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『天幕のジャードゥーガル』二次創作小説「血族の災厄」 冒頭部分
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あなたはある男を前にして、モンゴル帝国の歴史に触れている。
国家の制度と、ある一族について触れている。
オゴタイ・カアンが病に臥した時、その弟のトルイが代わりに呪いを受けたのだと、あなたは聞く。
そして多大な財産を持っていたトルイは逝き、オゴタイに権力が集中したのだと聞く。国家の力がオゴタイへ統合されて、ますます戦争と政治が行いやすくなったのだと聞く。
そして実はそれが、一族の陰謀であったと知る。
やはり戦争と政治のためであり、富のためであったと知る。すべてはモンゴル帝国の繁栄のための策略だったと知る。
オゴタイの第一皇后は、自分の死を覚悟してでも毒を試したのだと知る。
夫の、皇帝の、国の繁栄のためにすべての命運を掛けたのだと知る。
あなたは国家のために、ある家族が別の家族を殺したのだと知る。
血族が血族を殺したのだと知る。
あなたはここで、沖縄戦の「集団自決」を思い出す。
沖縄の住民たちと十三世紀のモンゴルの民族を共振させる。過去が、歴史というものが目前に現実として匂い立ち、あなたの心の中で無数の声が騒ぎ出す。記録の上にしかいなかった人物たちが、実体として浮かび上がってくる。彼らは血の通った一人一人の人間として、そこに立っている。彼らは歴史に立っている。
そしてあなたも歴史に立っている。
あなたは沖縄の深く小さなガマの中に立っている。あなたの周りには多くの同村民がいる。昨日は友軍(日本軍)から安全地帯であった大きなガマから追い出されて、辛うじて戦火を逃れて、今日はこのガマに居る。
あなたは一族の長男であり、家長だった。あなたは一族全体の責任を背負っている。母、妻、息子と娘たち、妹、弟、甥に姪。あるいはこうとも言えるかもしれない。あなたは帝国の臣民で、一族だけでなく、国家に対して責任を負っている。あなたは沖縄という故郷を愛していて、あなたの沖縄は常に大日本帝国の周縁だったから、だからなおさら沖縄と祖国日本に対して責任を負っている。
沖縄人の誇りを示すこと。綺麗な標準語を話せるようになること。本土のように徴兵制に応じられるようになること。臣民らしく気高く生きること――あるいは死ぬこと。それを内地に、日本に示すことで故郷に愛と責任を示すこと。
あなたは家族と、沖縄と、祖国日本への責任に重く押しつぶされているが、あなたはそのことには気づかない。
永遠に続くと思われる亜米利加軍の砲撃が空気を揺るがしている。物量ではあの国にいつも叶わないと従兄の米移民経験者が言っていたことを思い出す。あなたは大日本帝国海軍の連合艦隊がどこにいるのかいつも知らない。あなたの妻は二つ下の歳であり、周りはお世辞でしかそうは言わないが、あなたはあなたの妻をとても可愛らしい、と思っている。妻は瀕死の赤ん坊を抱き半分失神している。あなたは猛烈に喉が渇いていることに気づく。
「一人の男性が妻子を殺したことから、ガマの中で「集団自決」が「以心伝心」として広がり、金城氏自身も同様の行為へと至ったことが記されている。よく知られているように、その理由は、家族や親戚が生き残って米兵に捕まると陵辱され殺害されるから(住民はそのように教え込まれ信じていた)、「愛するがために」肉親から手を掛けたということが大きな要因であった」――「そしてそのような認識に至った背景にあるものは、日本軍による上意下達の強制的構造のなかで共同体と個々の住民とが一体化していたという事実である。実際、「集団自決」に対するこれまでの思想的な理解は、日本軍が通達した「軍官民一体化の共生共死」の思想の強制による、いわば共同体と個が合一化した状況下で起こった惨劇であるととらえられている」(『友軍とガマ 沖縄戦の記憶』社会評論社、2008年、55-56頁)
あの国家のあの時代では、個人の小さな願いではなく、大きな国家に身を犠牲にさせることこそが重要だった。
あなたは遠くある、けれど我が祖国たる大日本帝国とその友軍は、亜米利加などに敗けないと強く思う。
あなたの国家は、敵国との戦争に決して敗れない。あなたの故郷はなくならないし、砲撃が終わればまた島には緑が芽吹くはずだった。
けれどあなたは、家族と共にガマに逃げ込んでいる。過去からも未来からも切り離されて、平穏な日常などは失われて、すでに無力にもガマに居る。ここに居る。父親で、家長で、男なのに、無力に隠れている。
一族を率いて、あなたは日用品だけを持ってそこにいる。鎌や棍棒だけの簡素な武装しか持たずにいる。
敵は戦車と火炎放射器を持っている。たくさんの野蛮な異民族が自分の郷土と家を燃やし、荒らし、奪っているというのに、あなたは抗うことができない。
大切な財産は焼かれ、街は焼かれ、大切な写真が燃えて、大切な書が失われる。
祖国が戦争に敗けて、愛する家族を殺され暴行され凌辱されるくらいなら――敵に故郷を、家族を滅ぼされるなら――自分で家族を楽に殺してあげたほうが良いはずだ、とあなたは思う。
たとえあなたが逡巡していたとしても、周りはそうに違いない、そのほうがいいのだ、と小さく囁いている。
声がさわさわと湧いて来る。
たくさんの友軍の兵士が入れ替わりに訪れては、あなたたちは捕虜にならずに死ぬべきだと諭していく。それが責務なのだ、定めなのだという。時には天使のお告げのようにひどく優しく、時には死刑宣告のように厳しく。それがこの国家の人間としての誇りなのだという。あなたはこちらを見る友軍たちの無機質なまなざしを見るたびに、無力であることが恥ずかしくなる。家長で、男であるのだから、あなたは覚悟をすべきなのではないかと思う。一族を殺す覚悟。恥をかかず屈辱を受けずに死を受容する覚悟を。
たくさんの見知った住民たちがあなたの後ろで同意する。いつもあなたに優しく微笑み挨拶してくれた顔と同じ顔で、私たちは死ぬべきだと同意する。きっと女も子どもも、捕虜たちは、男たちだってもちろん助命されず、撃ち殺されて、強姦されて拷問されて無様に死を晒すだろうからと。
家族たちは、血族たちは必死の表情で、共に死ぬことを話し出す。共に死ぬことで永遠に共に生き続けることを願い出す。ここで死なないことは皆から取り残されることなのだ、と泣き出してしまう。だからあなたはいっそう覚悟する。家族を殺す覚悟をする。
あなたは家族を愛している。あなたは家族を囲う国家を、自分の祖国として当たり前に認めている。
あなたの国家は、あなたの家族が惨めに凌辱されることを望んでいない。
だからあなたは自分の子どもたちに殺虫剤を飲ませて殺すことを国家に要求されている。あなたは幼い娘を防空壕の土壁に叩きつけて殺すことを国家に要求されている。老いた両親を棍棒で叩き殺すことを国家に要求されている。あなたは自分の赤ん坊を手で窒息死させることを国家に要求されている。死にたくないと逃げ回る甥を鎌で切りつけて殺すことを国家に要求されている。カミソリで弟の首を切って殺すことを国家に要求されている。妹の子どもに軍隊から借りた銃を発砲することを国家に要求されている。自分の姪をロープで縊死させることを国家に要求されている。万歳の叫びと共に手榴弾で妻に自決させることを国家に要求されている。
そしてそのすべてのあとに、自分で自分の首をカミソリで切り、そのまま死ぬことを国家に要求されている。
あなたは国家に要求されている。
国家のために、より大きな善のために、皆のために、自らの命と、血族の死を要求されている。
あなたが一九四五年の沖縄のガマの中で、皇后ボラクチンのように、自分の国家のためにより大きな善のために愛のために、自分の血族を殺さなかったとどうして誓えるだろう。
#「血族の災厄」(『天幕のジャードゥーガル』二次創作)
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あなたはある男を前にして、モンゴル帝国の歴史に触れている。
国家の制度と、ある一族について触れている。
オゴタイ・カアンが病に臥した時、その弟のトルイが代わりに呪いを受けたのだと、あなたは聞く。
そして多大な財産を持っていたトルイは逝き、オゴタイに権力が集中したのだと聞く。国家の力がオゴタイへ統合されて、ますます戦争と政治が行いやすくなったのだと聞く。
そして実はそれが、一族の陰謀であったと知る。
やはり戦争と政治のためであり、富のためであったと知る。すべてはモンゴル帝国の繁栄のための策略だったと知る。
オゴタイの第一皇后は、自分の死を覚悟してでも毒を試したのだと知る。
夫の、皇帝の、国の繁栄のためにすべての命運を掛けたのだと知る。
あなたは国家のために、ある家族が別の家族を殺したのだと知る。
血族が血族を殺したのだと知る。
あなたはここで、沖縄戦の「集団自決」を思い出す。
沖縄の住民たちと十三世紀のモンゴルの民族を共振させる。過去が、歴史というものが目前に現実として匂い立ち、あなたの心の中で無数の声が騒ぎ出す。記録の上にしかいなかった人物たちが、実体として浮かび上がってくる。彼らは血の通った一人一人の人間として、そこに立っている。彼らは歴史に立っている。
そしてあなたも歴史に立っている。
あなたは沖縄の深く小さなガマの中に立っている。あなたの周りには多くの同村民がいる。昨日は友軍(日本軍)から安全地帯であった大きなガマから追い出されて、辛うじて戦火を逃れて、今日はこのガマに居る。
あなたは一族の長男であり、家長だった。あなたは一族全体の責任を背負っている。母、妻、息子と娘たち、妹、弟、甥に姪。あるいはこうとも言えるかもしれない。あなたは帝国の臣民で、一族だけでなく、国家に対して責任を負っている。あなたは沖縄という故郷を愛していて、あなたの沖縄は常に大日本帝国の周縁だったから、だからなおさら沖縄と祖国日本に対して責任を負っている。
沖縄人の誇りを示すこと。綺麗な標準語を話せるようになること。本土のように徴兵制に応じられるようになること。臣民らしく気高く生きること――あるいは死ぬこと。それを内地に、日本に示すことで故郷に愛と責任を示すこと。
あなたは家族と、沖縄と、祖国日本への責任に重く押しつぶされているが、あなたはそのことには気づかない。
永遠に続くと思われる亜米利加軍の砲撃が空気を揺るがしている。物量ではあの国にいつも叶わないと従兄の米移民経験者が言っていたことを思い出す。あなたは大日本帝国海軍の連合艦隊がどこにいるのかいつも知らない。あなたの妻は二つ下の歳であり、周りはお世辞でしかそうは言わないが、あなたはあなたの妻をとても可愛らしい、と思っている。妻は瀕死の赤ん坊を抱き半分失神している。あなたは猛烈に喉が渇いていることに気づく。
「一人の男性が妻子を殺したことから、ガマの中で「集団自決」が「以心伝心」として広がり、金城氏自身も同様の行為へと至ったことが記されている。よく知られているように、その理由は、家族や親戚が生き残って米兵に捕まると陵辱され殺害されるから(住民はそのように教え込まれ信じていた)、「愛するがために」肉親から手を掛けたということが大きな要因であった」――「そしてそのような認識に至った背景にあるものは、日本軍による上意下達の強制的構造のなかで共同体と個々の住民とが一体化していたという事実である。実際、「集団自決」に対するこれまでの思想的な理解は、日本軍が通達した「軍官民一体化の共生共死」の思想の強制による、いわば共同体と個が合一化した状況下で起こった惨劇であるととらえられている」(『友軍とガマ 沖縄戦の記憶』社会評論社、2008年、55-56頁)
あの国家のあの時代では、個人の小さな願いではなく、大きな国家に身を犠牲にさせることこそが重要だった。
あなたは遠くある、けれど我が祖国たる大日本帝国とその友軍は、亜米利加などに敗けないと強く思う。
あなたの国家は、敵国との戦争に決して敗れない。あなたの故郷はなくならないし、砲撃が終わればまた島には緑が芽吹くはずだった。
けれどあなたは、家族と共にガマに逃げ込んでいる。過去からも未来からも切り離されて、平穏な日常などは失われて、すでに無力にもガマに居る。ここに居る。父親で、家長で、男なのに、無力に隠れている。
一族を率いて、あなたは日用品だけを持ってそこにいる。鎌や棍棒だけの簡素な武装しか持たずにいる。
敵は戦車と火炎放射器を持っている。たくさんの野蛮な異民族が自分の郷土と家を燃やし、荒らし、奪っているというのに、あなたは抗うことができない。
大切な財産は焼かれ、街は焼かれ、大切な写真が燃えて、大切な書が失われる。
祖国が戦争に敗けて、愛する家族を殺され暴行され凌辱されるくらいなら――敵に故郷を、家族を滅ぼされるなら――自分で家族を楽に殺してあげたほうが良いはずだ、とあなたは思う。
たとえあなたが逡巡していたとしても、周りはそうに違いない、そのほうがいいのだ、と小さく囁いている。
声がさわさわと湧いて来る。
たくさんの友軍の兵士が入れ替わりに訪れては、あなたたちは捕虜にならずに死ぬべきだと諭していく。それが責務なのだ、定めなのだという。時には天使のお告げのようにひどく優しく、時には死刑宣告のように厳しく。それがこの国家の人間としての誇りなのだという。あなたはこちらを見る友軍たちの無機質なまなざしを見るたびに、無力であることが恥ずかしくなる。家長で、男であるのだから、あなたは覚悟をすべきなのではないかと思う。一族を殺す覚悟。恥をかかず屈辱を受けずに死を受容する覚悟を。
たくさんの見知った住民たちがあなたの後ろで同意する。いつもあなたに優しく微笑み挨拶してくれた顔と同じ顔で、私たちは死ぬべきだと同意する。きっと女も子どもも、捕虜たちは、男たちだってもちろん助命されず、撃ち殺されて、強姦されて拷問されて無様に死を晒すだろうからと。
家族たちは、血族たちは必死の表情で、共に死ぬことを話し出す。共に死ぬことで永遠に共に生き続けることを願い出す。ここで死なないことは皆から取り残されることなのだ、と泣き出してしまう。だからあなたはいっそう覚悟する。家族を殺す覚悟をする。
あなたは家族を愛している。あなたは家族を囲う国家を、自分の祖国として当たり前に認めている。
あなたの国家は、あなたの家族が惨めに凌辱されることを望んでいない。
だからあなたは自分の子どもたちに殺虫剤を飲ませて殺すことを国家に要求されている。あなたは幼い娘を防空壕の土壁に叩きつけて殺すことを国家に要求されている。老いた両親を棍棒で叩き殺すことを国家に要求されている。あなたは自分の赤ん坊を手で窒息死させることを国家に要求されている。死にたくないと逃げ回る甥を鎌で切りつけて殺すことを国家に要求されている。カミソリで弟の首を切って殺すことを国家に要求されている。妹の子どもに軍隊から借りた銃を発砲することを国家に要求されている。自分の姪をロープで縊死させることを国家に要求されている。万歳の叫びと共に手榴弾で妻に自決させることを国家に要求されている。
そしてそのすべてのあとに、自分で自分の首をカミソリで切り、そのまま死ぬことを国家に要求されている。
あなたは国家に要求されている。
国家のために、より大きな善のために、皆のために、自らの命と、血族の死を要求されている。
あなたが一九四五年の沖縄のガマの中で、皇后ボラクチンのように、自分の国家のためにより大きな善のために愛のために、自分の血族を殺さなかったとどうして誓えるだろう。
#「血族の災厄」(『天幕のジャードゥーガル』二次創作)
仲里 金城さんが言った「愛ゆえに」は、キリスト教への入信とかかわっているように思えます。自分のおふくろや姉妹を手にかけた痛切な「集団自決」の体験をぎりぎりまで問い詰めたところに到来した究極の言葉であったにしても、最後に疑義が残ってしまうことは否定しようもありません。「集団自決」の闇は思想的に開かれるべきなのに、「倫理」の文脈に還元されてしまうことへの疑問といったらいいでしょうか。「愛ゆえに」の手前で、加害と被害がねじり合っている閾を、国家と軍隊と島共同体の縫合線に露出した沖縄近代のアポリアとして読み解き、それを超えていくのが、とりわけ沖縄の戦後世代の思想の核心ではないのかということをつねづね考えてきたように思います。
/「一「集団死」の特異性」「「愛ゆえに」を超える」『沖縄/暴力論』
#近代
#「血族の災厄」(『天幕のジャードゥーガル』二次創作)
/「一「集団死」の特異性」「「愛ゆえに」を超える」『沖縄/暴力論』
#近代
#「血族の災厄」(『天幕のジャードゥーガル』二次創作)