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調べものノート いろいろ覚え書き

大久保一郎画家・和辻春樹技師・大野仁助船長あたりの大阪商船の話が描きたい

#大阪商船
#歴史・時代もの/歴史創作
#海運・船舶・船員 #徴用船・特設艦船・戦没船
戸高一成 編『フォトグラフ日本海軍』第1巻,国書刊行会,1985.8. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/pid/12398576 (参照 2026-11-03)


#デジコレ
#日本海軍
戦後(S.20~22、3年頃)における船舶運営会の活動状況について書かれたものはないか。特に復員輸送について知りたい。――レファレンス協同データベース

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> 「船舶運営会会史」(前編 上、中、下)には、戦後の記載なし。(後編は出版されていない。)

#海運・船舶・船員 #占領期前後
変革主体の形成を問うと言いながら、その時代を生きた人々に「ないものねだり」をする愚かさについては、言う迄もあるまい。けれども、 「資金調達」や「市場」等々について緻密な研究が積み重さねられていっても、それが養蚕家製糸工女・製糸家その他まさに「生きた人間諸個人」を後景に退けた、いわば「おくれた日本資本主義」の再確認に帰結するのであれば、それは少なくとも私にとっては何の意味もないのである。 歴史を対象とする研究が「歴史としての現代」 に対する責務から解放されてはならないと考える限り、つまりは我々の未来を展望することにいささかなりとかかわりを保とうとする限り、むしろ「おくれた日本資本主義」のなかで、人々がどの様に生き何を形成して来たのか、何を考え、あるいは考えることができなかったのか、そしてそこから人々が単なる「人々」ではない主体として自らを形成する道はどの様に展望されたのか、を問うことにこそ《意味》があるのではあるまいか。
 とはいえ、学問研究たらんとする以上、心情主義的に性急に 《意味》を追求するあまり、無意識のうちにも対象化を放棄した「情感の海」にひたる様なことは、厳しく拒絶されなければならない。「人々がどう生きたか」を考えるにしても、課題はあくまでも「まさに構造論と結合した民衆史の形成でなければならない」(石井寛治 「産業革命論」同氏ほか編『近代日本経済史を学ぶ(上)』、一九七七年、八六頁)であろう。私が《意味》 を求めようとした問題を力法として展開しようとしたのが本書の序章第一節であり、以下の諸章はそれなりにその方法をふまえているつもりであるが、それが問題=方法として一貫しているか、ましてや成功しているか否かについては、読者の判断にまつほかない。ここでは、先学諸氏の精緻な研究に比べての実証面での粗雑さをある程度意識しながらも、敢えてこうした形で本書を世に問おうとしたわけを述べておきたかった。もっともこの様な言いぐさは、「ひらき直り」ではあっても「申しひらき」になり得ないことは、私としても充分承知しているつもりである。理論的・実証的に、あらゆる角度からの厳しい批判の寄せられることを覚悟し、かつ期待している。

/「はしがき」『日本資本主義と蚕糸業』

#近代
#歴史、またそれとの距離
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