石炭運搬の一過程における虚構と現実のこれら二つのストライキよりすでに前に、筑豊の石炭の最大の消費者である八幡製鉄所で、歴史にのこる大罷業が決行されていた。一九二〇年早春のことである。日本で最初のこの官営製鉄所は、もともと、筑豊炭田という国内最大の産炭地を至近距離にひかえているという立地条件のゆえに、北九州の八幡村に建設されたものだった。日清戦争での勝利から二年ののちに操業を開始したこの製鉄所は、数年後の日露戦争を可能とし、さらにその後あいつぐ対外戦争のいわば産屋となった。ここで生産される鉄が、財閥資本の重工業によってあらゆる兵器や艦船や戦車や車輌に加工された。製鉄に使う石炭も、軍需工場の燃料となる石炭も、財閥資本が経営する炭鉱から、やはりこれら財閥資本が大きなシェアを占める船舶会社の輸送船で、これらの財閥によって系列化された荷役システムを介して、運搬された。 /『石炭の文学史』 #「渺渺録」(企業擬人化) 感想引用 2025/06/10
/『石炭の文学史』
#「渺渺録」(企業擬人化)