旧サイトのアーカイブ

旧サイト「24」の写しです。画像表示が対応していないのはデフォです。
ここの使い方がTwitterみたいになってきてとても嬉しいです
そもそも物語に救われるのも金や読書バリアフリーが必要だって考えた事がなかった 『ハンチバック』も詰んだままだ
私のことですね(救われたのは事実なので…)
物語や本や「それらに救われたこと」をまるで何かの神話、あるいは運命論みたいに語る人たちは、なにかの優越感と選民思想とを時折滲ませるときがある気がしていて、そこは現実を弁えていきたい。(先ほどの投稿の方たちのことではないが……)
ところで「いくつもの異なった物語を経過して」いる私は「フィクションと実際の現実とのあいだに引かれている一線を、自然に見つけだすことができ」ているのだろうか?とは思う
オウム真理教に帰依した何人かの人々にインタビューしたとき、僕は彼ら全員にひとつ共通の質問をした。「あなたは思春期に小説を熱心に読みましたか?」。答えはだいたい決まっていた。ノーだ。

彼らは物語というものの成り立ち方を十分に理解していなかったかもしれない。ご存じのように、いくつもの異なった物語を経過してきた人間には、フィクションと実際の現実とのあいだに引かれている一線を、自然に見つけだすことができる。その上で「これは良い物語だ」「これはあまり良くない物語だ」と判断することができる。

/村上春樹「東京の地下のブラック・マジック」『村上春樹雑文集』
村上春樹(ここではだいたい呼び捨て)といえば村上春樹アンチが有名

という印象しかない作家だったけど なぜか最近気になる エッセイや翻訳だけでなく彼自身の小説も読んでみよう 『ノルウェイの森』は読みました
絵を描きたくなる欲求は絵を見たときに生まれるのだな…と改めて気づいた
神保町ブックフェスティバルの日程が決まりましたね!わくわく
いいねありがとうございます~
『大脱走 中』原稿がまあまあ進んだ やった~
サ終したらしんでしまうので広報として投稿しておきます
アドオンを入れれば右クリックだけで保存できるのも良いです
Eagle 買い切りで3~4000円です
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Eagleという台湾製のデータ整理のアプリケーションがとても便利で好きです
『中城ふみ子全歌集』の中でとりわけ印象的だった短歌の一つ「酔へばソフアに眠るてふ手紙に乱されつつをれば花曇りの夜となるらし」の「手紙」は中井英夫との往復書簡のことだったと知って興奮している
中城ふみ子の短歌、挫折した恋や「すでにもう無きもの」を詠ったものが多い気がしていて、そしてこの短歌はその両方ではないので 印象的なのだと思う
いしかわゆき『書く習慣』読んでいます。ありがちなHOW TO 本なのだけど、それな~と思う技法(「いつか書くは一生書かないので今書け」など)もあれば、なんとなく私が無意識でやっていたものを改めて文章にして提示していてこちらがドキッとしたりする技法(「アウトプットできない時はインプットが足りないのでは?」「『時間を作る』というのは無駄な時間を削ること」)もあり、読んでいてためになります。
あと読みやすくて良い。基礎編なHOW TO本なのもあるし、文章を書くことの本なのでその説明自体が分かりやすく書かれている。たまにはこの類の本も読んでいこうと思いました。
彩度は低め、明度は高め、コントラストは強め、褪せているがそれゆえの美しさ、美しくないことが美しい世界にしたい
修正後


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修正前


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占領下という設定なので彩度を低くしたいがそうすると必然くすむし地味になるし冴えない感じになる問題
彩度は低め、明度は高め、コントラストは強めすればちょっと美しくなる 気がする
ブクログメモ 現在21600冊登録
絵を描く気があまりおきないのだけど 自分の作品を自分で閲覧することもやる気においては大切だなと思った また描こう!となるので
waveboxもパチパチありがとうございます~
イラスト単体のログをどうしようかなぁ…と思ってます。ギャラリー機能は表示が重いので……
しかしこの快い広さはどうだろう。目をさえぎるもののない(あの気味の悪い鉄柱や煙突や、わずかにくずれ残った煉瓦造りの建物や監視塔が目にはいっても、そこに横たわる空間の広さに呑みこまれてしまえば、雑草の存在とかわらない)野の中に置かれると、私が享けるものは、自然ののびやかな恵みでしかない。人々の悲惨は通りすぎ、残されたものは錆び行く鉄塊と崩れゆく煉瓦でしかなく、 すべては土にかえってしまうことが定められている。ほろびるもののあいだにはさまれて、遠からずほろび行く自分をも私は遂につかみ得ないのである。虚無の陶酔が私の神経をしびらせていたろうか。 こんな広い土地を自分のものにしたい、というへんな考えがにぶい伴奏のように私の頭を覆っていた。 目をさえぎるもののない広漠たる土地の広がりは、そこで殺された何百万ものにんげんの血をにじませながら私のこころを屈託のない広がりの快さに誘いつづけていた。
/「ブジェジンカにて」『島尾敏雄全集 第9巻』
『島尾敏雄全集』を2冊ほどポチ…としてしまいました。9巻の東欧について書いた回は本当に良い。ので追加で……。
オシヴィェンチム――有名なアウシュヴィッツ収容所がある都市の収容所跡(それがアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所跡なのかは不明…覚えていない)では、この収容所の「快い広さ」は何だろう、この土地を自分のものにしたいという得体のしれない感覚があった……という趣旨のことを書いていて、驚きました。収容所の土地が欲しいという人いる?
でもそれは自分ごととして収容所とその歴史を抱きしめたいという意志なのかもしれないと思いました。文章の技巧。
いいねパチパチありがとうございます!確認してます
乗っている指輪はAVM

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sghrのガラス小皿

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人間
人間の絶望や悲劇や死で話を過激に着彩することはできるが、苦楽の間の揺れ様や悲喜の絶妙な差異や、なにより人間そのものへの信頼を描き得ず、物語が物語として必要とされる所以、人間が物語を必要とする理由たる人間の孤独、欠落、渇きを回復する優しさを持つ物語を設計することができない
船で運ぶもの

 Googleで「日本郵船歴史博物館」と検索すると検索候補に「恨み」と出てくるんですけど、あれ、結構びっくりしますよね。あれはおそらく博物館の展示である「戦争と壊滅」を指しているんだと思うんです。恨み、というのは商船がたくさん徴傭されたこと、その乗組員も取られたこと、その多くが返って/帰って来なかったことへの日本海軍と日本政府への非難のことでしょう。実際に皆さんが見たらちゃあんとわかったと思うのですけど、そこまで恨みってもんは書かれてなんかないんです。そこから日本郵船の恨みというものを感じるのは、むしろ私たちに後ろめたさがあるからじゃないのかしらん、とわたしは思っちゃいます。
 敗戦後、事実上日本政府は企業に戦時補償をしませんでした。なぜならインフレを許さないGHQが補償を許さなかったからで、GHQが許さなかったという大義名分のもとで政府は補償をしない自身を許しました。もちろんもう少し事情は込み入るのだけど、とにかく補償はなくなちゃって、海運会社は踏んだり蹴ったりということで戦争は一応終わってしまいました。
 戦争は終わりました。進駐軍が日本に来ました。占領下、といえばたとえば川島織物はアメリカ兵に大人気だったみたいなのです。珍しい織物や工芸品がいっぱいあったから。綺麗なものがいっぱいで。お土産品売りとして繁盛しました。あるいは工業の工場なら、日常用品を造ることでしのげたでしょう。鍋とか包丁とか。美しいものか実用的なものを。戦争には使わないものを。兵器を造ることは忘れて。
 でも海運会社にはごはんの種の船がなかったから、船があっても外航できないから、まず本業はだめだったんです。印刷機とか船の大型洗濯機とかは残ってたみたいです。これでどうにかしのげないか、って話になってきます。たとえば洗濯屋をやるとか。貨客船文化で鍛えた接客業とか……。
 なにより泡を食ったのは、商社と同じく、世界を跳躍した日本海運が……それらが集めた資金が、軍国の地位を押し上げたのではないか、という連合国側の考えとそこから由来する厳しい対応でした。商社の三井物産は解体されちゃったし、まあ日本郵船もねえ……みたいな話はあったみたいなんです。こういう企業がね。帝国を根強く支えた資本がねえ。三井三池鉱山があったことがどういうことかっていうとね。考えないとね。じゃあさ……。みたいなことになっていくんでしょうか。アメリカはそこまで考えてなかったと思うのだけど。でも、海運会社にその歴史を俯瞰できる、たとえばそう、擬人化のようなものがいれば、そこまで考えていたかもしれない、ですよね。物と人を運んでいくことの宿痾を。船で。船を使って。
 公娼制と船ってふかく結びついていると思いませんか、とひとに提示する時に、脳裏にあるのは「からゆきさん」やそれに部類する多くの移民や流民や棄民です。明治時代の日本企業による海外進出は、まず三井物産が進出し、日本郵船が航路を通し、横浜正金銀行が支店を出すものだ、といわれていたけども、企業の進出のまわりにいて、それらを使う人びとがいっぱいいたはずなんです。もちろんからゆきさんたちは日本郵船の秘蔵っ子の貨客船なんて使わないのだろうけど、そうじゃなくて、そうじゃなくてわたしがしているのは、企業の手からこぼれおちたおおくの庶民のはなしです。小さな会社の小さな貨物船の船底に身をひそめて、時には溺れ死んでも、その手段を頼って密航せざるをえなかった民衆たちのはなしです。三等客室にすらなれなかったひとびとを、ときどき、企業擬人化たちはちゃんと思い出しているかもしれませんね。「妻の母はからゆきさんだった」とウィーンのある教授から手紙が送られてきたことがある、と書き残したのは『からゆきさん』を著した森崎和江でした。私はそれを読んだとき、その妻の父は誰だったのだろうか、妻の血筋は日本人だったのだろうか、その教授はどのような人種なのだったのだろうか、彼らに子どもはいるのだろうか、その彼あるいは彼女はどんな容貌をしているのだろうかと思い、またそれらの疑問はあの広大な大陸では何の意味もないのかもしれないと一人納得したんです。島国の向こうの大陸では国境は上に移ろい下へと侵攻し、また近代になって国家間で厳密に定められ、時には戦争で喪失し……ということが当たり前にあった、「からゆきさん」のいきついたマレーシアや朝鮮などの大陸の都はオーストリアの首都ウィーンへとはるばる連なっていきます。またそれは大陸だけのはなしではなく、この島国もそうした大陸の確かな一員であったこと、みはてぬ海とそこにあった陸はなにより広くてまた近かったこと、そのことを重々熟知していたのはやはり海運会社だったはずでしょう。あやしい混血の色彩と国籍の飽和は彼らのたしかに知る世界でした。その世界はきっとある意味でうつくしかったはずです。が、彼らの罪もそこから発したものでした。国家が国民の地位を担保する時代で、その寄り辺を持たなかった「からゆきさん」や移民たちは、渡った先の外国では容易に弱者へと転落していきました。そのことを承知しながらも、船で運ぶことが生業でした。なぜならそこに、資本と利益があったから。収益という存在意義が。
 利益を追い求めた結果、軍国へと貢献し、その国家と軍は自らに船と犠牲とを求めました。けどその船と犠牲とは時に己に確固たる地位と利潤を由来させる可能性もあったんです。信濃丸はやっぱり誇らしかったことを、やっぱり憶えていたかもしれませんね。脆さをたたえた多くの戦標船を前にしてもその夢は崩れなかったかもしれない。なぜなら犠牲の先には、終わりと救済があったはずだから。まだこの苦しみの終わりとその補償の可能性はあった。わずかでも希望はあった。……はずでした。
 私が求めたのは、そういった自らの罪と業の自覚と、それでもそこを進むしかなかったことを自認していた企業と、その未来と救済とが失われることになったはなしでした。戦争は終わったけれど、べつの戦争は終わっていないはなしでした。その戦争に嬉々と加担した自分とその自覚性のはなしでした。「大脱走」の主題の一つはそこにあるのです。
#「大脱走」(企業擬人化)
しかし、もっとも重要なことは、初期高揚以来ドーピング期まで――多少ともぼろぼろになりながらも――維持されてきた「誇大的全体性」と決別することである。ダーウィンの『種の起源』は数倍十数倍の大著の完成の夢想を断念することによって現実の完成をみた。収束とは「断念による現実化」である。執筆はなお進行しているが、もはや「展開による現実化」の過程でなくなりつつある。この二つの 「現実化」の交替がどこで起こるかによって著作の形態と性格と雰囲気とがある程度決まる。
/中井久夫「執筆過程の生理学」『中井久夫集5』
絵、小説、エッセイ、すべてのログをまとめる本拠地が欲しいと思いつつ、それは自サイトではないのか……?という思いもありつつ……
すでにログ置き場というものの考えが悪いのかもしれない、タイムラインに流さねばならない?
祖父(おおちち)の処刑のあした酔いしれて柘榴のごとく父はありたり
/「未完の手紙」『佐伯裕子歌集』


この美しげな最期の手紙をひたすら信じて、若い父と母は戦後を暮らしたように思う。ことに、「我欲、我執は貧、瞋り、愚痴と申す三毒が出て一家は正に修羅の巷となるべし」のおみくじのごとき箇所である。ここを、「戦犯の子孫は生涯を黙して暮らすべし」と解釈して、とにかく世間にものをいうことを恐れつづけていた。過度にものをいわなかった父は、世間を心底恐れているように見えた
/「墓石とワインボトル」『(同)』
映画「風立ちぬ」
・「風立ちぬ」の最終部の煉獄の野原、で二郎が飛行機の墓場を仰ぎ見上げるシーン あまりに良く、私のなかで戦時期の演出の美の極致なんだけど その「良さ」がなんとも言語化しづらい
・私があのシーンを作ったら、最後は野原を下るだけになってしまうと思う あの瞬間の二郎の気持ち(=狂おしい未練)に思いが行き届かないので あとあれ天国を見上げながら地獄の方へ降りていくということかしら(そういう意味でもあの野原は煉獄)
・『風立ちぬ』のカプローニと二郎少年の夢での邂逅、『アンダーグラウンド』の死んだはずの者たちの宴のフィナーレ、『タイタニック』のローズを迎える沈んだはずの乗客たちとジャック そういう「この世のどこでもない余白の世界」が大好き
「ハリー・ポッター」シリーズ再履修の記録
・スネイプとダンブルドアの共犯関係、共犯関係の手本のような共犯関係
  ・「再」なので結末は知ってるんだけど、スネイプとダンブルドアの共犯関係の形式美がすごいよな~と思う。「目的達成のためには殺し殺される関係すらも互いの了解の元で自分たちの姦計とする」関係、至上の共犯関係だ……。
  ・殺し殺される関係すらも互いの了解の元で自分たちの巧妙な姦計とする、これが最大の共犯関係じゃなくてなんだというのだろう
  ・殺し殺される関係すらも互いの了解の元で自分たちの巧妙な姦計とする共犯関係 ありそうでなかなか見ないかも 児童書にしては性癖を拗らせすぎなんだよな
  ・共犯関係というと「死体を埋める」しか知らなかったけど、「目的達成のためには殺し殺される関係すらも互いの了解の元で自分たちの姦計とする」という視点は欠如していた
    ・共犯関係のことをよく「死体を一緒に埋める」と呼んでるんだけど、「片方を死体にすることも目的の達成手段のうち」関係はさすがに考慮してなかった
・まあダンブルドアは死ぬのが決まっていたし、その死をなるべく苦しまないように終えたいという、ある意味利己的であり目的達成のためだけの死ではなかったのだけど。でもあの殺人はスネイプを闇の陣営に振り戻すには好都合の演出だったわけで……。いやホントすごい。児童書じゃないだろこの拗らせ方……。
・いやダンブルドアとスネイプの感情デッカ……… じゃなかった両者がデカい感情を向けているのはハリーに対してであって、両者の関係は彼の身の保全という姦計をめぐらす共犯関係なので
  ・スネイプはダンブルドアが天国に行ったら同じ天国で、地獄に行ったら同じ地獄で再び相見合う宿命だし、どちらかというとどちらも同じ煉獄で、永劫に天国にも地獄にも行けなく佇んでそう
・あまりに多くのものを破滅させたのはヴォルデモート卿だけではないのだ、というダンブルドアへの理解

感想 「ハリー・ポッター」と極致の共犯関係
感想「さらば、わが愛/覇王別姫 4K」

なんとなく戦時下の京劇の映画くらいまでしか知らなかった。のですこし後半にはびっくりしてしまった。が、この映画の本番はその後半、文化大革命あたりの話だったようにも思える。

京劇も蝶衣(レスリー・チャン)美しいのだけど、その美しさ自体よりも、その美しい時代が過去のものとなり、新しく生まれた世代にも古き体制だと馬鹿にされ、あげつらわれ、だんだんと美しくないものが社会的に「美しい」ことになっていくさまが興味深かった。小四への体罰とか、根性論とか、完全にから回っている描写が印象深い。
世代間の断絶がすさまじく、その断絶への悲しみ、また共産主義体制への怒りを感じた。1993年公開、イギリス領香港での制作とのことだが、それでもここまで嫌悪感を描けるのは凄い。中国への好意と嫌悪感。また同じく日本と日本人への当たり前の嫌悪を発露、罵倒をするが人間的尊敬も忘れない。
今回は4Kバージョンの映画を観た。
2023-08-06 観了
感想『造船記』
主に年齢や精神的未熟さもあって「東日本大震災を精神的に通過できなかった」人間なのですが、改めて写真を見ると膨大な被害があったことが理解できます。
人間も多く亡くなっていますが、『造船記』とあるように船にも焦点が当てられ、波に呑まれて廃船となった船も多く出てきます。フィクションにおいて人間の死には多く慣れ親しんでいるものの、フィクションにおいて船の死を見ることはあまりないので(見ていて苦しくなったのは不染鉄「廃船」くらいしか思い出せません)、ノンフィクション、現実において船の死を見ることはなかなかインパクトがありました。船、こうやって死ぬんだな……。
静かだけれど力強い東北の造船所を知ることができました。
2023-08-20読了