渺メモ

「渺渺録」のメモ帳

投稿を一気に読みたいのなら、縦並び表示(「Flow」)をおすすめします。
アーカイブ一覧の確認はギャラリー表示(「Grid」)で。
Grid Flow
POST FORM
引用
この記録の中には、三菱商事株式会社船舶部並びにその後身である三菱汽船株式会社の所有船も併せ収録されて居ります。同社も社船の九割を喪失し、そのため幾多の乗組員諸氏の殉職を見ましたが、社船の大半が油槽船であった関係上、その遭難状況には一層凄絶なるものがあったものと想像されます。

/『日本郵船戦時船史 上』

#日本郵船
bun1.jpg
外部リンク
三菱オフィシャルサイト「三菱人物伝」
志高く、思いは遠く ―岩崎小彌太物語vol.19 第二次世界大戦と産業報国
ttps://www.mitsubishi.com/ja/series/koyata/19/

#三菱重工

bun1.jpg
引用
武蔵を初めとする戦時下の艦艇建造

商船を特設空母に改装する一方、制式空母、月型対空駆逐艦の工事が行なわれ、第二船台上では昭和13(1938)年に起工した戦艦武蔵の突貫工事が進められた。無条約時代突入に当り昭和12(1937)年に計画された建艦計画は80655万円の予算をもって戦艦2隻を含む艦艇70隻の建造を行なうものであった。武蔵はその計画の根幹をなすもので、起工より4年半にわたって極秘裡に工事が進められ、昭和17(1942)年、戦雲ただならざるなかに、基準排水量65000噸18吋砲3連装砲塔3基を擁する巨艦の引渡は完了した。武蔵の進水は重量の点で“QUEEN MARY"に次ぐのだが、実質的には進水の世界記録であった。第1号艦大和は呉工廠の造船ドックで建造された。これら超弩級戦艦の巨砲口径は戦争の全期間を通じてアメリカ海軍にとってまったくの謎であり、その後に建造されたアメリカ戦艦が16時砲であったことから、16吋と想像されていたという。武蔵の竣工は大艦巨砲時代の最後の精華であり、また海軍艦艇建造史の終末を飾るものであった。その後、艦型はしだいに小さくなり、昭和18~20(1943~45)年には海防艦、さらに戦局の推移に伴い特殊潜航艇、小型魚雷艇などの特攻兵器製作に最後の活路を見いだそうと努めた。さらに空襲は激化し、当所の作業はほとんど中止同様の状態になっていった。

/『創業百年の長崎造船所』
#三菱重工
bun1.jpg
テスト
bun1.jpg

渺メモTOPに戻る