- 『抒情の浮域』に「それにしても「やまと歌」が先験的な呪縛として、大和朝廷支配の秩序の内に円環してゆく予定調和のメカニズムをどのように破砕するかという方向に考察をすすめるとき、寺山修司の歌がいかに北方の衆夷性のもつ暴力と背馳する形で修景されているかが黒田喜夫の、きめのこまかい分析を読めばわかる。黒田喜夫は北方の衆夷が、古代からどのように天皇にそむき大和朝廷に馴致されない異民として生きてきたかを古い文献によって実証し、そして大和朝廷を相対化してゆくには夷狄の古謡から民謡まで一貫して流れる生の流露感を基調にした骨太い肉感性を見なおすことが重要だと述べているようだ」という一文があり、きになる
- 与謝野鉄幹の「から山に桜を植ゑてから人にやまと男子の歌うたはせむ」という歌もすさまじいものを感じるけど、『森崎和江コレクション』にも、戦後森崎がそろそろと韓国を訪問した際に知古の韓国人と話す機会があり、その彼が「日本語が如何に自分の中に根差してしまっていたか」的なことを語る際に「当時短歌をつくったこと」をまず上げているのが印象深かった
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