しかしもちろんそうではない。それではもし歴史の重みが現在と未来にこれほど重くのしかかることがあるとすれば、歴史家の仕事の一部がその重みを解除しようとすることにあることはたしかである。すなわち、たいていの抑圧の形態は構築されたものであるから脱構築されることが可能であるということを示すこと、現在あるものが必ずしも過去にあったとは限らず、したがって未来にあるとも限らないということを示すこと、である。この意味で歴史家は社会批判者でなければならない。というのは、過去が現在や未来を抑圧する一方で解放もするのは、そういう批判という手段によってであり――どんなに矛盾しているように見えようとも、歴史家は過去自体に対して両方の行為を同時におこなっているのだから。
過去が現在を解放するというのはどういう意味かということを知るために、きわめてありふれたミクロな状況、つまり一人の若い人が彼女あるいは彼が何らかの点で「異なっている」という意識を持って成長しているという状況から始めよう。どんな点でもよい。民族としてでも、人種としてでも、性的嗜好においてでも、経済的あるいは社会的地位においてでも――名前は勝手につけてよい。変わらないのは孤立の感情、群集のなかの一人ぽっち、「彼ら」のうちの一人になれないことという感情である。そして子どもたちがお互いにきわめて残酷になりうるという事実は――おとなが子どもに対してどんなことをしているかは言うまでもなくーこの孤独さを耐えやすくするものではない。
つぎに、あなたはじつは一人ではないということ、他の人も時間や空間を隔てて同じ経験をしており、あなたを「異なっている」としている基準がじつはいつもそこにあるわけではないということを知るときの救いの感覚を想像してみよう。自分が同性愛を考え出したと絶対的に信じている――多くの人が最初はそうであるように――若者が、たとえばミシェル・フーコーやジョン・ボズウェルを読んだとき、どんな影響を受けるだろうか、考えてほしい。つぎにもっとひろい焦点に移ろう。たとえばW・E・B・デュ・ボアの奴隷制と南北戦争後の再建期に関する作品が復活したときや、C・ヴァン・ウッドワードが南部の人種隔離はつねにあったわけではないということを示したときのアメリカ公民権運動の反応である。さらに視野をもっと広げて女性史運動が一九七〇年代や一九八〇年代に発展したときを取り上げてみよう。ここでの目的は女性抑圧の源は時間を超えたものではなく時間に縛られたものだということを証明することによってすべての女性を解放することにほかならなかったのである。
/ジョン・L・ギャディス『歴史の風景』
過去が現在を解放するというのはどういう意味かということを知るために、きわめてありふれたミクロな状況、つまり一人の若い人が彼女あるいは彼が何らかの点で「異なっている」という意識を持って成長しているという状況から始めよう。どんな点でもよい。民族としてでも、人種としてでも、性的嗜好においてでも、経済的あるいは社会的地位においてでも――名前は勝手につけてよい。変わらないのは孤立の感情、群集のなかの一人ぽっち、「彼ら」のうちの一人になれないことという感情である。そして子どもたちがお互いにきわめて残酷になりうるという事実は――おとなが子どもに対してどんなことをしているかは言うまでもなくーこの孤独さを耐えやすくするものではない。
つぎに、あなたはじつは一人ではないということ、他の人も時間や空間を隔てて同じ経験をしており、あなたを「異なっている」としている基準がじつはいつもそこにあるわけではないということを知るときの救いの感覚を想像してみよう。自分が同性愛を考え出したと絶対的に信じている――多くの人が最初はそうであるように――若者が、たとえばミシェル・フーコーやジョン・ボズウェルを読んだとき、どんな影響を受けるだろうか、考えてほしい。つぎにもっとひろい焦点に移ろう。たとえばW・E・B・デュ・ボアの奴隷制と南北戦争後の再建期に関する作品が復活したときや、C・ヴァン・ウッドワードが南部の人種隔離はつねにあったわけではないということを示したときのアメリカ公民権運動の反応である。さらに視野をもっと広げて女性史運動が一九七〇年代や一九八〇年代に発展したときを取り上げてみよう。ここでの目的は女性抑圧の源は時間を超えたものではなく時間に縛られたものだということを証明することによってすべての女性を解放することにほかならなかったのである。
/ジョン・L・ギャディス『歴史の風景』
一次創作と擬人化(艦船擬人化/企業・組織擬人化)を描いています。各公式、実在の組織・団体とは一切関係がなく、一個人が趣味で描いたものを掲載しています。
サイト「night watch」(本拠地) | 絵🎨 | 👏👏👏