大カアンであり…


#『天幕のジャードゥーガル』 #「カインとアベルの円舞曲」(天幕のジャードゥーガル)